にっぽん丸 ニューイヤー グアム・サイパンクルーズ乗船記(2009年1月3日)

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8日目 航海日
夜中からもの凄く揺れ出して、色々物が落ちているのを感じながらもほぼ8点鐘まで睡眠しました。が、起き上がるとテレビの所の本類が崩れ落ちていました。
8時の船長挨拶によると、本船の左前方には小笠原の母島列島が見えているとのことでした。母島、姪島、妹島、姉島とすべて女性を表す名前です。小笠原は東洋のガラパゴスとも呼ばれ、動植物は独自に進化を遂げています。樹木の7割がこの土地にしかいない固有種で、伊豆諸島ともほとんど共通の種がないそうです。
朝食の出足が悪かったのか、気分のすぐれない乗客のために、インフォメーションに電話をして依頼したら、おにぎりを持って来てもらえるサービスの案内がありました。さすが客船事業を途絶えさせなかった大阪商船のノウハウを引き継ぐ「にっぽん丸」、木目細やかな心配りだと思いました。ダイニングの物入れにはテープが貼ってあり、揺れがますます激しくなったことを物語っています。
我々は幸い大丈夫だったので普通に食事に出掛けました。大好物の白菜のクリーム煮があったので、大喜びで山盛り食べてしまいました。

夫は玉子料理コーナーで目玉焼きのサニーサイドアップを作ってもらいました。

朝食を終わって左舷のデッキに出ると、遠ざかる妹島と姪島、それから一番大きな母島を見ることが出来ました。天気は悪くないのにこのうねりはクルーズにとっては厄介です。
9時になったのでダンス教室に行くと、今日は揺れのため実技なしのDVD講座でした。画面のダンス教師の美しい優雅な足運びに夫が何かを感じたらしく、「よし、来月になったらダンス教室に通おう」と言い出しました。昨晩の食事で一緒になった同世代のご夫妻が、やはり船上で踊れるようになったらと「ふじ丸」に初乗船した2年前からダンス教室に通っている、と聞いたのもいい刺激になったようです。
ダンス教室が終わった頃、今度は右舷に父島が見えていました。晴れていて気分がいいので上の方のデッキを歩くことにしました。
8F「サンデッキ」まで上ると流石にいい眺めです。しかしうねりは遥か前方から押し寄せていて、それを掻き分ける「にっぽん丸」は真っ白く大きな引き波を立てていました。
部屋に戻るため6F「スポーツデッキ」から「ミッドシップバー」を越えてラウンジ「海」を通ると、毎日9時から11時まである「スープ&ブレッド」のコーナーがあって、「コンソメスープ」と美味しいそうなパンが目に入ってしまいました。
ほとんどこのサービスは利用していなかったので、食べることにして見繕っているとサービススタッフがスッと近づいて来て「お席までお持ちします」とのこと。船がかなり揺れているので、スープ等を乗客が運ぶのは危ない、ということなのでしょう。朝ごはんを食べたばかりなのでお腹は空いていませんでしたが、この船のパンはとても美味しいです。
と、ゆったり寛いでいる間もなく10時半から4F「ドルフィンホール」でビンゴ大会が始まりました。
初回は二人とも当たらず、二回目のまん中へんで私が当たりました。ステージに置いてある賞品から選べるのですが、特製たる酒や、フォトフレーム、クッキー詰め合わせなどには見向きもせず、使用期限切れのライフジャケット用ライトをゲットしました。船好きには何よりだったのですが、残念ながらあまり一般受けはしていかったようでした。
ビンゴは11時半頃終了し、今度は右舷に聟島(むこじま)列島の媒島(なこうどじま)が見えていました。
部屋に戻って昨日に続き、復路2回目のトラベルミンを服用しました。本を読んでいる途中に睡魔に襲われ、気持ちよく気絶していました。寝ながらも相変わらずよく揺れているのを感じました。
朝チェックした船内誌で今日はロープワーク教室があった筈、と14時から6Fラウンジ「海」へ行きました。見覚えのあるボースン(甲板長)による、はた結び、ヒッチベンド、もやい結び、緊急用脱出結びの講習でした。2007年9月の小樽〜横浜クルーズ以来二度目でしたが、以前習ったことはすっかり忘却の彼方に飛んでいました。
終わった後はブリッジ見学に行くことにしました。今朝から時折船首が大きなうねりに突っ込む時、海面が船底を打ち付ける「ドッガーン」という音が響いているのですが、ブリッジからはどう見えるのか興味津々でした。

そうは言ってもなかなかタイミング良くビッグウェーブに乗り上げなかったのですが、ついにもの凄いのを見ることが出来ました。

その直後に第二波に乗り上げました。かつては大きな三角波によって船が二つに折れる事故もありましたが、つくづく船は頑丈に出来ているのものだと感心します。こうして撮影のため上下する船首を見ているとやはりムカムカしてくる感じだったので、遠く水平線を眺めているのが船酔いしないコツのようでした。
撮影成功に気を良くして部屋に戻り本を読んでいると、またも眠くなり寝てしまいました。その間夫はパソコンを打っていたのですが、ついに船酔いしたらしく生まれて初めてトラベルミンを服用したそうです。

夫は30年前の乗船研修時に13,000トンの貨物船でカリブ海へ行き、その時船体が左右36度ずつ傾く程の荒天を経験したそうですが、船乗りですら酔ったその猛烈なローリングの時ですらケロっとしていたのに、と少々ショックを受けておりました。

その時の心情を記した夫のブログ「トラベルミン(2009年1月9日)」

写真はカリブ海アルバ島に停泊中のその貨物船と、荒天時の様子です。

夕方4時頃、突然チーフパーサーの案内放送があり、何事かと思ったら本日のフォーマルディナーの前に予定されていた、カクテルパーティーは船の「動揺」により中止にしますとのこと。お詫びにワインとオレンジジュース、ウーロン茶はサービスしてくれるそうです。お詫びと言っても船が揺れるのは会社のせいではないのに大変だと思いました。
17時ちょっと前に外を見ると夕日が沈むところだったので、4F「プロムナード・デッキ」に撮影に行きました。その足で帰り5Fのリラグゼーションスペース「ブイ」に行って、本クルーズでの最後のマッサージを予約しました。ほとんど皆勤賞だっだので、施術してくれる女性スタッフともすっかり顔馴染みになりました。ちなみに「ブイ」にはネイルサロンもあって、ネイルアートとかもやってもらえます。
それにしても、よく揺れた一日でした。本船は相変わらず派手に波頭に突っ込んでいます。
本日のドレスコードはフォーマルで、「フェアウェル・ディナー」は機関長のテーブルに招待されていました。機関長はアメリカへの入港は色々と手続きや検査が面倒だけど、今回のエピソードとして、エンジンルームの検査の時本船の船齢を聞かれたので約20年と答えたところ、信じられないぐらい綺麗だと驚嘆されたこと等を話してくれました。

〜前菜〜
フォアグラのポワレ ポルト・ソース
〜スープ〜
百合根のクリーム・スープ
〜魚料理〜
帆立貝とオマール・テールのパートブリック包み焼き、アメリケーヌ・ソース
〜グラニテ〜
洋梨のグラニテ
〜肉料理とサラダ〜
牛フィレ肉シャリアピン風ステーキ
白アスパラガスとビーツのサラダ
〜デザート〜
マンゴスチン、ミルフィーユ・ポム
ウベ・アイスクリーム添え
21時半からのメインショーは、本航海二度目の日本舞踊でしたが、あまり興味がないので1人45分ずつマッサージに行くことにしています。ちょっとだけ5Fの席から覗いてみました。
この揺れでは「ソシアル・ダンスタイム」もきっと中止だろうと思っていたのですが、22時45分から予定通りとのことだったので、一旦マッサージ用にラフな格好になったのを再びフォーマルウェアに身を固めて4F「ドルフィンホール」に出陣しました。しかし、やはり揺れて気分の悪い人が多いのか、かなり閑散としていてフロアに出るのには勇気が要りそうです。
ほとんど誰も踊っていないので尻込む夫を叱咤激励して、一通りルンバ、ジルバ、ブルースをカウントを声に出しながら踊り抜きました。誰も見ていないだろうに、夫はつい周囲の視線を気にしてしまうので頭の中が真っ白になってしまった模様です。最後の曲はワルツだったので、これはNHKの講座仕込みですが、無事踊り終えました。

このあと日付が変わって15分からはディスコタイムに突入したのですが、それまでの夫とはうって変わって水を得た魚状態でフロア狭しとステップを踏んでいました。30分間踊り続け、すっかり弾けて部屋に戻ったのでした。この方が性に合っているようです。
部屋に戻るとパッキングが待っていました。外国船と違って今晩中にしなければならないということはないのですが、翌朝の11時までにはスーツケースを出しておかなければならないので、メドを立てておく必要はあります。旅の記録をしたり、各種機器の充電をしていたITコーナーは今晩中にたたむことにしました。
1時20分過ぎの本船の位置です。うねりが少し収まったせいか、船速が18ノットまで上がっていました。なんだか、横浜がもう目と鼻の先になってしまいました。