飛鳥U 年末年始グアム・サイパンクルーズ乗船記(2007-8)(2008年1月2日)

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8日目 航海日
朝8時、キャプテンの航海情報で目が覚めました。フネは既に硫黄島まで戻って来ており、ちょうど左舷側で通過する所でした。「飛鳥U」は毎朝8時のキャプテンによる航海情報と、昼の12時に汽笛を鳴らしての航海士によるブリッジレポートがあります。「にっぽん丸」は朝8時は八点鐘が鳴らされて船長による挨拶がありますが、フネによってそれぞれ伝統があるようです。
朝の弱い日差しのなか、摺鉢山が良く見えます。起きてから約20分間、バルコニーから遠ざかる硫黄島を眺めていました。本船は硫黄島の手前で東側に針路を取り、往路とは違う側を通ったようでした。

しばらく硫黄島を見ていたので、食事は9時ごろに出かけました。11Fのビュッフェですが、初めて右舷側「リドガーデン」と呼ばれる方で食べました。ビュッフェワゴンはこの右舷プール寄りと、いつもの左舷船尾側の2箇所に同じ物がありますが、卵料理の調理サービスは左舷側だけでした。

10時頃部屋に戻る途中、12Fに寄り道しました。少し日が差して来ましたが、往路と違いどんどん寒くなっていくのは寂しい限りです。
部屋に戻ると掃除が済んでしました。既に丸1週間滞在しているので、ほとんど我家状態になりました。誰かに掃除をしてもらえるのは本当に有難いことです。
本日のアクティビティーは少なめの予定だったので、食事の後は「コンピュータープラザ」で書き物を、その後11時から5回目のダンス教室に行きました。今回は種目が変わりスロー・スロー・クイッククイックの「ブルース」でした。これは「にっぽん丸」で45分ほど習った物なので、夫の入りもスムースでした。
昼食は5F「フォーシーズンダイニング」で醤油ラーメンか味噌ラーメンが供されるようで、好奇心はあったのですがあまり食欲がなくスキップしました。11F「リドガーデン」は和食で麦とろろ丼がメインのようでした。
デッキでのジョギングは船が大分揺れているので夫が危険と判断し12Fの「フィットネスセンター」に行きました。ランニングマシンで5km程走りました。走った後は腹筋でもと思っていたところ、夫がそわそわして部屋に戻りたがります。何かと思ったらラグビーの大学選手権を見たいと言うので、勝手にすればと先に帰しました。洋上にいながらにして、NHKの衛星放送が見られるなんて、本当に便利な世の中になったものです。
部屋に戻ってからはしばしバルコニーで読書をしましたが、気温は大分低くなりそろそろ半袖では厳しくなりました。

和室「遊仙」を覗いてみました。囲碁を嗜めば良かったのですが、残念ながら二人ともルールすらわかりません。洋上の和室で囲碁を打てたらかなりイケるのにと思いました。ちなみに日本郵船のOB会は「遊仙会」と言うようです。

昼食抜きで流石に空腹となり、15時過ぎにアフタヌーンティーをしに11F「パームコート」に行きました。
船は大分揺れていて、船首がダイナミックに上下しています。ケーキ類は3種類あり、どれもなかなかの味だったので3つとも食べてしまいました。ここのコーヒーと6F「ザ・ビストロ」のコーヒーは本格的で美味しいです。
17時半頃、たまたま雲間から光線が差していました。これは旧約聖書から「ヤコブの梯子」又は「天使の梯子」、それからオランダの画家レンブラントが好んだことから「レンブラント光線」と呼ばれています。

ちなみに、パイロット船から本船に乗り移るための梯子も英語で「Jacob's Ladder」、日本ではジャコブと呼ばれているそうです。

この後、私は「またインフルエンザ?」と思われる程急に急に元気(と食欲)がなくなってしまい、夕食のすき焼きに未練を残しつつ、「リドガーデン」のグリルで済ますことにしました。本日のメニューはマヨタマバーガーとホットドッグでした。

19時からは11F「パームコート」で、本船のクルーズディレクター、ボブ田中さんのハワイアンショーがありました。彼の人気を反映してか、椅子が足りない程の観客でした。歌詞カードが配れられ、皆で「Pearly Shells」「Tiny Bubbles」「Aloha Oe」を歌いました。

20時からは予約を入れていた資生堂スパでひざ下、夫は足コース、30分で各々7,000円でした。ペアルームというのがあり、二人同時に同じ部屋で施術してもらいました。ふくらはぎが張っているのと、足裏では胃が疲れているとのこと。普段の週末は朝・晩の二食なので胃腸を酷使しまくりです。
長い廊下を部屋に戻ります。廊下のカーペットの模様でどちらに向かっているのかわかる様になっています(写真は奥が船首)。
夫はほぼ毎晩6F「ライブラリー」で船関連の歴史本を借りて来ていましたが、アルコールを摂取した夜はほぼ間違いなく手にしたまま気持ちよく気絶しているようでした。
21時の本船の位置です。小笠原諸島の西之島を通り越したところのようでした。