30日目 1月7日(木) イースター島 投錨8:00 抜錨18:00 日出7:30 日没21:14
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-スペイン語、ラパヌイ語少しチリペソハンガロア村9時頃(?)~サービスなし
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ26.0℃27-09S 109-26W北東6m/s---0km448周229km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
--べったりしているが島付近は大きなうねりノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(19:00)
冷やし蕎麦洋食うどんセットカジュアル和食三遊亭金八 落語会
7時半過ぎに夫の起きる気配がありましたが目が開かず、とりあえずカメラを持たせて送り出しました。日の出直後のいい感じの写真が撮影してありました。
二度寝した私の方は8時過ぎの「本船はイースター島に投錨しました」という船長の声で目覚めました。バルコニーに出ると、既にテンダーボートの準備が始まっていました。
今日は全員が招待される無料のツアー「イースター島探訪」に出掛けますが、希望した午前中出発にはならず午後に割り当てられていたため、いまひとつ気合いが入りません。フネは島の西岸にあるハンガロア村沖に錨泊していました。
しかも「原則的に自由行動はするな」ということで、(ツアー以外で勝手に)上陸は自粛したので、午前中は船上で手持ち無沙汰になってしまいました。ということで起床はしたものの、かなりダラダラと用意をしてから7Fに下りて行きました。すると陸には数体のモアイ像が見えていて、「横浜から飛鳥Uではるばるイースター島までやって来た」ことを実感しじわっとテンションが上がり始めました。

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一応本船内で事前に仕入れた大雑把なモアイ情報によると、島には800体位のモアイがあって、いろいろな時代に作られていたそうです。しかしオリジナルのモアイはモアイ倒し戦争(部族間の争い)で倒されたり津波で流されたりで、修復・再現されたものも多いということです。そんな中、今日のツアーで訪れるアフ・トンガリキはタダノ建機が技術指導をしつつ無償で修復して1990年代に元の姿に復元しました。またこの島には不釣合いな長い3300m滑走路の飛行場があり、それはスペースシャトルの緊急着陸用でした。
そろそろ朝ゴハンを食べに行こうと思ったら9時20分になっていたので、リドカフェは諦めて6Fのビストロで済ませました。
部屋に戻って昨晩着たフォーマルの着物の片づけをしました。着た物は一晩かけて汗を飛ばし、襦袢は襟部分の汚れを落とした上で乾かしたのを今度は畳まなくてはなりません。海象と揺れのせいで、寄港日の前日がフォーマルに変更となってしまったのは仕方のないことですが、上陸前の作業はとても面倒でした。
一方夫はその間の時間を持て余してしまい、ジョギングを10周もし、一人でボールをテニスコートのネットに当ててキャッチボールもし、片付いたところで卓球を誘われたので二人で6Fに下りて行きました。
汗でビショビショにぬれたジョギングウェアは放っておきたかったのですが、ツアーから帰ってからだと洗濯は混んでしまうだろうとすぐに洗うことにしました。夫には「今日は走らずよごれ物を出さない」という形で協力して欲しかったところです。

ツアーの集合時間は12:20だったので、11時半過ぎにランチを食べにリドに行きました。江東区から一人で参加している顔見知りの男性に今晩の夕食をご一緒にと誘われました。

ツアーはグループ「E」で、後から聞いた情報を総合すると午後の1番目で、午前と午後に各4つの8グループに分かれていたそうです。午後は比較的若い人が入っていたように思います。テンダーの環境が厳しくなるかもしれない場合、乗り降りがサクっと出来る方が良いという判断かもしれません。ということで5分前に行ったのですが、バス番号は一番遅いBになりました。皆本当に出足が早いです。
早く集合していても、テンダーボートがちょうどいい塩梅に来ているとも限らず、集合時刻から5分後にテンダー乗船口のある4Fに下りて行きました。テンダーボートでは、先日の元自衛官のクルーが隣だったのでいろいろ知りたかったことを尋ねました。
テンダーが2ハイしか出ていないのは、うねりが大きく湾内で待機できないためだそうです。ツアー以外の自由行動は(原則的に)ダメだと言われましたが、最終的に17時の最終テンダーに間に合えば良いと言うことを確認出来ました。すかさず私たちはツアーから戻ったら村の方に行くつもりなので、戻らなかったら探しに来て下さいねと(冗談ですが)保険をかけておきました。
バスはとても小さく、動き出すなり轍やら何やらにボコボコと乗り上げて凄く揺れました。これが最初の目的地である「アフ・トンガリキ」まで続くのかと覚悟をしましたが、小さい港から坂を上がって舗装された道路に出たらそれ程ではなくなりました。

牧場のような荒地のような道をバスはゴトゴト走って行きます。馬は乗用としてペット感覚で飼われているそうでした。

途中遠くの岩山の中腹にパラパラと茶色い粒が見え、何となくモアイっぽいと思いながら通り過ぎました。あとでわかったのですが、これがモアイ製造工場のラノ・ララクでした。

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30分程でバスはアフ・トンガリキに到着しました。表記「Tongariki」のngが合わさったような部分「」は発音記号みたいです。
そして数分歩くと見えました、15体のモアイ像が一列に並ぶ姿が。アフというのはこのモアイ達が立っている(祭壇)台のことを言うそうです。映像でしか見たことのなかったものが目の前にあります。
正面の方に回り込みました。アフは長さが100m、モアイは5mぐらいの高さだそうで、遠く離れないと全部一度には撮影出来ません。前を歩いている人を見るとその巨大さがわかります。
こちらを向いたモアイ全部がカメラに入るくらい下がったあたりに倒れたモアイ像が一体ありました。何か争いごとがあって倒すにしても、これだけ大きいと相当のパワーがかかりそうです。

子供の頃に「世界の不思議」的な本で見て実物を見てみたかったのが適って嬉しいです。


バスを降りてからの自由時間は30分ぐらいだったので、あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。その場を去りがたく、何枚かまた撮影しました。余程のことがない限りここには「もう二度と来ることはないであろう」と思います。
入口のところにいた露天商でモアイのキーホルダーを買いました。単品ではまけてくれなさそうだったので、ボリューム(まとめ買い)作戦、1つ2ドルを3個買うから5ドルにしてと言ったらうまくいきました。モアイ像は写真の帽子を被ったのやそうでないものなど何種類かありました。
バスはアフ・トンガリキのある場所を離れ、次にモアイ像の製造工場である「ラノ・ララク」を目指します。

思ったより近く10分程で到着しました。マイクロバス3台分の乗客がラノ・ララクの入口に向かいました。

最初に入口のところで現地の日本人ガイドさんによる簡単なレクチャーがありました。名札に「最上」とあるこの人は、後日わかったことですが、18年前に外国人として初めてご夫妻でイースター島に移住した人だそうです。
ラノ・ララクはモアイ像の元となる岩を切り出した場所で、切り出される前のものや製造途中のものが点在しています。私達は図の左端の四角い部分におり、そこから山麓沿いを歩いて行くと端の方に座ったモアイがあり、そのあたりから先ほどのアフ・トンガリキが遠望出来るそうです。山道なので20分ぐらいかかると言われ、集合時刻までは1時間弱しかありませんが、これは行ってみるしかありません。

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歩き始めて5分程で横倒しになっている最初のモアイが現れました。倒されたのか、体は首のあたりとウエストのあたりで3つに割れていました。
さらに進んでいくと山の斜面にモアイが沢山刺さっています。何故このラノ・ララクがモアイの製造工場とわかったのか不思議だったのですが、これだけ無造作に沢山放置されていれば「ここで造られていた」であろうことはすぐにわかりました。
その右手にはかなり頭の尖ったモアイ像がいました。モアイは造られた年代によってかなりデザインが異なるそうです。5〜6世紀から17世紀にかけて造られ続けていたという説もあり、頭の尖ったものは新しい部類らしいです。

Piro Piro Moai

モアイの名称については出典:「Imagina Rapa Nui・Easter Island
先に進んだ左手には首が斜めに傾いたモアイがいました。ガイドブックの写真に使われることが多い有名なモアイ像です。帰り道にじっくり見ようと思います。
そして予定通り20分弱で座ったモアイの所まで到達しました。正座をしているので親近感が沸きます。

Tukuturi Moai, the kneeling moai
そしてその向こうに先ほどまでいたアフ・トンガリキを望むことが出来ました。これはここまで歩いて来ないと見られない海を背にした感動的な姿です。
肉眼では遠過ぎですが、夫が持参した双眼鏡を覗いたりカメラの望遠で撮影すると、南太平洋を背にして一列に佇む姿はとても威厳がありました。

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ここで遊歩道も終わるので、来た道ではなく丘の上方面のルートで引き返します。すると切り出し中の大きなモアイがありました。
モアイ切り出し場エリアのある岩肌に近寄っているため、かなり高いところに来ていました。無造作にモアイ像達が転がっていて、だんだんモアイが特別なものではない気がしてきました。

そしてこれがイースター島で造られた中で一番大きなモアイ像です。長さが22mもあり斜めに上を向く姿はこれから起き上がりそうな雰囲気でしたが、近くで撮影した写真だとかなりわかり辛いです。

Te Tokanga, the giant moai

と、思ったらアフ・トンガリキに行く途中にそれと知らずに撮影した写真に奇跡的に写り込んでいました。さすが存在感がありました。

【画像はクリックで拡大】
これは偶然写っていたのですが、左端のモアイ像がリサイクル品で、元のモアイ像の頭部を削りなおして顔と胴体が作られたものだそうです。

Moai carved on an old head
そして行きにも通った、首をかしげたモアイ像の所まで戻って来ました。本船のカメラマンにも一緒に撮影してもらいました。また、傾いたモアイを倒れないように抑えている風に見える写真も知り合いに撮ってもらいました。

Hinariru Moai
ここまでずいぶんと沢山のモアイ像を見ることが出来ました。名残惜しいですが、そろそろ集合場所に戻ることにします。
入口から一番最初にあった倒れたモアイのあたりで、「CRATER」という行き先表示があるのに気付き、行ってみたかったのですがどの程度遠いのか様子がわからない上時間があと15分しかなかったので断念しました。後日GPSのログデータでチェックすると、クレーターまで上って行くとそこにカルデラ湖があったようでしたが、頑張っても時間は足りなかったみたいです。
残りの時間はラノ・ララクの入口に出ていたみやげ物店でTシャツ類を物色しました。飾ってあるのにカワイイ絵柄のがあったので、同じ絵柄の白いTシャツに狙いを定めて捜索しました。が自分用のサイズは黒しかなく、でも黒は着ないので白のSサイズを購入することにしました。
ラノ・ララクの観光を終えて、バスは港に向かって走り始めました。バスの中から撮影した中にも巨大モアイの斜めの姿(左上)が写っていました。また右下の2体のうち右側のモアイは、その腹面に西洋の3本マストの帆船が彫られていたそうですが、この前の道は歩きませんでした。

【画像はクリックで拡大】 Ko Kona He Roa Moai
行きにも通った空港の横を通りながらバスは港に戻り、15時半頃解散となりました。最終のテンダーボートは17時なので原則的には戻るべきなのでしょうが、夫が本島唯一の村、ハンガロアの方に行ってみようと言うので従うことにしました。

10分程歩いて小さな岬をまわると飛鳥Uの全景が見えました。いつの間にか雲が多くなっていて、暑くなくなったのは良いのですがコントラストが弱くなりました。

更に10分程進むと「AHU MATA OTE VAIKAVA」と書いてある目の入っているモアイがありました。もともとモアイは目が入ることで霊力が宿るとされていましたが、部族間の争いが起こるとその霊力を奪うために目が壊されてしまったそうでした。
港から海沿いの道を30分程で、左にビーチが、右にスタジアムのある村の入口のような感じのところ到着しました。時刻は16時になり、最終のテンダーボートは17時です。
このスタジアムの所で右に曲がったら少し位は村の雰囲気を味わえたかしれないのに、ここで引き返すと夫が踵を返しました。えっ、あと5分位ならいいじゃないと呆気に取られつつ、不本意ながらも従うことにしました。ここにもモアイが立っていましたが、特に名前を示すものはありませんでした。どうも展示の強弱がわかりません。
帰りも来るとき通った海岸線沿いの道ですが、帰りは距離感がわかっているのと写真撮影回数が減るため行きほどは時間がかかりません。にもかかわらず夫は一心不乱に歩き、とても「ここで三脚を立てて飛鳥Uと一緒にタイマー撮影をしたい」と言い出せませんでした。
ということで20分足らずで港の近くまで戻って来ることが出来ました。これなら村を覗けたのにと残念ですが、リスクは取らない方が気分は楽です。
この時間(16時20分過ぎ)にここまで来ていたらもう安心と思いきや、夫的にはテンダーオペレーションの人々に自分の存在を知ってもらうまで気が抜けない模様です。このモアイ像も前に回りこんで撮影したかったのですが、ずんずんと先に行ってしまいました。
ということで余韻に浸る間もなくあっという間にそこにいたボートに乗り込もうとします。私は朝に話した元海自のクルーをみつけ、このただ歩いただけのハンガロア村往復について、とても中途半端だったとつい愚痴ってしまいました。
ボートは戻って来るツアーのバスを10分程待ち、16時40分過ぎに港を出て沖で待つ飛鳥Uに向かいました。左端に移っているのが私の愚痴を聞かされてしまった気の毒なクルーです。「まぁまぁ、」と軽くいなしていただいてありがとうございました。

ボートは奥まった湾から右にぐるっとUの字を書くように出て行くと、先ほど歩いた岬の先に飛鳥Uが見えました。右手には岩礁があって気を遣いそうでした。

10分ぐらいで本船のテンダー口に到着しました。今回は初めて操船する席の横にある予備席に座ることが出来たので、色々と見通すことが出来て良かったです。

暑くて色々と五感を刺激されたイースター島ツアーから17時頃にようやく快適な船内に戻って来ました。バルコニーからは正面に先ほど近くまでいったハンガロア村が見えていました(向こうからも見えていたので当たり前ですが)。と、テンダーボートの格納作業をしていたので、7Fに下りて行きました。
そして4番ボートがウィンチで引き揚げられ、重々しく所定の位置に格納される様子を動画で撮影することが出来ました。ラバウル島、モーレア島とこのイースター島で合計3回のテンダーボートによる上陸をしましたが、今回のクルーズではこれで最後です。
大浴場に行くより手っ取り早く部屋のシャワーを浴びて、イースター島を見ながら黄金のビアタイムになりました。時刻は17時45分、1回目の食事は既に始まっています。私達が午後のツアーに振り分けられたのは年齢ではなく、食事が2回目だったからなのかもしれません。
朝に見えたモアイ像達を眺めつつ、バルコニーがあって良かったと思う時間が流れます。このモアイは左の帽子を被っているモアイがAhu Ko Te Riku、中心がAhu Tahai、壊れてみえる5体がAhu Vai Ureというそうです。
と、船が回っていることに気付き時間を見ると18時15分、いつの間にかスルっと錨を抜いて静かに出港していました。
既に左舷からはほとんど島がみえなくなっていたため、別れを告げなくては、と7Fのデッキに下りて行きました。南太平洋にポツンと浮かぶこの島にまた来ることはやはりなさそうです。
今晩の19時からのショーは「三遊亭金八 落語会」でした。アフ・トンガリキやラノ・ララクを見たその夜に、噺を聴くことが出来るのが日本船のロングクルーズの醍醐味だと思います。そして今晩のディナーは純和食です。
先附 鶏と林檎の胡桃和え

造り替り カンパチの和風マリネ
温物 揚げだし豆腐
焼き物 つぼ鯛三五八漬け

食事 ざる韃靼そば、香の物

このほか白御飯、香の物、薩摩汁という選択肢もありました。
甘味物 塩プリン

今日はメインディッシュがないような、たんぱく質が足りないメニューのように感じました。本来だとリドグリルに流れるパターンだったのですが、食事の約束もありましたし、またリドグリルの定食が「うどんセット」などという病人食(のように思える内容)だったのでいずれにせよメインダイニング一択でした。

ところで、焼き物とご飯物の間、時刻は20時半頃だったのですが、ブリッジのキャプテンから右舷前方に昼間訪れたアフ・トンガリキが見えています、と放送がありました。食事中にいなくなるのは行儀が悪いと思いつつ、前回(2011年アマデアで夕食中に席を立ってレンズブルクのウェルカムポイントを見に行かずに)後悔したので今回は迷わず中座することにしまし。
7Fのデッキまで下りて島の方を見ると思ったよりも遠く肉眼では厳しい感じです。よってズーム機能を駆使するしかないのですが、日没まではまだ30分以上あっても光量が弱くてなかなか焦点が合いません。それでもラノ・ララクの斜面のモアイも撮影することが出来ました。
そして、こちらに背を向けたアフ・トンガリキです。この姿を見るとこのモアイ像たちは千年以上もこうしてここに立ち続け、昼も夜も島を見守っていたことに感動します。アフ(祭壇)の概念もモアイの意味も、現地の人に尋ねたら「お墓でもあるし、儀式の場所でもあるし…」と曖昧で、それはあまりにも普通のことなので言葉で説明しようがないという印象を受けました。
そしてフネは左に回りつつ、行き足を速めました。イースター島(Easter Island)はスペイン語で「Isla de Pascua(イースラ・デ・パースクア)」、現地語では「Rapa Nui(ラパ・ヌイ)」ですが、そういう別の呼び名があることもここに来てみるまでは知りませんでした。

21時半頃ゴハンを終えて、今ならまだ島が見えているかもと夫と二人でトモ(船尾)に向かいました。果たして島はまだ見えていましたが、今度こそ、ラパ・ヌイとお別れです。
トモに来たらゴルフ練習ケージが空いていたので、夫が打ち始めました。もう1つあるので私もやってみましたが、退化がひどく、数球打って終わりにしました。
フネはどんどんイースター島から遠ざかっていますが、夕日を背にしてまだ見えていました。昼間いたあの場所が、ゆっくりと遠ざかるこの余韻が船旅ならではだと思います。
帰りに図書館に寄ると、イースター島にて週刊誌が2種類届いたとお知らせがありました。が、それを読む元気は残っていません。
ゴハン前にかけた洗濯機のことをすっかり忘れてしまい、部屋に戻る途中でに乾燥機に詰め替えました。
部屋に戻ると流石に外は暗くなっていました。とても刺激的な一日でした。
夫が持参したDVDで昔の映画「グーニーズ」を見始めました。横目で眺めつつ、ゴハンが足りなかったのを補うために二人でチューハイの缶をそれぞれ開けました。そして夫はいつもの様に途中で寝てしまいました。
今日の戦利品である寄港地マグネットです。本当は「イースター島」と書いてあることが望ましいのですが、モアイはイースター島にしかないのでここのものとわかるでしょう。

それからラノ・ララクで必死に買ったモアイTシャツです。表のブルーの文字は「EASTER ISLAND. ÎLE DE PÂQUES. ISLA DE PASCUA. RAPA NUI(英、仏、西、現地語)」と書いてあってオシャレでした。

私は律儀にもグーニーズを最後まで見てから、就寝しました。今晩は時刻改正がなくて助かりましたが、既に日付が変わって30分も経っているため明日の朝も眠いことでしょう。