27日目 1月4日(月) ピトケアン島(海象により錨泊なし)日出5:55 日没19:31
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航海情報 | 天候 | 気温 | 正午位置 | 風向風速 | | ジョギング | デッキ | マシン | 陸上 | 合計 | デッキ累計 | 距離累計 |
曇り | 24.5℃ | 25-11S 128-47W | 北北西12m/s | 23周 | - | - | 10km | 402周 | 209km |
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船内情報 | 講演等 | イベント他 | 船の揺れ | プール |
- | ピトケアンマーケットプレイス(中止) | 大きなピッチングとローリングは徐々に収まる | 水張りなし | |
ダイニング | ランチ(6F) | ランチ(11F) |
リド夕食 | ドレスコード | ディナー | ギャラクシーラウンジ(19:00) |
天丼 | 洋食 | 蕎麦セット | カジュアル | 中華 | アスカオーケストラ バンドショー |
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| 今日は7時にピトケアン島に投錨の予定でしたが、まだ寝ていた7時過ぎに船長の放送が入り「昨晩からの荒天で難しそうです」との放送が入りました。 |
着岸する場合は張り切って早起きして11Fオモテの定位置に陣取るのですが、アンカー(錨)を落とすだけなのと、下船出来る訳ではないので悠長に構えていたのでした。が、早速夫が身支度して定位置に行ったようでした。 | |
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| | そして7時半頃、島の方から本船に近付いて来るボートを捉えていました。海象が良ければ、ピトケアンの人々が飛鳥Uに乗り移ってマーケットを開くことになります。 |
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一方の私はまだ起き上がる気にならず、とりあえずテレビを付けると、どうしようか逡巡しているかのような航跡が映し出されました。 | |
| 7時35分過ぎに、先ほどのボートが本船の右舷の舷門に近付いている写真がありました。 |
私もその頃ようやく起床し、初めて眺めるピトケアン島をまず撮影しました。手すりには水滴があり、ついさっきまで雨が降っていた風情です。GPSを入れているジップ式ビニールもかなりびしょ濡れのヘビーコンディションでした。 | |
| ボートは舷門のところに近寄って待機している風情です。出来れば乗り込んでマーケットを開いてもらいたかったですが、うねりがあってちょっと厳しそうです。 |
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この辺りにこうして来ることは二度とないと思われるので、一番高い部分と右端の岩礁の部分を望遠で収めておきました。 | | |
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| 5分ぐらい後に、ボートが離れて行きました。ほどなくキャプテンから放送が入り、ボートからの乗下船は危険と判断、本船がオークランドから積んで来た物資を渡したとのことでした。 |
ボートの船名は「O'Leary(オリーリー)」、船籍はオークランドと書いてありました。そこそこ大きい割に舵を舵棒(ティラー(tiller)とも言うらしいです)で操作する原始的なタイプでした。 | |
| 外に出て行ける身支度を終えた私が、右舷後方から左舷に回りこみ島を目指しているボートに気付いたのは離脱から10分以上後のことで、はるか彼方でした。 |
慌ててズームすると結構な勢いで波に突っ込んでいて、上下に大きく揺れていました。でも流石パウンティ号の乗組員の子孫、よくこの荒波を乗り越えて顔がわかるくらい近くまで来てくれました。 | |
| と、言うことで残念ながら島の人々と触れ合うことは出来ず、本船は島を離れて行きました。私は部屋から一歩も出ることなく終わってしまいました。 |
9時から11時の間にプールデッキで開催される予定だった「ピトケアン・マーケットプレイス」が中止になったため、船内では急遽囲碁教室やダンス教室が開催されることとなりました。上陸の出来ない寄港だったので、それ程残念ではなかったですが、寄港地マグネットは売られる予定だったのだろうかと少々気になりました。
【画像はクリックで拡大】 | |
| この段階でまだ8時を少し過ぎたばかりと普段の航海日ならまだ寝ている時間です。結果的に早起きとなり、11Fに朝ゴハンを食べに行きました。するとプールサイドに近い和食コーナーの方は大行列、夫は和食の方が良かったそうですが並ぶのはイヤとすぐに洋食の方に流れました。 |
洋食のエンドの所に、生ハムキットがあったのでその場で切り分けてもらいました。朝から贅沢でワインが欲しくなります。 | |
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| | いつも通りカプチーノをお願いしました。どこの生まれかは知りませんが、生ハムはやはり絶品でした。 |
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と、食事が終わりかけた頃「焼きたてパン、あがりました〜」とクルーが鐘を鳴らしながらこちらにやって来ました。中身が小豆の餡子の場合は一も二もなく、それ以外は余裕があれば食べることにしています。今日の中身はアーモンド(マジパン)でした。 | |
| 食べ終わってトモに様子を見に行くと、ピトケアン島はかろうじてまだ見えていました。 |
パームコートに流れPCの定例作業を。前の日(1月3日)は95枚写真を撮影していました。これをフリーソフトで撮影日と時刻を表す「yymmdd_hhmmss.jpg」にリネーム(ファイル名を変更する)して外付けハードディスクに保存しています。 | |
| 11時からはダンス教室に付き合いました。夫の午前中の初心者コースには行くという気持ちは大切にしなくてはなりません。種目はアスカサンバとマンボでした。 |
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食事は11Fのリドカフェに行きました。夕食が中華なのでランチは飛ばしても良いぐらいだったのですが、いつもより朝が早かったのでお腹が空いてしまいました。夫の顔を見るとクルーが気を利かして自動でカレーを大盛りにしてくれます。 | | |
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| 13時からピアノの練習に行ったところ、1月11日にギャラクシー・ラウンジで開催される乗船客のかくし芸のリハーサル中でした。事前に「今日は使えない」由の案内がなかったので、ちょっとムっとしました。エンタメのクルーがいたので軽く抗議したのですが、何故ムっとしているのかはあまり理解していない様子でした。 |
その足で今回の南極南米ワールドクルーズの乗船客概要という資料がもらえると聞いたので、フロントに行きました。フルクルーズの譲船者は460名で平均年齢は73.7歳とのことでした。 | |
| 14時15分からのコントラクトブリッジ教室では、習っていないビッドのハンドが入っていたのですが何とか無事メイク(意図した通りにプレイ)出来ました。だんだん難しくなってきました。 |
その後走ろうと思ったら結構ヘビーな雨だったので、1時間程待つと弱まったので7Fデッキを走りました。クルーの甲板作業で通行止めの箇所がありましたが、途中で作業が終了し全通し、結局フルの23周10kmになりました。 | |
| 大浴場に行ったあと18時半ぐらいからビアタイムになりました。まだ小雨がパラついているのでバルコニーには出られません。 |
19時から夫は「アスカオーケストラ バンドショー」に出掛けてしまったので、残った私は洗濯機にジョギングウェアを放り込んだりしていました。急いで顔を作る必要がない男性はフットワークが軽く、時々羨ましくなります。 | |
| 本日のディナーは朝(正確には昨日アスカデイリーが配られた時)から楽しみにしていた中華です。入口のところで2011年の時に顔見知りになったご夫妻と一緒になったので、4人で食べることになりました。 |
| 前菜 七色のムース 蒸し鶏 クラゲ 鴨の北京風 |
| 蒸し物 白身魚のそぼろ掛け 松阪豚の餅米蒸し 海老水餃子 |
| 海老の金砂仕立て |
| | 牛肉のオイスターソース炒め 又は 魚介のオイスターソース炒め
足りなさそうだったので両方食べましたが、味が同じでいまいちでした。 |
| 白切鶏の中華粥 ザーサイ漬け
レモングラスのパンナコッタ (撮影漏れ。二人の時はまずないのですが、他の人達と一緒だと会話に気が取られて時々忘れます) |
食後は11Fのパームコートがナマナの演奏だったので、軽く踊れるかもと流れました。しかし21時の回はゴーゴー的に踊れる曲があったのに何故か夫が躊躇し、22時の回は人が増えてリクエストを入れられず、結局誰かの入れた曲でマンボとスクエアルンバとロックンロール的なものを踊りました。 | |
| 終わって洗濯物を回収し、アイロンものは夫が半分かけてくれて助かりました。 |
23時頃、ようやく部屋に戻りました。今日はナマナのおかげで食後が結構盛り上がりました。 | |
| ピトケアンの錨泊もなく、天気も雨が振ったり止んだりで、しかもフネはずっと大きく揺れていた一日でした。時計はいつの間にか「終日航海」になっていました。 |
朝の時点では「ピトケアン(錨泊)」となっていたのでした。今晩も時差調整で1時間早まってしまいます。東航すると1日が23時間になってしまうことが多いので、身体的には結構大変だと思いました。 | |