37日目 1月14日(木) バルパライソ 入港7:00 出港23:00 日出6:51 日没20:58
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-スペイン語少しチリペソ中心部近く8時 ~ソトマイヨール広場
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ19.0℃33-03S 075-35W南5m/s---0km572周283km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
--係留中時折大きなうねりノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(19:00)
稲庭うどん洋食ラーメンセットカジュアル和洋折衷バルパライソ ローカルショー
目覚ましを6時にかけて張り切っていたものの、例によって起きられません。昨晩放送されていた歌会始で、天皇陛下の御製が流れるところまで待ってしまい就寝が遅くなってしまったのが響いています。カーテンの外も暗そうだしと二度寝し、ようやく20分頃に起き上がって外に出ると、遠くに海岸線とオレンジ色の街の光が見えました。
スマホにアンテナマークが表示され、電波を捉えたことはわかったもののなかなか正しい時刻に調整されません。イースター島では巨額のパケット代金請求を恐れて使わなかったため、その前のタヒチの時間が表示されています。
着替えてサクっと出て行った夫を追いかけ、無線受信機と共に11Fオモテに出向くと、少数の同好の士(引退したキャプテン2名)も既にスタンバイしていました。

港は殺風景な商業港で、正面にMOLのコンテナ船「PRESTIGE」が荷役中でした。どこに着くのか全然わからないまま形ばかりの防波堤を交わして軍艦群のいる右の方に曲がると、奥に帆船が見えました。もしかしたら以前国際観艦式(2002年)で見た「エスメラルダ」かもしれません。

本船はMOL船を越してその先の岸壁にそのまま着くようですが前後に余裕がなさそうな感じです。
入港予定時刻の7時になってもまだ離れており、着岸に難儀しています。特にトモワッチがかなり緊迫した雰囲気で、前後とも25mぐらいのクリアランスな感じです。スタッフキャプテンはどっしりと構えているのが頼もしいです。
最後に苦労してタグに押し込んでもらい、7時半頃着岸しました。増山キャプテンが思わず「ふ〜、狭い!」と漏らす程でした。見物人としては2011年のウォルビスベイと同じか、それ以上に面白いプロセスでした。すかさずトモを見に行くと、先に出るMOL船の邪魔にならないよう本船のホーサーは下からかけてありました。

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せっかくトモにいるので、そのまま朝食にします。右舷の防波堤についている軍艦では8時から朝礼なのか士官や水兵が集まっている所でした。艦番号15「Almirante Blanco Encalada」はオランダのお古のフリゲート艦でした。

夫は野菜中心、私は炭水化物メインのフレンチトーストにしました。

ゴハンが終わり、またトモに出て行くとちょうどMOL船が出て行くところでした。このフネがいなければ、本船飛鳥Uの入港作業はずっとラクだったことでしょう。
今度はオモテに訓練帆船のエスメラルダを見に行きました。こちらはまさしく朝礼中で、士官候補生や水兵が立っていました。紺色のセーラー服がすごくイイです。
2002年国際観艦式でのエスメラルダは満艦飾と誇らしげに掲げられた4本マストの国旗が美しく、とても印象に残ったフネで、その美しい帆船にその母港で会えるとは…と感激もひとしおでした。

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シャトルバスは1便が9時半に出ていますが、私達は10時のシャトルバスに乗るため9時40分頃下船しました。降りて正面にターミナル巡回バスがおり、殺風景な構内をCIQコントロールのあるクルーズターミナルまで10分程揺られました。
その建物の前に到着したらその後は何の案内もなく突き放された感じになりましたが、こっちかなと入ると荷物検査があり、それをクリアして再び外に出ると町の中心部行きシャトルバスが待っていました。
1台目は早めの行動の人々ですでに満載だったので、2台目に私達のほかもう2組の計6名からなる「遅めの行動組」が乗り込みました。このうちいつでもペアルックを着ているご夫妻は、以前モロッコで奥さんとはぐれてしまい、その時はたまたまペアルックだったので目撃情報からみつかり、それ以降は「同じ服の人を探してくれ」と言えば済むので常にペアルックになったらしいです。(余計なお世話ですが)割と高齢なのに珍しいと思っていたので納得しました。
シャトルバスは10分程で町の中心と思われる場所にある「アグンサビル(Agunsa)」前に到着しました。先ほど港内を延々と来た道を引き返す感じの場所で、飛鳥Uとターミナルの間ぐらいの地点でした。CIQコントロールの関係上仕方ないのでしょうが、無駄な造りです。
建物の中にある飛鳥デスク(案内所)で両替所(銀行)の場所を聞いて、歩き出しました。が曇り空な上、町は綺麗とは言い難く全くテンションが上がりません。早くも「もうおフネに戻りたい」モードになりそうです。
ServiEstadoという銀行のカウンターは飛鳥Uの乗船客で列が出来ており、20分程待ちました。20米ドルだけ替えようと思ったら、50ドルがミニマムとのことでした。100ドル札を出して、おつり50ドルと39,500チリペソになりました。ざっくり1ドルが800ペソです。
とりあえず寄港地マグネットを仕入れるため、港に隣接するみやげ物屋街に戻りました。いい具合に1600ペソのものがあったので無事購入し、その近くにあったツーリストインフォメーションでコンセプシオンの丘への行き方を教えてもらいました。アセンソール(簡易ケーブルカー)は一人300ペソとのことでした。
と、ここで偶然今回のクルーズで仲良くなったご夫妻に出会ってまだ11時なのに「もう帰る」所だと言うのを、折角来たのに勿体ないとお誘いし、コンセプションの丘に一緒に行くことになりました。飛鳥デスクにほど近い、ソトマヨル広場の角に立っている黒服は、本船が雇ったガードマンなのだそうです。比較的安全だとされる範囲から出ると「そっちじゃない、こっちだ!」と注意されるのには閉口しました。【地図はクリックで拡大】
ということで、隣の道からガードマンの防衛網を突破して地図を見ながらチリ銀行等が並ぶ金融街を通り抜け、サンタンデール銀行(Banco Santander)の角の路地にあるアセンソール乗り場「ASCENSOR CERRO CONCEPCIÓN」に無事到着しました。
4人分を払わなくてはいけないため、少し緊張しつつも無事払い終え、7人乗りの小さな箱に乗り込みました。下りと同期しているため、少し待つと突然がっくんと動き出したので思わず皆で「おおっ」と声を上げました。真ん中辺で下りとすれ違い、あっと言う間に上に到着です。

乗り場の作りは結構危ういように見えますし、そもそも古そうな機械だったのでよくよく考えるとちょっとコワイ乗り物でした。後日調べたら1883年に出来た現役ではバルパライソ最古のアセンソールでした。

アセンソール乗り場の外に出ると、丘の上からの景色が広がったのですが灰色空でいまひとつテンションが上がらりません。世界遺産を構成する色とりどりの家並みはあまり美しいとは思えず、試しに望遠で撮影してみたものの晴れていればキレイだったのかは微妙です。たまたま飛鳥U方面の丘にある聖ヴァンサンドポール教会(Parish St. Vicente de Paul)が写り込みました。【画像はクリックでズーム】
世界遺産は建物の壁に描かれた絵(ラクガキ?)も含むらしいので、帰りは歩いて下りることにします。4人で何となくブラブラ歩き出しました。

港の近辺にもいましたが、そこかしこに犬が寝ていたり、単独で歩いていたりします。

結構飛鳥の乗船客も歩いています。あの黒服の包囲網を突破した猛者達と言えるでしょう。時々ちょっといい感じの町並みになります。
と、タクシーが困っていて、乗っていた飛鳥Uに乗っているご夫妻にどうしたのか尋ねたら、上に見える教会に行きたいけど通じないとのことでした。教会はポルトガル語では「イグレージャ(Iguleja)」ですがスペイン語は…と運転席に向かって「イグレシア(Igulesia)」を炸裂させました。ドライバーの目が輝き「アー、イグレシア、アリーアリーバ!(あの上の教会かー!)」「シー(そうそう)」と無事通じて軽く鼻が高くなりました。
折角なので、私達もその教会に行ってみることにしました。途中露店の八百屋さんが出ていたので値段をチェックしたらかなり安いです。売り子のおじさんはサッカー日本代表の監督だったイタリア人のザッケローニ氏に似ていました。
教会は後で調べたらサンルイス・ゴンサガ教会(Iglesia de San Luis Gonzaga)で、アセンソールで登ったコンセプションの丘から一段上のアレグレの丘に位置するローマンカトリック教会でした。近くにはイングランド国教会とルーテル教会があるのは移民の国ならです。
教会からはゆっくりと30分以上かけて麓に下りて来ました。


所々キレイな部分もあるにはありましたが、落書きの域を出ない作品も多く、全体的には貧しい町という印象でした。
途中遠くのアルテレリヤ アセンソール(Ascensor Artillería)が見えました。飛鳥Uの一番近くにあって見晴らしも良さそうなので乗ってみたい気もしましたが、シャトルバスと乗降場との位置関係でムリでした。

【画像はクリックでズーム】
時刻は12時20分、アセンソールに乗ってストリートアートも見たので船に戻っても良いのですが、戻りのバスは一番早くて14時です。どうやって時間を潰そうかと思いつつ、すれ違った飛鳥U仲間にメトロの駅の建物スーパーがあると聞いたのでそちらに向かいました。

折角なのでまず駅に行ってみると「Puerto(港)」という終点駅で、折よく電車が到着しました。

その後エスカレーターで2Fに上がると「UNIMARC」という大きなスーパーがありました。一回りして売り場の様子を把握し、本格的に物資の仕入れ作業に入りました。と、アセンソールからここまで一緒だったご夫妻が離脱してシャトルバス乗り場に戻りました。
「バスまでまだ時間がありますよ」と言ったのですが、ご主人の方が夫以上の買い物嫌いでした。夫も出来れば戻りたいのでしょうが、一緒に飲むビールやワインを調達する妻一人を放置するのは流石に抵抗があるようです。
貝類の缶詰や、ピーナッツ類が豊富だったので買うことにし、それから死ぬほど吟味してビールを1ダース選びました。ワインも赤白300円ずつで仕入れ、これは良い買い物が出来たと満足してシャトルバス乗り場に戻りました。
それでも時間は潰し切れず、結局20分ちょっと待つことになりました。この場所は飛鳥Uのバルパライソの船舶代理店のオフィスみたいです。
シャトルバスは定時の14時に出発し、10分程かけて飛鳥のいるのとは反対側にあるクルーズターミナルに向かいました。帰り道にも別のアセンソールが見えました。乗り鉄ならぬ乗りアセンソールみたいなマニアがいるのかどうか気になります。
行きでは気付きませんでしたが、ターミナルは古い立派な建物で床のタイルの感じが南米っぽいです。みやげ物屋やワインの試飲(10ドルは暴利)販売などもありました。
と、日本人学校の生徒と思しき一団がこちらに歩いて来ました。飛鳥のロングクルーズでは滅多に見かけない久々の日本の子供でカワイイです。後でクルーに聞いたら本船でランチしたそうでした。
目の保養も出来たので港の巡回バスに向かいます。バルパライソはチリの首都サンチアゴの外港なので、そこそこクルーズ船が寄るような雰囲気でした。
帰りの巡回バスは運転席と乗客席の間にごつい仕切りがあって、出入口にはロックがかかるようになっていました。バスジャック対策からくる仕様でしょうか。
港の端から先ほどまでいたメトロ駅上のスーパーの横を通り、さらにソトマイヨール広場の奥にあるチリ海軍総司令部(Armada de Chile)の建物を見つつ戻りました。いつの間にか綺麗に晴れ上がっていました。
飛鳥Uの姿が見えるとホっとします。14時半過ぎに帰船しました。夫はさっと着替えてジョギングに行きたそうでしたが、巡回バスが面倒なので何とか諦めてもらいました。軽く食べに行く前に、今日調達したものを片付けつつ、なかなか良い買い物が出来たと悦に入りました。


船を出発してから飲まず食わずで喉もカラカラです。アイスコーヒーを一気に飲み、ハンバーガーと海鮮バーガーをシェアすることにしました。

既にオヤツの時間になっていますが、ようやく遅いランチを食べることが出来ました。

と、先に食べ終わってトモにいるコンテナ船をチェックに行った夫が慌てて戻って来ました。何でもバルバスバウ(球状船首)の上に動物のような物がいるみたいなので、双眼鏡を取りに部屋に戻るとのことでした。どれどれ、と見に行って望遠で撮影すると、ここにどうやって上がったのかが謎ですが大型のアザラシでした。

【イタ――(゚∀゚)――!! 画像はクリックでズーム】
「最初タールかと思ったけど、それにしてはコンモリしていた」と夫。これはウケます。その後折りたたんでいた手足を広げてすっかりリラックスした様子になり、さらに身体をナナメにズらして脱糞しました。バウを滑り落ちる糞にまた爆笑しました。
10分ぐら眺めた後、今度はオモテに帆船を見に移動しました。朝見た時と違い空が青く晴れ渡っていたので、美しさが際立ちました。
シャワーをしてサッパリした後、17時過ぎからビアタイムにしました。早速先ほどスーパーで買った「Cristal」というビールを飲んでみたところ、少し煙っぽい感じがしました。

ここバルパライソでは日本人クルーの交代もあるので、帰国する人々をぼんやりと眺めつつ知った顔が見えたら手を振って見送りをしました。ピアノと声楽の先生がここで下船しました。

その後はカモメの視線を感じつつ、スマホからネットに接続しました。クリスマス後から長いネット闇に入ってしまい、12月25日ABから現在にいたるまでの22日分の文章を下書きしてあったので、順番に投稿することが出来ました。1 dayパケ放題対象国の中でチリは高額な1,580円ですが、このあとブエノスアイレスまでは船上ネットが使えなさそうなので背に腹は代えられません。
また夫のブログ2本もここで投稿しました。
「海の民・タヒチから(2016年1月15日)」
「タヒチで走る(2016年1月15日)」
ふとまたアザラシのことが気になって18時過ぎに見に行くとまだ頑張っていて、日が傾いた長い影が海に落ちていました。
19時からはローカルショーを見に行きました。いかにもという感じのインデオの文化から、イースター島を含む太平洋の島々の踊りまで、チリの国土の広がりを感じたショーでした。チリと言えば南米大陸のイメージしかありませんでした。
ディナーは昼間一緒にアセンソールに乗ったご夫妻が、アセンソール代のお返しをということでご一緒しました。地元ビールをごちそうになってしまいエビ(アセンソール40円ぐらい)で鯛(ローカルビール400円)状態です。

本日のメニューは和洋折衷です。
<前菜>
海鮮サラダ
<魚料理>
和風ブイヤベース
<肉料理>
牛肉の大和煮 味噌仕立て
<食事>
あさりとベーコンの雑炊

<食事のお共>
カマンベールのてんぷら
<デザート>
柔らかミルクプリン 抹茶ソース
夫と二人だと一気に食べ終わってしまうため、満腹感を得られなさそうなメニューでしたが、四人で今日の出来事等を楽しく話していたので必然的にゆっくりペースとなってお腹も膨れ(たような気になっ)て良かったです。食べている間に段々暗くなり、21時半を過ぎる頃には真っ暗になりました。
日程表上のスケジュールでは、今晩はバルパライソに停泊して翌日の正午に出港予定だったのですが、2日前に「チリ沿岸の周期的な荒天を避けるため、出港は当日の22時なる」とアナウンスがありました。でもその時間になっても出ていく気配がありません。と右舷ではまだ補油作業中だったので、これでは出られません。
そのまま気になってトモに回ると、果たしてアシカ君はまだコンテナ船のバウにへばり付いていました。さすがにこの時間に鉄の上にいると底冷えしそうですが、まだ気持ち良いのでしょうか。
今度はオモテに行きエスメラルダの夜の姿を撮りに行くと、元海自衛官だった本船のクルーが出港風景を撮影するためスタンバっていました。昼間は町を片道30分ジョギングしたそうで、あの面倒な巡回バスを乗り越えたのは流石です。

また、エスメラルダはフォアマストが横帆で残りのマストは縦帆の「バーケンティン」だと教えてくれました。今まで帆船はマストの本数ぐらいしか気にしませんでしたが、調べると色々ありました。日本丸(右の画像)の3本のマストは横帆、最後尾は縦帆でしたが、これは「バーク」というそうです。一つ賢くなりました。

再びトモに戻るとアザラシはまだいて、更に本船のホーサー(係船索)にカモメが何となく等間隔に並んで止まっていました。
夜遅いせいか、出港時刻が遅れる等何のアナウンスもなく、結局本船は23時頃じわっと離岸しました。
相変わらずのアザラシともこれでお別れです。どうやって上ったか謎でしたが、多分水中で勢いをつけて飛び乗ったのでしょう。なお、旅行中はずっとアザラシだと思い込んでいましたが、生息域や大きさからするとアシカではなくオタリアだったようです。雄は体長が2.5m、体重は300kgにもなるそうで、その存在感に納得でした。
飛鳥Uは後進のまま後ろにいたコンテナ船を通り過ぎました。無線受信機で出港のプロセスを聞いていましたが、真っ暗な中岸壁と軍艦と浮きドックの3方を気にしています。
後進する右舷にいるタグボートは、万が一本船が横すべりして軍艦にぶつかるのを抑える役目だと思われます。軍艦と防波堤を過ぎたあと、役目を終えたタグは帰っていきました。
そのうち夫は寒いと言い出し部屋に戻ってしまいました。私はもうちょっと粘って23時25分にパイロットが下船するのも見守りました。

回頭を終えた本船のプロペラが角度を変え、次の寄港地に向け力強く水を掻き始めました。

23時半にトモワッチを開き、部屋に戻る時のデッキはほとんど誰もいませんでした。
部屋のバルコニーに出て、再度バルパライソに分かれを告げることにします。治安が悪いとさんざん脅され、曇り空も相まって最初はなかなかテンションが上がらずどうしようかと思いましたが、途中からうなぎ登りに面白くなりました。
久々の寄港地で緊張やら興奮やらしたせいか、なかなか眠くなりません。仕方なく読み物をしていたら1時近くになってしまいました。
バルパライソ港を出て最初は航路を北に向かった本船はその後南に向きを変え、速度は18ノットに上がっていました。