57日目 5月29日(日) ホニングスボーグ 入港8時 出港19時20分 日出-- 日没--(白夜)
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括ノルウェー語通じるノルウェー・クローネほぼ中心部8:50〜運行なし
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ9℃70-5910N 025-58E南東2m/sなし --7km7km492周311km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ/白夜観測会-カジュアル具素麺洋食和食
7時頃の船長の放送で、先程パイロットが乗船し予定通り8時に着岸する旨の案内がありました。昨晩は雲が少なかったせいか一晩中日差しが部屋に入り、アイマスクをしていても明るさを感じてしまい、しっかりと眠れなかったような気がしました。例によって目が開きません。

写真はバルコニーから見た午前3時20分の空
30分程どもぞもぞしている間に夫は張り切って入港ワッチに出かけて行きました。私の方はようやく7時半に起き上がり、バルコニーから外を覗くと岸壁まで数メートルに近づき最後の仕上げをしているところでした。

慌てて11F艏(オモテ)に駆け上がり夫と合流して残りのプロセスを見守りました。まるでフェリー港のようなちょっと寂しい感じの場所で、舳先が陸に突っ込みそうな勢いです。

岸壁の長さが本船の半分もないため、艉(トモ)の係船索は海上のブイに掛けています。港近くの岩山には雪が残っていて、寒々しい感じがします。
今日参加する「ノールカップ半日観光」の集合時刻が8時50分なので、着岸し終わるかしないかの8時前に朝食に出掛けました。このノールカップ観光こそが、航路変更前に予約してあったオプショナルツアーのうち、唯一生き残ったものです。寄港地変更によりコロンボ、サラーラ、アレキサンドリア、ピレウス、ナポリなど軒並みキャンセルになってしまいました。
それでも、ノールカップは数年前にフッティルーテンの湾岸急行船でのオーロラツアーを企画したぐらい来てみたかった場所なので、本船「飛鳥U」で来られてとても嬉しいです。5分前に集合場所に行くと、他の人はとても出足がいいためいつも数台あるバスのうち最後のバス(4/4)でした。
フネを降りると、民族衣装の若者達が地元のワッフルのようなものを配っていたので呆れる夫を尻目にしっかりゲットしました。早速バスの中で食べましたが、中に甘いチーズが入っていて見た目よりもずっと美味しく一気に食べてしいました。この甘いチーズはノルウェー名産のブラウンチーズだと思われます。
港からノールカップ(Nordkapp、英語でNorth Cape)までは45分かかるとのことで、ガイドの女性が道中色々なものを紹介してくれました。干し鱈や欧州最北端のガソリンスタンドは座席の反対側だったので復路で頑張って撮影しようと思います。
ガイドの女性の英語はわかり易く、しかも日本語の単語をいくつか覚えてくれていたようで、英語に交えてミギ、ヒダリ、マエ、トナカイ、サカナ、トリなど言ってくれるのはとても好感が持てました。寒々しい景色が続きますが、彼女によると6月まで湖には氷が残り、9月には早くも雪が降るそうです。
トナカイは夏の間ここから230km離れたカラショク(Karasjok)からやって来て、最後はフネに乗るかトンネルを通らなければこの辺りには来られないそうです。トナカイは遊牧民サミ人(以前はラップ人とも)のもので、彼らの言葉はフィンランドやハンガリーに近いのだそうです。驚いたことにトナカイを表す言葉は30、雪は50もあるのだとか。でもわが日本語も雨を表す言葉は100以上あるので感じはわかります。

「トナカイは4時間ごとに食べ、休み、眠ります、それって客船と同じでしょ?」と言うのはウケました。
一度乗船してみたいフッティルーテンの船は、北航が12時着で3時間半港にいる間に、南航はキルケネス(Kirkenes)から来て朝の6時に着き15分程で出て行ってしまうため降りてノールカップ観光をした後そのフネを先の港でつかまえるツアーがあるのだそうです。
ノールカップホール(ビジターセンター)には予定通り9時45分頃到着しました。入口に「Nordkapp 71°10'21"」と書いてあります。アフリカ大陸最南西端の喜望峰(34°21'25"S)から1ヶ月かけてここまでやって来ました。直線距離で11,718km、本船は18,750km(アムステルダム-ワルネミュンデ間は「アマデア」のルート)も移動して来ました。
まずは建物の階下に下りて、100m程のトンネルを進み洞窟バー(Grotten Bar)に着くと、ウェルカムドリンクが出て来ました。あらかじめバスの中でスパークリングワインかオレンジジュースのどちらがいいか注文を取ってありました。もちろん私達は欧州最北端到着記念にスパークリングワインで乾杯です。
帰りの集合時刻まで到着からほぼ2時間ありますが、最北端の記念碑見物やバスで配られた切手付きノールカップ絵ハガキを書いたりする時間も必要なため、飲み終わると再びトンネルを戻りました。壁にはノールカップの歴史やゆかりの人物に関する展示があります。
やや唐突感のある「タイ博物館」は1907年にタイ国王がここを訪問したことを記念して作られたそうです。

礼拝堂(セント・ジョン・チャペル)もあります。1990年に造られたまだ新しいものでモダンな印象でした。

地元のスウェーデン兼ノルウェー国王のオスカーU世も1873年に訪れているそうで、その当時の様子が模型で展示されていました。このオスカーU世は缶詰オイルサーディーン「King Oscar」のパッケージ肖像画のあの人です。
「Murmansk Convoy」と書かれた展示がありました。全然知りませんでしたが、第二次世界大戦中にソ連を支援するため、連合国からムルマンスク向けに定期的に輸送船団があり、このノールカップ沖でも海戦があったそうです。
メインの建物に戻り、絵葉書を書くことにしました。夫の分と私のと2枚あるので1枚は小学3年生の姪に、もう1枚は自宅向けにしました。書き終わったら入口の所にあるポストに投函すれば、最北端のスタンプと共に宛先に発送されます。
10時半からノールカップの紹介映画が上映されるようだったので、折角だからと見ることにしました。今は夏だからいいのですが冬はとんでもなく過酷な環境のようです。そんな過酷な土地でも海鳥が住み着いている様子がリアルな剥製で展示してありました。
20分ぐらいで映画は終わり、いよいよ外に出てヨーロッパ最北端の碑を見に行くことにします。
と、言いつつ最北端は実は同じマーゲロイ島(Magerøya)のクニフシェロデン岬(Knivskjellodden)が71°11'8"で、ノールカップより1.5km北にあるそうですが車を降りて9km程歩かなくては到達出来ないそうです(海の向こうがその岬だったようです)。
でも307mの断崖を登らなければ到達出来なかったここノールカップの方が、やはりドラマチックなのでしょう。道路が開通してからはすっかりポピュラーな観光地となったようです。
そしてモニュメントです。雲が厚いのは残念ですが、午前中はそれ程観光客が多くなかったため、無人の姿を撮影することが出来ました。
最北端からのバレンツ海をしっかりと目に焼きつけます。ここに再びやって来る可能性も極めて低そうです。
10分程でその場を撤収し、今度は建物の入口を抜けて「世界の子供たち」という世界各国から無作為に選ばれた7人の子供達が作ったレリーフ版を見に行きました。ひらがなの入った作品は日本の子供のものだとすぐわかりました。建物内にあった説明では、タンザニア、ブラジル、日本、タイ、イタリア、ロシアとアメリカ合衆国の子供達だそうです。
寒いので11時20分頃再び建物の中に戻り、ギフトショップをチェックすることにします。北ヨーロッパに入り徐々に寒さに慣れていっている筈ですが、気温が10℃に満たないとやはりじわじわ冷えました。ジーンズの下にヒートテックのレギンスを履いていて良かったです。
白夜(Midnight Sun)がどのように見えるかの写真展示がありました。一番左が午後6時、右が午前6時の太陽です。ノールカップでは5月中旬から7月一杯白夜が続くのです。反対に11月下旬から1月下旬までは太陽の昇らない極夜(Polar Night)となります。
ギフトショップでは「Nordkapp 71°10'21"」と書いてあるポロシャツやトレーナーを売っていましたが、北欧価格でどうしても購買欲が減退してしまいます。とりあえず寄港地マグネットのみ購入しました。ノルウェーでは割と妖精トロール(Troll)の人形が飾ってあるのですが、夢に出て来たら怖いルックスです。
たっぷり2時間滞在し、ノールカップ観光を終了しました。夫がガイドの女性に「客船はよく来航するのですか」と尋ねたところ、寄港地としてとても人気があるようで「ではどの位の大きさまで入れるのですか」と聞くと「テンダーボートを使えばどんなサイズでも。来月にはクイーン・メリー2も来ますよ」とのことでした。
帰りも寒々しい景色の中をホニングスボーグ港を目指します。この辺りの産業は観光と漁業で、途中近くを通ったカーマイバール(Kamøyvær)に魚の加工工場があるのが見えました。

帰り道には幸運にも疾走する野ウサギを撮影することが出来ました。トナカイもあちこちにいるのですが、走るバスの中からではなかなか素早くピントが合いません。
サミ人の住居も見られました。夏の間だけトナカイと共にこの辺りで暮らしていて、テントの手前にある白いものはトナカイの角のようです。

港が近付いて来たので「欧州最北端のガソリンスタンド」を撮影するべく緊張してスタンバイしたところ、無事カメラに収めることが出来ました。
そして干し鱈も無事撮影出来ました。ベルゲンのハンザ博物館で見たのと同じような形状です。
12時半頃岸壁に到着すると、コスタクルーズの「COSTA DELIZIOSA(コスタ・デリチョーザ)」が接岸していました。ものすごく乗りたいかどうかは別として、やはり90,000トン以上は迫力があってカッコいいと思います。コスタの係船索を引っ掛けるこの装置がメカニカルだったので夫に撮影を命じられましたが、結局ブログに使われることなく終わりました。
本船「飛鳥U」の岸壁では、甲板部のクルーが初寄港記念のペイントを作成中でした。
売店を覗いたりした後13時ちょっと前に部屋に戻ると、バルコニーからコスタ船が見える贅沢な眺めになっていました。
13時半頃11Fの「リドカフェ」に食事に行きました。それ程カレー好きという訳ではないのに、カレーがある日はついつい取り分けてもらってしまいます。

食後は12Fに上がってコスタ船を眺めに行きました。船首の方から見ると横を向いていますが、船尾の方から眺めると正面顔です。

オモテから左舷船首方向には北航のフッティルーテン「NORDKAPP」が着岸しているのが見えました。ノールカップではこのフッティルーテンとコスタ船のツアー客が午後の時間帯に集中して大変な混雑だったようで、例のモニュメントは撮影待ちの長蛇の列が出来ていたそうです。
14時20分頃下船して、ジョギングに出かけました。そこらをちょっとだけかと思って走り始めたのですが、干し鱈を見に行こうととりあえずフネの左側に向かったらら、3日ぶりの陸地に夫が張り切りどんどん先に行ってしまいました。
そして本船のいる湾をぐるっと左に回って反対側に行く事になりました。距離はたいしたことないかもしれませんが、意外と起伏があって辛いものがありました。もともとルーアンのジョギングで右ふくらはぎを痛めていたのを、先ほどノールカップでちょっと急いだ時に悪化させてしまった上、原因不明の左腰痛まであり全然スピードが出ません。
加えてコスタ船の真後ろの姿と「飛鳥U」等撮影するたびにどうしても立ち止まるので、待つのにイライラした夫の頭から湯気が出ているのがわかります。
東京に住んでいて北海道に行くと衛星放送のパラボラアンテナの仰角が30度ぐらいと低いのに気付きますが、北緯70°超のこの地では下を向いています。電波が地平線を突き抜けるのかと驚きましたが、オフセットアンテナで実際の衛星の高さを向いている訳ではないようです。
何度か立ち止まったりしつつゆっくりと走って20分程のところに小川がありました。雪渓のようにしっかりと雪が残り寒そうです。

そこからホニングスボーグトンネルに行く道を外れて湾沿いに10分程走ると「コスタ・デリチョーザ」がとても綺麗に見える場所がありました。「飛鳥U」は残念ながら前1/3ぐらいが隠れていました。

更に数分行くと道はなくなり先は石油タンクでゲートが閉まっていたため、ここで引き返すことになりました。
帰りはどちらかと言うと下り坂が多かったため、行きほど辛くはないものの、度重なる写真撮影で待ちくたびれた夫が又もぐんぐん先に行ってしまいました。私なりに頑張っているのですが冷たいと思います。
それでも帰りは写真撮影も少ないので行きより大分早く戻って来ました。船の近辺には出発から1時間以上経った15時半頃戻りましたが、実質的にはあまり走れていないということで突き抜けて町の方に向かうことにしました。
「コスタ・デリチョーザ」はイタリアのジェノバ船籍なので、船尾に大きくイタリアの商船旗が翻っているのがよく見えます。旗の中心部にかつて繁栄した4つの海洋共和国であるベネチア(マルコ獅子)、ジェノバ(聖ジョルジュ)、アマルフィ(マルタ十字)とピサ(オクシタニア十字)の紋章が並んでいて歴史を感じさせるデザインです。
岸壁には入らずにそのまま道を進み、「飛鳥U」とリカホテル(Rica Hotel)を通り越したあたりでフッティルーテンの船がするすると出て行くのが見えました。この場所では一部分しか見えないのでもっと見渡せる海の方まで急いで走ることにしました。
夫の野生の勘に導かれるまま進みましたが、その位置からは既に見えなくなっていたので更に海(と思われる)方に行けば見えるかも、と諦めずに坂を上って下ると見えました!
望遠で写し続けること18枚、もしかしたらノルウェー観光局かフッティルーテンのプロモーションに使えるかもと思える出来の、後ろに雪を被った山を背景にした美しいフネの写真が撮れました。

寒い地方の町はなんとなく建物も必要最低限という感じで寒々しく寂しい感じがします。立派な外の小屋にそり犬(シベリアン・ハスキーに似ていますが定かではありません)が飼われていたので思わず撮影しました。
それから、ここまで来ると本船「飛鳥U」の右舷が撮影出来ます。これも何枚か撮影しました。後ろの左側には先ほど近くまで行ってきた石油タンクが見えていました。この辺りで本船のドクターとナース達と遭遇しました。
それにしても、現地の人の薄着には驚きます。気温は10℃に満たないというのに子供が半袖半ズボンでした。
フッティルーテンと本船の撮影に満足し、時間も16時近かったのでそろそろ戻ることにします。
その前に恒例の地元の神様に挨拶するためホニングスボーグ教会に行きました。中には入りませんでしたがかなり質素な教会でした。
町の向こうに「飛鳥U」が見えています。この感じは、フネの向きこそ違いますがアラスカのケチカンそっくりでした。
岸壁ではサミ人の女性がトナカイの毛皮グッズや民芸品を行商に来ていました。客船2ハイでどのぐらいの売り上げがあるのか興味のある所です。

ノールカップから帰った時に作成中だったペイントが完成していました。甲板部のクルーの腕の見せ所ですがとても綺麗に出来ていました。
フネに戻る前に岸壁の売店でジャケットを買うことにしました。ノールカップ観光の帰りに覗いた折に気になっていたのですが、気軽に買うにはちょっとという値段(499クローネ、7,500円ぐらい)の上、ノールカップ以降は税金の還付手続きも受けられないのでつい躊躇してしまいました。が左腕に入ったロゴは大きな魅力、と購入に踏み切ったのでした。
本船には最終的に16時20分頃戻り、シャワーしてさっぱりした後はコスタ船を眺めながらビアタイムになりました。ちょっと寒いのですがこの景色をバルコニーから堪能しないのは勿体ありません。このコスタ船は夏の間アムステルダム発着11日間のノルウェー沿岸クルーズを何回かやっているようでした。

出港は19時半の予定が少々早まったようです。ボン・ボヤージュには参加せず、バルコニーから離岸の様子を見ていました。

すっかり晴れ上がった空の下、遠ざかるホニングスボーグ港と「コスタ・デリチョーザ」を眺めていました。本船の汽笛に対し、コスタ船が答礼したのは感動的でした。ちょっと寒くなったと思ったら気温は8.5℃に下がっていました。
20分ぐらいで本船をしばらくエスコートしていたタグボートもいなくなり、港も大分遠くなりました。そろそろ2回目の夕食タイムなので下に下りなければなりません。
19時50分頃5Fの「フォーシーズンズ・ダイニングルーム」に行くと予想通りいつもの倍以上の人がいました。出港時刻が遅かったので、17時半からの1回目の人達がその時間に行かず、2回目に流れていたのでした。
本日のメニューは和食です。

先附
蒸し豆腐 薬味 土佐醤油

造り
たこぶつ 粒貝 お造り盛り合わせ
酢の物
帆立貝 焼きセロリ 林檎霙酢掛け

今回は大盛りスペシャルの注文をしなかったのに、どうも量が多い気がします。

大盛りスペシャルについては「何でも言ってみるものだ(2011年5月30日)」
鍋物
鱧柳川鍋 玉葱 牛蒡 芹菜

ハモの量を見て確信しました。顔を見て自動的に大盛りにしてくれたみたいです。
煮物
京風いもぼう煮 棒たら 海老芋 青楓麩

でも流石にちょっと多かったです。
汁物 牛肉と大根のスープ仕立て
白御飯 香の物
デザート
さとうきびアイス

でもアイスがふた盛だったのは良かったです。
食事中にホニングスボーグを後から出港したコスタ船が追い抜いて行きました。そして遠くにはノールカップの崖が見えて来ました。
21過ぎに部屋に戻って見るとはなしに外を見ていると海鳥が狂喜乱舞しながら付いて行く漁船が見えました。トロール船か何かで小魚が後ろで跳ねているのでしょう。
その後新聞を読みに11F「パームコート」に行くと、21時半から松田幸一氏のハモニカコンサートで大盛況でした。エスプレッソを飲みつつ、贅沢にもコンサートをBGMに読売新聞と毎日新聞をじっくり読みました。
22時45分から予定の「白夜観測会」が22時に早まったようです。ノールカップの絶壁が目前に迫って来ました。道路が出来るまではこれを登るしか到達出来ない場所でした。
観測会と言っても何か解説がある訳ではなく(白夜は解説しようがないでしょう。しても一瞬で終わってしまいます)、「ビスタラウンジ」やその外に出て昼間に行ったノールカップを今度は海から楽しむというものです。ホットワインが振舞われたのでありがたく頂戴しました。
ノールカップのモニュメントもしっかりと見えています。ちょっと前にいたあの場所を和食を食べた後、今度はフネから眺めるのはちょっとした感動です。

ノールカップに近づくと、本船は行き足を止め回頭を始めました。いつになく沢山の人がオモテに集まってこの景色を堪能しているようでした。それにしてもこの長い影は流石北緯71度です。

この回頭は両舷のキャビンにノールカップを見てもらうための配慮なのだそうです。
観測会が終わる頃にウィングにいた浅井キャプテンに「このあたりの水深はどのぐらいですか」と尋ねると「70mぐらいです」「あ、意外と浅いんですね」「でもちょっと行くと200mぐらいになりますよ」「ぐるっと一回転ですね」「一周してみました」。人が少なくなっていたので、ゆっくりお話することが出来ました。最後にポーズもとってくれたりして、いい人です。
ノールカップはいつまでも見えていたので名残を惜しみました。それにしても本当に喜望峰からノールカップまで一気に楽しむことが出来るのは船旅ならではの贅沢です。
それからあまり気が乗っていなかった夫を無理矢理付き合ってもらって23時過ぎにミッドナイト・サン・キャッチボールをしました。この時刻にこの場所で灯りもなしにキャッチボールをするというアイデアは我ながら面白かったです。
寒かったので10分程で切り上げ、薄日の差すプールを見ながら部屋に引き揚げました。
この時間、まだ太陽を確認出来たので日付が変わるまで粘って撮影を試みることにしました。

が、0時過ぎには雲の中に入ってしまっていました。折角の機会だからと1時まで頑張ることにしましたが、やはりダメでした。

そろそろ寝ないとまた明日に響きます。とても濃い、とても楽しい一日でした。寝るときは出来れば真っ暗な方が良いので外が明るいのは気になります。ホニングスボーグと次港レイキャビクは2時間の時差があるため、今晩は時刻改正があります。