61日目 6月2日(木) レイキャビク 入港7時40分 出港19時 日出3:26 日没23:32
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括アイスランド語通じるアイスランド・クローナ中心部から4.5km9:10〜ラディソンブル1919ホテル
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ9℃64-09N 028-46W西南西6m/sなし --10km10km492周332km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ-カジュアル親子丼洋食和食
昨晩は風邪気味で調子が悪く、今朝は雨が降っているらしかったので気合が入らず、夢うつつで聞いた「パイロットが乗船した」という船長のアナウンスの後も寝続けて結局8時に起きたら既に着岸済みでした。喉が痛くて嫌な感じです。

ツアーの予定はなく9時半のシャトルバスで中心部に行こうとしていたので、「リドカフェ」で軽く朝食を食べ、好物のシリアル(ミューズリ)がなかったので「パームコート」で補給しました。

10分前に下船し、バスは海沿いを走って10分弱で世界で一番北にある首都、レイキャビクの中心部に到着しました。気温は6℃とのことで、風邪だと言うのに今までで一番ひんやりしている感じです。
特に何を見たいという下調べをしていなかったので、シャトルバスの時刻表の裏にあった地図を見ながら、まずは5分ぐらい歩いて国会議事堂(アルシンギ、Alþing)をチェックしました。アイスランドと日本の時差は9時間なので丁度夕食前頃かと、このあたりで久々に日本の姪に電話もしました。特に変わりはないようでした。
この隣にはアイスランド国教会の司教座のある大聖堂(Dómkirkjan)がありました。
チョルトニン湖(Tjörnin)を背景に三脚とタイマーで撮影した後、湖沿いに散策しました。
その先には自由教会(Fríkirkjan)がありました。西欧人でないのでいまひとつ「自由」の位置づけがわかりません。
振り返ると後方に市庁舎が見えていました。1992年築のモダンな建物です。

湖畔には水鳥が気軽に上陸しています。マガモや白鳥をこんなに近くで見たのは久しぶりです。

この辺りは空港が近いらしく、ブオーンと言う懐かしい音と共にプロペラ機が頭をかすめていきました。レイキャビク空港は一番長い滑走路でも1,600m弱らしいです。かつては国際空港だったそうですが、現在その機能はここから西へ50kmほどの別の空港に移っています。
この後レイキャビクのランドマークとも言えるハトルグリムス教会は押さえておきたいと思ったので、住宅地を抜けることにしました。すると「Berlin 2380km」と書いてある台の上にクマの像が。
ベルリンと言えば紋章からしてもやはりクマ、首都までの距離を示していたドイツ大使館でした。

ちなみに同じ建物の手前は英国大使館になっていました。
ドイツ大使館の隣には火山の映画が見られる「レッド・ロック・シネマ」があったのですが、9月から6月までの間はオフシーズンで日に一度20時からの上映だと書いてありました。2時間通しで見た場合の料金は2,000クローナ(約1,200円)と表示してありました。
10時半過ぎに目的のハトルグリムス教会(Hallgrímskirkja)前に到着しました。教会の前には鎖帷子も勇ましいレイフ・エリクソン(Leif Ericson)の像で、コロンブスの新大陸発見の前にアイスランドからグリーンランドを経てニューファウンドランド島に到達した人物です。それにしてもこの寒空に半袖の少年がいるのには驚愕します。
1986年に完成した近代的な教会はアイスランド一高い74.5mを誇ります。

中はステンドグラスのないシンプルな造りで、大きなパイプオルガンが設置されていました。

折角なのでエレベーターで上れる展望台に行ってみることにしました。入場券をどこで買うのか迷いましたが売店で一人500クローナでした。ユーロが通じたので10ユーロを出したらお釣りが500クローナでした。クローナは6掛けすると円になるらしいので、こんなものでしょう。
レイキャビクの市街地よりも何よりも、まずは本船「飛鳥U」をチェックしに行きました。するとかなり遠くですがしっかりと見えました。発電機を回していてファンネルから煙が出ているのが頼もしい感じです。

建物の裏側左側にはレイキャビク空港本船の反対側にはチョルトニン湖
カトリックの大聖堂(Landakotskirkja)教会正面の道路左の黒い建物はコンサートホール

高い所にいると全体を俯瞰出来るので、有料でも上って良かったと思いました。夢中であれこれチェックしていると、頭上からゼンマイを巻くようなジワジワした音が聞こえました。その後何が起こるのか全く想像付きませんでしたが、突然教会の鐘が鳴り始めました。時計を見たら丁度11時になったところでした。
最後に時報で11回鳴って終わりました。こんなに間近でタイミング良く鐘を聴くことが出来たのはラッキーでした。
11時半になるちょっと前に下に下りました。レイフ・エリクソン像と教会に別れを告げ、その正面の道を歩いてみることにしました。
興味本位で道沿いのスーパーに入り、見るだけでは何なので干し魚など少々買うことにしました。夫は何故かコカ・コーラを買っていました。
同じ道に日本語のメニューを見つけました。漢字の割に片仮名がぎこちないので、日本人ではない人が書いたのかもしれません。
ツノメドリ(Puffin)の絵がかわいらしいみやげ物屋で、馬が好きな姪にぬいぐるみを買ってやることにしました。アイスランド馬という、1,000年位前にノルウェーからの入植者達が連れてきた馬が有名らしいです。

それから「TIGER」という雑貨店があったので、何となく見ました。小洒落た100円ショップのような雰囲気で、夫は植木等キット用にいそいそと付け髭(右の写真の左下)セットを購入しました。それだけではあまりにアホらしいので、丸いビスケット状のチョコがけライスパフを付けました。

12時半を過ぎてちょっとお腹が空いたので、地元っぽいカフェに入ることにしました。本屋と併設のようで、後ろには書棚がありました。
「本日のスープと自家製パン(Súpa dagsins með heimabökuðu brauði)」(990クローナ)は何なのかウェイトレスに尋ねたところマッシュルームとのことで、熱々で出て来た濃厚なクリームスープは絶品でした。アイスランド語は見てもそれが何を意味するのか全く想像がつかないので、メニューに英語が併記してあったので助かりました。
店を出て中心部に戻る途中に歴史的そうな建物があったので、裏の方から撮影しました。後で調べたら首相のオフィスと政府の本部が置かれている場所(Stjórnarráðið)だったようです。
「飛鳥U」に戻るシャトルバスは12時のが出た後は14時までなかったので、もうしばらく時間があります。足の向くまま適当に歩き、寒いので時々建物に入り、寄港地マグネットもこの辺りで購入しました。
時間になったのでシャトルバス乗り場に戻り、無事バスに乗り込みました。アイスランドは火山国で、ユーラシアプレートと北米プレートの境目が見られる場所や、ブルー・ラグーンという温泉が有名でオプショナルツアーも出ていましたが、1日しかない場合はやはりまず市内かなと思いました。
寄港する前に図書室でガイドブックを一読した際、クリントン大統領も食べたという絶品ホットドッグが紹介されていたのですが、場所を控えもせずすっかり忘れていたところ、バスが動き出してすぐ右にそれらしき物「Baejarins beztu pylsur」がありました。今頃気付いてももう遅いのですが、こんなに手軽な場所にあるのなら予めちゃんと調べておけば良かったです。
10分程で岸壁に戻り、建物にあった土産物屋で親戚へのみやげ物を買うことにしました。世界一周クルーズではどの寄港地で買えばいいのか迷いますが、この後の寄港国(アメリカとメキシコ)は珍しさがないのでアイスランドで調達することにしたのでした。当地名産であるシリカ(二酸化珪素)入りのバス&ボディーオイル(3,500クローナ)です。税金もユーロで還付してもらうことが出来ました。
14時45分にフネに戻り、片付けやら身支度やらで30分後に今度はジョギングに出かけました。風邪で体調が悪い上に、とても寒いのでちょっと迷ったのですが、この後丸1週間は大西洋横断なので陸を走れませんし、ヨーロッパも走り収めだし…、と思ったのでした。
夫が何キロぐらい走るつもりなのか全然わかりませんが、とりあえずレイキャビク中心部の方に向うことにしたようです。
私のスピードが出ないので夫がイライラしているのが手に取るようにわかりますが、出ないものは仕方ありません。30分程海沿いを走ると、先ほど町から見えたコンサートホールと会議場(Harpa)に到着しました。途中撮影で止まったりするので30分走っても全然身体が温まりません。

フェリーかと思った地元の練習船「SÆBJÖRG」のそばまで近寄って、その向こうにいる軍艦を撮影しました。後で調べたらデンマーク海軍のフリゲート艦「ヴィービョルン(HDMS HVIDBJØRNEN F360)」でした。

左折して町の方に入って行くのかと思いきや、ここで引き返しでした。16時の数分前でしたが本船のいる場所がもの凄く先ということだけ見えるのが苦痛です。
行きにチェック済みでしたが、フネのオブジェがあったのでミニ三脚を使ってセルフタイマーで撮影することにしました。凄く遠くの「飛鳥U」も米粒のように写ったのですが、毎度非協力的な夫が嫌そうな顔でした。
太陽が低く、影が十分長いのですが日没は7時間も後なので日が傾いた感じは全くありません。淡い青空をしっかりと目に焼き付けつつ本船を目指します。
アイスランド語に関しては全く無知で、レイキャビクに来るまで英語やドイツ語のアルファベットにはないÆ(小文字æ)やらÐ(小文字ð)、Þ(小文字þ)ことも知りませんでした。
帰りも約30分でようやく戻って来ることが出来ました。先に行ってしまっていた夫が、岸壁のそばにある駐車場でダッシュを繰り返していたので、寒い中終わるのを待ってフネの全体が見える位置まで行きたいと伝えました。度重なる撮影とこの最後の待ちですっかり身体が冷えてマズい感じです。
真横の吹流しがすべてを物語っていますが、海の近くは特に風が強くさっさと撮影を済ませなければ発熱してしまいそうです。

ということで結果的に翌日診療所行きという代償を払った、レイキャビク港の「飛鳥U」です。

それから、灯台のドアの取っ手に小型三脚を巻き付けてセルフタイマー撮影も敢行しました。海辺の写真は髪の毛が大変なことになりがちです。
船を撮影するためには、意外と長い距離を移動しなくてはなりません。
やっとターミナルに戻り、もう一度みやげ物屋を軽くチェックしました。最終帰船は18時で、まだ1時間ちょっとありますがもうあまり人がいませんでした。
ということで、17時10分前に本船に戻って来ました。日本を出てからアジア、アフリカ、ヨーロッパと約2ヶ月かけて周ったクルーズも、次はいよいよ大西洋横断です。
本船の7デッキにある温度計をチェックすると6℃で、このクルーズ中で一番寒い陸上での一日でした。
大浴場に行くのも面倒臭く、部屋のバスタブにお湯をはって入ることにしました。そしてビールが飲みたくないという悪い兆候が出ていたので、酎ハイを飲むことにしました(本当に体調が悪いとそれすらも飲みたくなくなります)。ケープタウンで買ったポテトチップスを食べる元気もありました。

19時になりましたがプールサイドでのボン・ヴォヤージには参加せず、左舷付けだったので部屋から出港を見守りました。売店の人達が出て来て、アイスランドの国旗を振っていました。

5月11日のリスボンから今日まで約3週間、8カ国9つの港を巡る、ヨーロッパクルーズが終わろうとしています。
先ほど本船を撮影しに行った、防波堤を交わしました。

出港から15分ぐらい経ちどんどん海岸線から遠ざかっていきます。遠くにハトルグリムス教会も良く見えました。

本船が速度を上げ、引き波が大きく白くなりました。30分程で出港ワッチを開き、そろそろディナータイムです。
ダイニングの入口に地元アイスランドのビールが飾ってあったので、いつもサーブしてくれるウェイターのエンジェルさんに注文すると「売れ行きが良くて2回目の食事の人用にはあと7本しか残っていなかったけど、チェックして来ますね」。無事出て来た「VÍKING Gylltur」はアルコールもちょっと高めの5.6%だったので、彼から「ラッキーですネ」と言われました。
本日の料理は和食です。

先附 菜の花ベーコン炒め

お造り サーモン和風マリネ
蒸し物 茶碗蒸し  穴子 百合根 蒲鉾
煮物 帆立大船煮  大豆 人参 南瓜 蕗

私は今日は普通盛り(左)にしましたが、夫は元気にエクストラポーション(右)です。

エクストラポーションについては「何でも言ってみるものだ(2011年5月30日)」
揚げ物 椎茸の肉詰め アスパラベーコン巻き 盛り合わせ
汁物 鰯つみれ 若布 赤出汁汁仕立て

白御飯

香の物
デザート 紫芋ケーキと胡麻豆乳ケーキ
食事中の20時20分過ぎ、虹の下の部分が見えていました。このような自然現象も、もう何度も見ていると段々テンションが上がらなくなるのは贅沢なことです。
毎度一生懸命考えて洋物のスタンダードをリクエストするので、ラグーナ・トリオの人達ともすっかり顔見知りになりました。
2回目は人数が100名程度と少ない上、皆私達より早く食べ終わって帰ってしまうので、食事が終わる頃にはこんなに寂しい感じです。
次の寄港地はいよいよニューヨークです。この文字を見るとどうしてもフランク・シナトラの名曲「New York New York」が頭の中に流れてしまいます。
アイスランドの陸はまだ見えています。自力観光で疲れたのと、風邪がひどくなりそうだったので21時半には就寝しました。が咳がひどくなってあまり眠れませんでした。今晩は時刻改正があるので、目が覚めるまでに1時間だけ得をします。