45日目 5月17日(火) アムステルダム 入港8時20分 出港17時10分 日出5:42 日没21:35
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括オランダ語通じるユーロほぼ中心部9:00〜アムステルダム中央駅前
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
14℃52-23N 004-55E西2m/sなし ---0km399周230km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ-カジュアル五島うどん洋食和食
アムステルダムの入港は8時の予定が、7時過ぎに起きたところ、まだ普通に運河を走っていて港に入る気配はありません。と、船長から、港が混雑しているため入港が1時間半ほど遅れて9時半になる見込みであるとアナウンスがありました。
昨日のドーバーに続きまた遅れるのは運が悪いような気がします。オプショナルツアーの出発時刻他についてはまた追って連絡をします、とのことでツアーオペレーションの人達は大変だろうなぁと思います。アムステルダムは雨模様で、灰色のどんよりとした空の下本船は7ノット程でゆっくりと進んでいます。
8時までに「アマデア」乗船用の荷物をドアの外に出しておけば、本船のスタッフが「アマデア」に運んでくれるのですが、まず食事にと部屋を出た7時20分頃には他の人たちが既に荷物を出していたのでちょっと焦りました。
朝食は11Fで、まだ完全復調とは言えないのでお腹に優しそうなスープ、バナナ、ヨーグルトとドーナツをセレクトしました。
深田サルベージ建設のデッキ・バージ「Ocean Orca(オーシャン・オルカ)」がここまで遠征していました。この台の部分にフネを載せて運ぶことが出来ます。
もうちょっと船舶ワッチをしたかったのですが、荷物の最終版を作らなければなりません。作っている最中、8時ちょっと前に他の荷物を持って行く音がして焦りましたが、結局8時2分ぐらいに出すことが出来ました。少々遅れても大丈夫だろうとは思っていましたが、5分後に見たら無事荷物がなくなっていたのでホッとしました。
変更後の入港予定は9時半の筈ですが、8時前にフネが回り始めました。もう着きそうな雰囲気です。

完全に回頭を終えて左舷付けするようです。雨は止む気配がありません。

アムステルダムは流石海運国だけあって、ラインズマンも機敏に動きビットにも番号がふってあって機能的でした。結局当初の予定より20分遅い8時20分に着岸しました。これぐらいなら誤差の範囲です。
岸壁はすぐそこが市街地みたいで、その向こうに鉄道も見えています。平日なので通勤用と思われる電車もひっきりなしに走っているのが見えました。
ドイツのケルンを拠点にしている1AVista社の「VISTA PRIMA」が出て行きました。伝統的なバーゼル−アムステルダム間のライン川クルーズもやっているようです。
クルーズ・ヨーロッパ社の「BOTTICELLI」は船籍港がフランスのストラスブールになっていました。ルーアンにいた「SEINE PRINCESS」と同じ会社です。ちょっと前まで「小さいフネは興味ない」と言っていた夫ですが、ヨーロッパに来て数多くのリバー・クルーズ船に触れ、少しは興味を持ってくれたようです。
赤い車両はタリス(THALYS)と呼ばれるフランス、ベルギー、オランダ、ドイツ間を運行する高速列車です。異なる電化区間を通りますが、この車両はドイツまで行けるタイプのようです。
9時半のシャトルバスに乗るため、9時25分に下船すると「アマデア」に乗船するツアー客用の荷物が本船から降ろされているところでした。
アムステルダムは有名な国立美術館とゴッホ美術館を巡るツアーも用意されていて、レンブラントの「夜警」などは見るべきだと思うのですが、夫は美術関係に興味を示しません。私は以前来た時両方とも行ったのでそれ程固執しませんでしたが、残念は残念です。アムステルダムの必見ポイントだと思います。
バスは通勤ラッシュのためかちょっと渋滞を通ったので、アムステルダム中央駅まで20分ぐらいかかりましたが直線距離なら1kmぐらいだと思います。この駅は東京駅のモデルになったとも言われていましたが、そのような事実はないようです。レンガ造りで雰囲気は良く似ており、姉妹駅になっているそうです。
30年前に実家の家族で駅前にあるホテルに宿泊し、駐車しておいたボルボ(244DL)が車上荒らしの被害に遭いました。そのホテル「VICTORIA」は記憶と同じ場所にまだあり、感無量でした。下船した時には止んでいた雨がまた本格的に降り出したので、カメラ的にかなりきつい状況になりました。
中央駅の目の前にいるのでオランダの列車も見に行かなくては、と長距離と思われるプラットフォームに行きました。昔ながらの行き先案内板によるとスキポール空港やロッテルダムを経由してベルギーブラッセル南駅まで行くインターシティが来るようです。
10分程遅れているようでしたが、大きな荷物を持った乗客と一緒に待っていたところ、10時過ぎに突然「Niet instappen」「Do not board(乗るな)」に変わったのは笑えました。「えぇ〜?」という感じで乗客たちがゾロゾロと移動して行きました。ヨーロッパ鉄道の旅はやはりハードルが高そうです。
代わりに入って来たのは、オランダ鉄道の黄色い機関車に引かれた客車列車で、ここアムスデルダムが終点のようでした。

ドイツ国鉄だった時代のロゴそのままの「DB(Deuctche Bundesbahn、現在はDeutche Bahn)」車両の隣はオランダ鉄道のものです。この後ろには寝台車が連結されていました。
簡易寝台車は独英仏語で「Liegewagen」「Couchette Car」「Voiture-couchettes」と書かれています。その後ろはポーランドの寝台車「EN JAN KIEPURA」で「WAGON SYPIALNY(寝台車)」のほか露、独、仏、伊語でも書いてありまました。
モスクワからのロシア車両も連結されていました。ワルシャワ、ベルリン、ハノーファー、ドルトムント、ケルン、ユトレヒト等を経て2,000km以上を1日半かける行程です。ヨーロッパの列車はよく間違えないなと感心する程、途中停車駅で繋いだり離したりすることを思い出しました。

「Kiosk」は万国共通です。結局30分近くここで鉄道ワッチをしてしまいました。
この後、特に何もなかったので「確か前回もダム広場に行った」と思い、駅からダムラック通り(Damrak)を南下することにしました。途中立派な建物があるなと思ったら「ベアース・ファン・ ベアラーヘ(Beurs van Berlage)」と書いてあり、これは旧証券取引所で1900年頃の建築だそうです。
そこから200mほど歩くとダム広場(De Dam)です。振り返ると先程見た旧証券取引所の立派な時計塔が見えていました。
ダムラック通りとダム広場の角にデパート「De Bijenkorf(バイエンコルフ)」があります。1870年創業ですが、この建物は1910年代のものです。イギリスの老舗デパート、ハロッズ(Harrods、1834年創業)のような雰囲気かもしれません。

広場に入って左側には戦没者記念塔があり、正面右には有名なマダム・タッソーの蝋人形館があります。マダム・タッソーと聞くと行ってみずにはいられない性分なのでそれとなく打診しましたが、瞬殺されました。

戦没者記念塔の反対側のエンドには王宮があります。もとは1665年に市庁舎として建造された建物だそうです。駅を出た時には本降りだった雨が、ちょっとだけ弱くなり写真が撮影しやすくなりました。
王宮の隣には「新教会(Nieuwe Kerk)」がありました。とても古そうなのですが、以前の教会が手狭になり15世紀に新たに立て替えられたもの故この名前になっています。

1655年に建造された立派なパイプオルガンがあり、時々コンサートが開かれているようです。中に入るには入場料(€8-)が必要だったため、脇から覗いて見ると金ピカの物が見えていました。

教会を通り過ぎて路面電車の走るニイヴェセイズ・フォーアバルフヴァル(通り、Nieuwezijds Voorburgwal)の向こうにディ・ポート・ファン・クレーフホテル(Die Port van Cleve Hotel)が見えています。後でわかったことですが、ここは1864年にハイネケン(G.A.Heineken)が最初に醸造所を開いた場所なのだそうです。運河だったこの前の道が開発で埋め立てられたため醸造所は移転し、残った場所がビアハウスになってバー、レストラン、ホテルと業務を拡大したそうです。
並びにショッピングセンター「マグナ・プラザ(Magna Plaza)」があります。1899年に王立郵便局として立てられたネオ・ゴシック様式の建物です。寄港地マグネットは先程ダムラック通りにある土産物店で仕入れました(4ユーロもしたけれど)が、何か面白い物があるかもしれないと思い覗いてみることにしました。
中は専門店街になっていて、独立した小さな店が沢山並んでいました。チーズ屋さんが名産のゴーダチーズを置いていてオランダっぽかったですが、それよりも建物の吹き抜けと贅沢な造りに圧倒されました。

収穫なく「マグナ・プラザ」を後にし、ちょっと目に留った食料品店をチェックしたら普通サイズのパック寿司が€4.95、Rice Wich tempra(推定天むす)が€2.50と割高でしたが、売れ行きは上々でした。時刻を見ると11時15分になっており、12時のシャトルバスで帰るにはそろそろ引き返さなければなりません。
駅の方向を目指したら何となく古いイイ感じの商店街があったのでその道で行くことにしました。道の名前を見たらニューヴェンダイク(Nieuwendijk)と書いてありました。
通りにあったリカーショップには日本のウィスキーのコーナーがあり、かなりのスペースを取って陳列されていました。ニッカの余市(シングルモルト)や竹鶴(ブレンディッドモルト)17年、サントリーは響17年(ブレンディッド)と山崎10年(シングルモルト)が見えました。山崎、響、竹鶴は権威あるWWA(World Whisky Awards 2011)でそれぞれのカテゴリーの世界最高に輝いているので知名度が高いのかもしれません。
と、このリカーショップも雰囲気あるなぁととりあえず写真を撮影しておいたら、1710年からオランダのスピリッツを造って販売している「H. P. de Vreng en Zonen」という店でした。ここではジンの原型とも言われるジュネヴァ(Genever)も作って売っていたようです。このような老舗で日本のウィスキーが取り扱われるのは嬉しいことです。
この辺りで本船のダンス教室の先生夫妻と会い、シャッターを押してもらってからシャトルバス乗り場に戻りました。

と、ここで思いがけない知った顔がありました。1年前の夏にホーランド・アメリカの「ウェステルダム」に乗りに来た時、ロッテルダムでガイドをしてくれた男性でした。
帰りは渋滞がなく、10分ぐらいで岸壁に戻りました。シャトルバスは何台か用意されているので、時間にならなくてもある程度集まれば出発してくれました。
そして岸壁には「アマデア」(AMADEA)が着いていました。2006年に生まれ変わったばかりのアマデアを横浜の大桟橋で見ましたが、そのフネにこうしてヨーロッパで再会しました。
部屋に戻らずそのまま昼食に突入しました。メニューは野菜あんかけ五島うどんと牛蒡サラダでした。昨日ドーバーでお腹の調子が悪くあまりまともに食べていなかったので、お腹に優しいうどんは有り難かったです。
そしてデザートは本体は普通の饅頭なのですが、飛鳥クルーズのマークが入っているスペシャルバージョンでした。
部屋に戻って寄港地マグネットを張り付けました。アムステルダムの家並みにAmsterdamと書いてある、デルフト焼き風のタイルを模したマグネットです。
「アマデア」の乗船受付は13時半からで、まだちょっと間があります。本船から滅多に見ることは出来ないであろう「アマデア」の後姿をチェックしに行きました。
12時半を過ぎ、オプショナルツアーの人たちが戻って来ました。夫が今更ながら中心部の地図を見て「レンブラントの家とかアンネ・フランクの家になら行っても良かったな」と言うのに少々ムっとし一時険悪な雰囲気となりました。事前に確認した時には「全く興味がない」とこのことだったので、散策ルートをダム広場程度に留めたのでした。

13時半になり私はさっさと下船したかったのですが、混雑嫌いの夫は「今行っても大変だろう」と言うので30分程ずらすことにしました。1ヶ月半過ごしてしっかり生活感が溢れている我が家を離れるのは僅か3日間とは言え寂しく感じます。

昼を過ぎてようやく完全に雨が上がったようです。今日はともかく、明日のキール運河通航時には是非晴れていてほしいです。
14時に「 飛鳥U」を下船しました。「アマデア」はすぐそこにいるのですが、一旦岸壁の外に出ていかなければならないよょうです。
下船して「アマデア」に寄った写真を、と思ったのですがセキュリティーの関係か「これ以上は行かないでくれ」と現地の係員に止められました。「どうして?」と聞いたら「危険だから(It's dangerous.)」と言われました。
キャビンを見上げます。ギャングウェイの左端から2つ目の9階の部屋が多分私達の部屋です。
それから一旦「飛鳥U」のいる岸壁を後にし、「アマデア」のいるターミナルを目指しました。
この続きは ==> アマデア(初代飛鳥)で航くキール運河2泊3日@