44日目 5月16日(月) ドーバー 入港10時50分 出港17時 日出5:03 日没20:39
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括英語-ポンド中心部から2km変更後不明マーケット広場
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
曇り14℃51-07N 001-19E南南西10m/s少々 ---0km399周230km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
--プリンセス オブ ヴァイオリン コンサートカジュアルカツ丼洋食洋食
昨日ルーアンを出港する時のボン・ヴォヤージュで、中村元船長がドーバーのホワイトクリフ(ドーバーの白い壁)は6時頃が見時だと言っていたので、目覚ましは気合の5時50分に仕掛けました。ルーアンで久しぶりに陸を走ったせいか身体中が痛く、いくら頑張って走っても前に進まない変な夢を見たりして、時計より早く目覚めましたが壁の気配がありません。
モニターを見たら速度は14ノットぐらいしか出ておらず、変だなとは思いましたがとりあえず再度寝ることにしました。ウトウトしていると7時ちょっと前に船長の放送が入り、昨日のセーヌ川の逆流が強すぎて思ったスピードが出ず、その後一生懸命走ったがドーバーのパイロットステーションに到着予定の7時半までに着けず、ドーバーは潮流が大きくなる8時から10時まで入港禁止になるため、近くまで行って錨泊するということでした。
本来ドーバーには8時に入港予定で、20km離れたカンタベリーに行くツアーがあるので調整が大変そうです。9時半までに対応を決定しアナウンスするとのことでした。それから土地鑑のあるイギリスでは、郊外のスーパーにでも行こうかとレンタカー予約を考えたのですが、結果的には予約しないで良かったです。
この後夫は7時になったら朝食に行くと言うのですが、私はお腹の調子が悪かったのでとりあえず部屋に留まることにし、そのうちまた気絶してしまったようです。後でわかったのですが、夫は昨晩あった時差調整を間違えたらしく、時計を1時間遅らすべき所を1時間進めてしまい、7時を9時だと思っていたそうです。

8時半に再度目覚めるとドーバーの白い壁が見えていました。
まだ食欲が出ないのでぼんやりとホワイトクリフを眺めていると、サウス・フォアランド灯台(South Foreland Lighthouse)が見えていました。ナショナル・トラスト(The National Trust)に管理されているこの灯台は、1730年からこの場所にあり、今の建物はビクトリア朝の1840年に立てられたものだそうです。
DFDS Seawaysの「DUNKERQUE SEAWAYS」が見えました。DFDS(Det Forenede Dampskibs-Selskab = The United Steamship Company)はデンマークの会社で、このフネはドーバーとフランスのダンケルクを約2時間で結ぶフェリーです。
9時半頃、ようやく11F「パーム・コート」に行って夫と合流することが出来ました。お腹の調子が悪いのは朝早くの正露丸で回復した模様ですが、体調が今ひとつなので、上陸時間が短くなったのはやや幸いな気もします。ドーバーでのオプショナルツアーについては9時半頃対応がアナウンスされる予定でしたが、1時間繰り延べになりました。
10時頃パイロットが乗船したようです。私達も防寒してから入港ワッチのため11Fのオモテの外に出ました。風が強いのでとても寒く感じます。遠くにはフェリーが沢山いるドーバー港が見えていました。手前に「SEA FRANCE」、奥に「P&O」が2ハイずつ接岸しています。
手前が「SEAFRANCE NORD PAS-DE-CALAIS」で元はSealink社の列車フェリーとして1987年に建造されたフネです。奥は2005年出来の「SEAFRANCE BERLIOZ」で25ノットの快速船です。SEAFRANCE社はこの後2011年12月に破産しフェリーのオペレーションを終了しました。

本船「飛鳥U」は段々と港に近づいています。P&Oの方は1パイ出て行きました。船名は「Pride of Kent」、KENTはドーバーが属するケント州です。

残っている方は2009年出来の「Spirit of Britain」で、姉妹船の「Spirit of France」と同様ドーバー海峡横断フェリーとしては最大の210m×31mを誇っています。どちらも行き先はフランスのカレー(Calais)です。フネの奥の丘の上にはドーバー城もはっきりと見えていました。
本船は港内でこれらのフネを次々に交わし、更に奥に進んで行っています。車両甲板に大きな開口部を持つ日本のフェリーとは外観が異なりますが、フェリーはやはりハコっぽくて働くフネ感が漂っています。

ツアーについてはこの頃アナウンスがあり、「ドーバーとカンタベリー1日観光」はカンタベリーなしのツアーとなり、午前中出発予定だったツアーはすべて午後出発に変更とのことでした。
本船は東側から港内に入り、一番奥である西南の岸壁に近づき、フネを回し始めました。
そして予定より3時間遅れの11時に出船右舷着岸しました。灰色の雲が低く垂れ込めた英国らしい天気ですが、折角来たのに残念な感じです。

1年前にホーランド・アメリカの「ウェステルダム」で英国周遊した時、イングランドでは英国の商船旗(赤地の左肩にユニオンジャック)が掲揚されていたのですが、本船ではユニオンジャックが掲揚されていました。

調子が上がらず朝から何も食べていなかったので、流石に空腹になり秘蔵していた4月のイースターでもらったウサギのチョコレートを食べることにしました。
ドーバーは5年前の夏にドライブ旅行をした際、ルートに組み込んであったのですが、フェリー乗り場もドーバー城も夫が全く興味を示さなかったため素通りしてしまいました。キャビンから見えていますが今回も興味はなさそうです。
市内をブラブラするつもりで、下船準備が整い次第降りて行く人や、ツアーの人達がすべて降りた頃を見計らって12時半頃下船しました。
舷門はボーティングブリッジと直結していて、通路を進むと割と殺風景なターミナルがありました。
両替所、レンタカー用電話など整備されていて、クルーズ客用に整備されていることがわかります。観光案内所もあったので、そこにいたおばあさんにシャトルバスの行き先近くにTESCOのような大きなスーパーがあるか質問しました。昔取った杵柄かイギリスでは躊躇なく話しかけることが出来ます。大きいのは郊外にしかないが、徒歩圏にコープがあるわよ、とのことでした。
私達のいた「Cruise Terminal 2(クルーズターミナル2)」から町の中心部までは10分ちょっとかかりました。シャトルバスは9時半、10時半、13時半の3本だけが運行される予定でしたが、入港遅れにより人が集まったら出る随時運行に変わったのはラッキーでした。
いきなりスーパー系に行くと買物嫌いの夫が拒絶反応を起こす危険があったので、とりあえず広場から見えたドーバー博物館に入ってみることにしました。
ここの一番のコレクションは約3000年前の青銅時代の船で、1992年に発掘されたものだそうです。考古学的にも価値が高く、知られている中では世界で一番古い海洋航海用のフネだと書いてありました。そうなのかもしれませんが、黒っぽい船様のものが保護のためか薄暗い部屋にありとても地味でした。
青銅時代のフネ以外にもドーバーの歴史がよくわかる展示で意外と面白かったです(写真は初期のドーバー港の様子。飛鳥Uが着いた岸壁は昔からあったようです)。
ここのミュージアム・ショップで「DOVER」と書いてあるそれらしいマグネットを買おうと思っていたのですが、それなりに数はあったのに展示を見終わったらすべて売り切れていました。ユニオンジャックが下地に入ったわかり易い図柄だったので、お土産に丁度良いと同じ飛鳥Uの乗船客が沢山買ってしまったのだろうと思いました。ここで得た教訓は「買おうと思ったものはその場で買う」でした。
気を取り直して目抜き通りらしい所を行くと、古い教会「St Mary's Church」がありました。11世紀からある古い教会です。たまたま本船のカメラマンの女性が通ったので図々しくも撮影をお願いしました。流石プロは構図を決めるのが上手でした。
それからスーパーを探しているうちに、地元イギリスの文房具と雑誌店「WHSmith」があったので、懐かしさから思わず入りました。船内紙「アスカデイリー」をファイルするバインダーが欲しかったのですが丁度良いのはありませんでした。「WHSmith」はイギリスに住んでいた頃、家の近くのブレント・クロスショッピングセンターにあったので、毎週の様に通っていたのでした。

夫がジリジリして来ましたが、雑誌を買おうと長考に入りました。乗り物好きな国民性なのか、列車雑誌だけでも8種類、モーターボートも8種類、この他何とトラクターの専門雑誌までありました。悩んだ末に「Cruise(クルーズ)」「Ships Monthly(月刊 船)」「Astronomy(天文学)」の3冊を購入しました。

それから教えてもらったコープではなかったかもしれませんが、「Cost Cutter」という地元スーパーに立ち寄りました。「WHSmith」で待ちくたびれた夫には「公園に行っているから」と冷たく放置されてしまいました。そういう心配は必要なかったのですが、最終下船の時にまた段ボールを組み立てるためのガムテープを持ってこなかった、と梱包用のビニールテープと、それから「アスカデイリー」等を綴る用に紐と、それだけでは寂しいのでキャドバリー文化圏の総本山のチョコ(Cadbury Dairy Milk)を購入しました。
会計を済ませ、小走りで夫の待つ公園に行き、ひたすら気を使います。買物嫌いなので仕方ありませんが、この時に苦労して買った雑誌を後日ブログのネタにした時には「それだったら私の怒られ損では…」と思わず抗議しました。

「現存最古クルーズ船(2011年6月8日)」

夫が急に空腹になり、手近にあったスタンドでホットドッグ(£2)を買い求めました。私は今朝の不調からまだ固形物はやめておこうと一口だけ味見をしました。炒めた玉葱が甘くて美味しく、アメリカで食べるタイプとは一味違いました。

近くに肉屋があったのですかさずチェックをすると、丁度「リブアイステーキを2枚買うと1枚タダ」というセールをやっていました。値段は1kgあたり£20.99、1ポンドあたり£9.52と併記してありました。この日は£1が130円ぐらいだったので、100gあたり275円ぐらいです。和牛とは別物ですがやはり安くて羨ましいです。
そろそろフネに戻ろうということで、そういえば紅茶を飲んでいなかったとシャトル乗り場近くのマーケット・スクエアにあった「Dickens Corner」といういかにもイギリスらしい名前のカフェに入りました。「Can I have a cup of white tea to take away ?(持ち帰りのミルクティー下さい)」は完璧なイギリス語だったのではないか、と思わず自画自賛が入りました。
イギリスの水は硬水なので、日本だと赤っぽい紅茶が、同じ茶葉でも黒々とした色になるのです。が、ミルクティーにしてしまったためよくわかりませんでした。コーヒーのバリエーションが増えたようですが、やはり紅茶は日本でいう緑茶の位置付けで、イギリス人にとってなくてはならないものだと思います。
しばらくしたらシャトルバスがやって来たので、紅茶を飲みながら船に帰りました。12時半に下船して、15時過ぎに戻ったドーバー散策でした。歴史的に価値のあるドーバー城に行かなかったのは少々勿体無い気もしますが、最初に案内所で「入場料はいくらなのですか?」「13ポンドよ」「えー、それはちょっと高い…」「私もそう思うワ…」というやり取りもあって、つい気が乗らなかったのでした。

部屋に戻ってまたフェリーワッチです。朝に見たP&Oの「Sprit of Britain」は向きが変わっていたので、一往復して来たのでしょう。それから「SEAFRANCE RODIN」が出て行きましたが、これは朝に見た「SEAFRANCE BERLIOZ」の同型船です。
今度は「SEAFRANCE NORD PAS-DE-CALAIS」が戻って来ました。英仏海峡トンネルが出来たとは言えこれは鉄道専用なので、フェリーはやはり重要な交通手段です。
まだ本調子ではなく、自分としては動きが悪かったのですが、出港の17時近くなったので折角だからと11Fのボン・ヴォヤージに行きました。クルー達はビートルズを意識した衣装です。
と、夫が出港を待たずに「リド・グリル」に行ってしまったので慌てて追いかけ、タコヤキなら食べられそうと注文しました。大事を取って固形物の中でもしぶとそうなタコはやめておきました。
DFDSの方は「DFDS DOVER」が待機していました。1980年代の前半イギリスに在住していた頃は、ホーバークラフトのサービスもありましたし、そもそも運行会社は「Sealink」か「TOWNSEND THORESEN」だったような気がしますが、英仏国鉄の子会社だった「Sealink」はイギリス部分が「STENA」、フランス部分が「SEAFRANCE」になり、「TOWNSEND」は「P&O」に継承されたようです。
入ったのと同じ東の防波堤を交わし、港外に出ると同時にパイロットが下船しました。
昼間は時々日が差したりもしましたが、今は厚く雲に覆われ風もかなり強く寒く感じます。朝は撮ってもらい損ねたので、カメラマンをつかまえてホワイトクリフと一緒に撮影してもらいました。
まだ本調子でなかったせいか、30分ぐらいで部屋に戻り、バルコニーに出て白い壁をバックにタイマーで何枚か撮影を試みました。カメラマンの写真と違って出来栄えをすぐ確認出来るのがポイントですが、1枚にセット時間とタイマー分合わせて20秒ぐらいかかるので、夫の協力は2枚が限界です。
珍しく部屋のバスタブに湯を張って温まったらちょっと良くなった気がします。19時過ぎ、遠くに客船の姿が見えました。船腹に大きく「Mein Schiff(英語だとMy Ship)」と書いてあることからドイツの旅行会社TUIのクルーズ船だとわかりました。夫は「確かセレブリティ・クルーズが「セレブリティ・マーキュリー」を売船したのじゃなかったかな」と言っています。

後日調べたところ、このフネはまさしく旧セレブリティ・マーキュリーでこの前の日5月15日に「マイン・シフ 2」としてデビューし、記念すべき処女航海中の姿でした。
左は2008年の夏に乗船した「セレブリティ・マーキュリー」のシトカでの姿です。一度乗船したフネが名前を変えて再出発する姿(その時はわかりませんでしたが)を見られるのは凄い確率です。15日にハンブルクを出港し、17日に英国のサザンプトンに入港予定でした。

2008年セレブリティ・マーキュリーのアラスカクルーズ乗船記
終日航海日は午前中の方が混んでいるらしいのですが、上陸日の夜は洗濯機も乾燥機も割りと込み合います。明日から本船を離れ、2泊3日で旧飛鳥の「アマデア(AMADEA)」に乗船するツアーに参加するので、洗濯物は残せません。
それから2泊3日分のパッキングもしなければならないため、19時からのショーはスキップしてついでにPC回りの作業も行います。ワード・エクセルの入ったPCは持って行った外付けHDDを接続可能です。
20時頃、パッキングをする気分にならず、ドーバーの写真を見に6Fまで降りて行きました。寄港先の国旗は左から順にオランダ、ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、アイスランドとヨーロッパシリーズの最後の国まで飾られていました。
5Fフロント前のラウンジで日本の新聞を読んだ後、夕食をスキップしてタコ焼きしか食べていなかったため、11F「パームコート」でコーヒーを注文しました。20時40分までバンド「ナマナ」の生演奏タイムだったのに、誰もいなくて気の毒になったためジルバで1曲だけ踊ってみました。
21時を過ぎてもこの明るさです。「アマデア」では2日ともドレスコードがカジュアルなため、それ程悩む必要はないのですが、パッキングになぜか時間がかかります。が、明日の朝の8時には(時刻改正があるので感覚的に7時には)荷物をドアの外に出しておかなければならないので頑張るしかありません。
2時間ぐらいかかってパッキングを終えました。準備はしましたが、1ヶ月以上過ごしたキャビンを離れるのはすっかり面倒になってしまいました。
23時20分頃、本船は北海を19ノット出して走っていました。明日「アマデア」の乗船時刻は13時半から15時の間なので、午前中はアムステルダムをブラブラする予定です。