パシフィック・ドーン 南太平洋クルーズ乗船記 (2010年2月20日)
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8日目 ブリスベン(ポート・ビラから1,033nm) 入港6時 | |||
下船の緊張からか、目覚ましが鳴るずっと前の5時過ぎに夫が起きたようです。フネはすでにブリスベン川に入っていて、「Visy Paper」の工場が見えていました。 | |||
そして始まったばかりの航海にワクワクしながら通過した「ゲートウェイ・ブリッジ」を、反対側からくぐりました。わずか1週間前のことですが、随分時間がたったような気がします。 | |||
じわじわと夜が明けていき、ブリスベンの市街地も見渡せるようになって来ました。本船は行き足を止めこのまま右舷着岸しそうです。 | |||
6時より前に着岸したようです。この頃ようやく私は起床し、身支度を整えました。 | |||
6時10分頃、バンカーバージが燃料補給のためにやって来ました。本船は本航海「W007N Week Fantastique」を終えた後、14時に出港します。次航「W008N White Cloud Wonder」は14日間でニュージーランドを1周して戻って来ます。 | |||
私達の下船の順番「茶色4」は6時55分までに7F「インターナショナル・ショー・ラウンジ」に行く必要がありますが、スイート客用にはVIPラウンジとして7F「ベンガル・バー」が用意されていると事前に案内の手紙がありました。朝食は5時から12F「カフェ・デル・ソル」で食べられますが、あまり朝早くは食欲がないので、6時半頃部屋を引き払ってVIPラウンジに向かいました。 | |||
おなじみのベンガル虎が睨みをきかせています。この後下船したらクルーズが終わってしまうので、集まった乗客には何となく「あ〜あ」という雰囲気が漂っていました。 | |||
コーヒー紅茶とペストリー類が置いてあったので、ドーナツの様なものを食べることにしました。 | |||
6時50分頃、下船準備が整ったと案内がありました。顔見知りになった隣のスイート客に挨拶をして、「パシフィック・ドーン」を後にしました。 | |||
外国航路だったのでちゃんとした入国審査があると思いきや、それらしい所でパスポート(の表面)を見せると何も見ずに通してくれました。時々ランダムにチェックしているようですが、そういう訳で私達は下船してからタクシーの乗り場まで3分ぐらいしかかかりませんでした。 | |||
7時より前にタクシー乗り場に着いてしまい、これなら8時50分発の成田行きに間に合ったのにと思いつつ、7時半頃の下船+入国審査をイメージしていたので今晩はブリスベンのホテルに予約を入れています。 | |||
クルーズターミナルからブリスベンの市街地へはあっと言う間で、予約したホテルには7時15分頃到着してしまいました。たまたま夫がそのホテルのリピーター会員だったので、早朝にもかかわらず空いている部屋にチェックインしてもらえたのでラッキーでした。 | |||
@下船してまず食べたもの クイーンストリート・モールの地下にあったフードコートにあった寿司パック。とりあえず朝食の続きを、と探すうちに醤油に吸い寄せられました。まる1週間、全く和食っ気がありませんでした。 | |||
Aブリスベンで見たもの 事前に調べておいたQueensland Maritime Museum(クイーズランド海事博物館)まで歩いて行きました。ここのドライドックには退役したHMAS「DIAMANTINA」(オーストラリア海軍のフリゲート艦)が保存されていて、中に入って見学することが出来ます。 | |||
模型は後にP&Oと一緒になる「Orient Line」の「OTRANTO」(1909年)です。本船はヨーロッパ−豪州間のサービスをしていました。 | |||
Bブリスベンで飲んだビール 「Crown Lager」。Victrorian Bitter(VB)と同じ会社のプレミアウムビールのようです。ホテルのラウンジに置いてありました。その前にジョギングで「ローマ・ストリート・パーク」経由「ビクトリア・パーク」の奥のほうまでかなりの距離を走ったので、喉に染み渡りました。 | |||
Cその晩ブリスベンで食べたもの ホテル近くの「SONO(園)」という日本食屋でWagyuのすき焼き(40ドル位)。明日は日本だと言うのに、身体がまだ醤油を欲していました。外人が調理しやすいようにしているのか、割り下が薄めの多めでちょっとびっくりしました。 | |||
【まとめ】 | |||
(英語について) 基本的にイギリス系オージー訛り英語のみのサービスです。慣れないと少々聞き取り辛いかもしれません。 (ダイニングについて) メインダイニング「ザ・パーム・コート」とビュッフェ「カフェ・デル・ソル」ともまぁまぁでしたが、醤油っ気がなかったので下船してすぐに日本食が食べたくなってしまいました。有料レストランの「シーフード&ステーキハウス」はステーキハウスにハズレなしの法則通り。もう1つの「ザ・トラットリア」はアメリカやイギリスで食べるイタリアン、という感じでしょうか。なお、「シーフード&ステーキハウス」はこの後2010年5月にオーストラリアの有名シェフ、ルーク・マンガンがプロデュースする「Salt」というグリルに変わったようです。日本では新丸ビルに入っている高級レストランなので、ブリスベン配船と同時にやってくれれば良かったのに、とちょっと残念です。 (サービスについて) 今回は本船の最高グレードである「AAバルコニー付スイート」だったので、数々の特典がありました。
(船内のデザインと設備について) パブリック・スペースにP&Oの伝統を示すものが数多くディスプレイされ、英国とアジア・オセアニアに永らく配船した歴史を前面に出し、独特のカラーを出そうとしている事が感じられます。よき時代を彷彿とさせる重厚な内装は、好感が持てました。施設ではありませんが下船前日夜に配られた今回の「クルーズ・ログ」は出港、入港の詳細な記録や航海日の正午の位置などが記載されていて、読み応えのあるものでした。 (その他) 当時日本ではほとんど販売されていなかったP&O オーストラリアのクルーズなので、乗船前はどんな船内の様子なのか不安があったことも事実ですが、1週間の乗船で総じて米国のクルーズに準じている事がわかりました。 ただこのクルーズの乗客はほとんどが豪州人(オージー)かニュージーランド人(キウイ)で、外国から何時間もフライトをして来るのはとても珍しいようです。8日間のホリデイのためにわざわざ来たのか、とあちこちで驚かれました。「飛鳥U」や「にっぽん丸」にアメリカ人が乗って来るようなものかもしれません。 乗客はファミリーや若者が中心で、プールの周囲などではやや騒々しい場面も多かったです。大半がクルーズは初回または豪州ベースの「パシフィック・サン」等に乗船した人たちで、P&O本家や姉妹会社のプリンセス・クルーズなど海外でのクルーズ乗船経験者はごく少数でした。イギリス人のサード・オフィサーと話した際には「クリスマスには400人の子供が乗ってきた。イギリスでは考えられない」と言っていましたので、カーニバル・グループの中でも特に若いファミリーが多い様です。 クルーズ海域としては、グレート・バリアリーフや「天国に一番近い島」ニューカレドニアなど、観光資源に恵まれている場所と言えます。P&Oでは姉妹船がシドニーを起点にクルーズを展開していますが、これらで多少の日本食を出し日本人コーディネーターを配置すれば、我々にも魅力あるクルーズ海域になりそうです。特に時差がほとんどないこと、日豪間は格安航空会社が就航していること、空港や町と港のアクセスが容易なことなどから、今後の営業展開によっては日本人にもポピュラーなクルーズになるのではないかと期待しています。【2011年2月記】 |
フィンカンチェリ造船所の銘板 「カフェ・デル・ソル」のサイン 無料の水とネスプレッソマシン 所々に飾られている昔のポスター 8Fにある重厚なライブラリー |