パシフィック・ドーン 南太平洋クルーズ乗船記 (2010年2月16日)

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4日目 リフー/ニュー・カレドニア(ヌメアから102nm) 入港9時 出港17時
朝7時半に目覚ましをかけ、起床してバルコニーに出るとリフー島にかなり近づいていました。しばらく眺めていると入り江に入り、予定より早く8時過ぎにはアンカーしたようでした。ずい分と何もなさそうな島に見えます。

食事は例によって12F「カフェ・デル・ソル」にしましたが、3回目にして漸くどこに何があるのかを把握し、自分の胃腸と相談しながらきれいに持って来ることが出来るようなりました。

今日はフネが既に錨泊していて揺れも風もなかったので、島を眺めながら初めて外で食べました。
今日もいい天気で暑くなりそうです。メインマストには寄港地フランスの旗のほか、イギリスの商船旗、P&O旗、H旗(パイロット乗船中)が鮮やかになびいていました。
ゆっくりしていたので、下船は10時半過ぎになりました。テンダー上陸だと本船の全体像を撮影出来ることが多いのですが、後の方で乗り込んだため、窓から遠い席で残念でした。ちなみに通常の下船の場合はまず7F「ベンガル・バー」でテンダー用のチケットを貰って、コールがかかるのを待ちますが、スイートは「優先テンダー乗船」チケットがあったので、いきなりテンダー乗り場に降りればOKでした。わからず7Fに一度立ち寄ってしまいました。
テンダーを降りるとプーケット(タイ)での上陸を思い出すような感じの桟橋でした。それにしても作り物みたいな海の色です。
そこから道路へあがるまでの間に現地の人たちが露店を開いていました。フランス語圏なので、「ボンジュール」が基本です。
案内板があり、EASO(エアソ)という場所に上陸したことがわかりました。どこに行くあてもなかったのですが、入港する時に岬の上に見えた教会に行ってみることにしました。

何もない一本道を進みます。なぜかオージー達ももくもくとそちらを目指しています。5分ちょっと行くと現地の人たちが暮らす小屋の展示があったので、写真撮影のあと少しばかり寄付をしました。

教会はそこからさらに炎天下を15分ほど、最後はゴツゴツした岩の山道をのぼりつめた処にありました。海上からも見えるようにと丘の上に建てられたので、錨泊している「パシフィック・ドーン」も良く見えていました。

電気も通っておらず、質素な教会でしたが「ノートル・ダム・ド・ルルド教会」と言い、19世紀に出来たものだそうです。西洋人の布教パワーを感じずにはいられません。

丘の上のもう一方は見事なターコイズブルーの海が広がっていました。これだけでも見に行く価値があると思います。
そこから引き返して途中の別れ道からビーチに下りて行きました。オーストラリアにはグレート・バリア・リーフという偉大な観光資源はあるというのに、オージー達が何故ここの珊瑚礁でわざわざシュノーケルをするのかちょっと不思議です。
メインストリートをテンダー乗り場まで戻り、これでもういいやと思っていた所夫がもうちょっと歩こうというので、もう1つの教会まで行ってみることにしました。こちらにもオージー達が巡礼者のようにぞろぞろ歩いて行っています。

10分程で到着しました。こちらは名もない教会のようですが、1898年に建てられたもののようです。

引き返している途中では、逆にオージー(又はキウィ)から「この先に何があるのかしら?」などと質問されました。「小さい教会が」と答えると「あとどの位?」「約500m」「なら行ってみるわ」
テンダー乗り場の露店のところに戻ると、今度は現地のコーラスが披露されていました。ガイドブックによるとここはヌメアのあるメラネシアと、タヒチやフィジーなどのポリネシアの文化が交わる地点だそうで、そう言われればこのコーラスもフィジーのものを彷彿とさせました。
余ったフランを使い切ろうと夫が素朴な感じの船の置物を掴んだので、これは嵩張るし置く場所もないからと、「Nouvelle Calédonie」(ニュー・カレドニア)と書いてあるティータオルに変更しました。
13時ちょっと前に、再びテンダーボートで本船に戻りました。朝は綺麗に晴れていましたが、段々雲が多くなってしまいました。
少々お腹が空いたので、ビュッフェからちょっとつまむ物を持って来て部屋で食べることにしました。外国船に初めて乗った時は、部屋まで皿を持って来るのは何だか行儀が悪い気がしてしまいましたが、今はごくごく普通にあれこれ持って来てしまいます。
その後すぐにジョギングに行きました。船が走っていないので走り易かったですが蒸し暑いのでやっとのことで15周を走りました。
午後から雲っていた中、読書をしにプールサイドに行きましたが、ほどなく気絶してしまいました。
戻ってシャワーをしていると、予定より早く16時20分頃出港するようです。舫いを解いて岸壁から離れる訳ではないので、何となく向きを変えて走り始めました。本船の汽笛は低音でなかなかです。

「パシフィック・ドーン出港時の汽笛」 307KB

恒例のVBと、ヌメアのスーパーマーケットで買ったポテトチップスで遠ざかって行くリフー島に乾杯しました。

今日の食事もメインダイニングで20時の予約を入れていますが、今日はその前にイベントがあります。スイート客全員がキャプテン主催のシニア・オフィサーとのカクテル・パーティに呼ばれているのです。
スイート客として呼ばれる滅多にない機会を逃したくない気持ちと、全部英語で通さなければならない面倒臭さの間で揺れ動きましたが、何事も経験と19時15分に指定された11Fの前方エレベーターの前に集合しました。
ドレスコードは明確に記載がありませんでしたが、一応南国っぽいワンピース、夫は襟つきのシャツを着用した所微妙にOKでした。中にはバリっと張り切った人もいましたし、逆にジーンズの人もいたのでした。
時間が来るとキャプテンズ・ラウンジに案内され、順番にクリストファー・ウェルズ船長との記念撮影がありました。船長に「どこから来たのですか?」と聞かれたので「日本です」と答えると、「では『コンバンワ』と言わなくてはいけませんね」。流石です。
飲み物が適宜サーブされ、ふんだんに料理(手で食べる一口もの)も出てきます。最初はイギリス人女性で、ミッドランドから来たというショップ・デパートメントの人と他愛もない話をし、そのうち夫が情報収集と彼女から「彼が多分電気系統のオフィサー」と聞いた男性に話かけました。エミリオというポルトガル人で、私も後からジョインしました。
小さい頃にブラジルに住んでいた、というと目を細め、じゃあポルトガル語もわかるでしょうと言われたのでポルトガル語で「少しだけ」と答えると、ポルトガル語で「ポルトガル語しゃべるんだねえ」みたいな会話をしました。ブラジルとポルトガル語ネタは珍しさから西洋人ウケします。他にどんなフネに乗ったか聞かれました。
それからもう1組、一等航海士(チーフオフィサー、ユーゴスラビア人)と三等航海士(サードオフィサー、イギリス人)と話しました。若くてハンサムなショーンというサードオフィサーは今日初めて一人で操船を任されたとかで、自分にとってはスペシャルな日だと言っていました。そうしたら先輩の一等航海士が「でももうキャプテンは君に任せないと思うよ」「えっ!」「だってキャプテンはこのクルーズが終わったら船降りちゃうじゃない、アハハ」ちなみに今ブリッジ・チームにイギリス人が多いのは、たまたまだそうです。
招待状には20時までと書いてありましたが、終わる感じでもなかったので「ダイニングの予約があるので」と出て来ることにしました。その前に彼らと記念撮影をしてもらい、年甲斐もなく舞い上がりました。

行く前はどうなることかと思いましたが、思いのほか楽しく過ごせ、良い経験になりました。

entree

  • italian vegetable tart
    goat's cheese(v)


  • cream of chicken and corn soup
夫は野菜が足りないと張り切って前菜を二皿注文しました。entree

  • grilled tuscan vegetable salad
    garlic ciabetta croutons(v)
    (everyday a la carte)
main

  • zucchini-wrapped pacific cod
    dill and lemon butter, new potato and onion stew


  • roasted sea scalops and barbequed pork belly
    capsicum gazpacho, parmesan chips
    (everyday a la carte)
2人席を予約してあったので、無事二人だけで食べられました。カクテルパーティーのツマミが豪華だったので、夕食は軽めにと思いつつ、やはり締めにはデザートが必要です。dessert

  • pstachio and nougat torte
    caramelised apple wedges(v)

夜は14F「ザ・ドーム」でカントリー&ウェスタンナイトだったのですが、見に行って一緒に踊るのかと思ったら、オージー達が全然踊っておらず、誰かが踊る雰囲気でもありません。カントリーが聞こえれば踊らずにはいられないアメリカ人とはノリが違うようでした。
しばらく眺めていて、盛り上がりそうもなかったので22時頃部屋に引き上げました。そう言えば今回のクルーズでは一度もショーを見に行っていませんでした。