にっぽん丸 秋の横浜ウィークエンドクルーズ乗船記(2007年9月17日)

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7日目 横浜 入港10時
8時過ぎに目覚めると、「にっぽん丸」は浦賀水道航路の入口に差し掛かる所でした。いよいよ今回の3連続シリーズ乗船も最終日となってしまいました。8日前「北斗星1号」で上野駅を後にしたのが、遠い過去の様です。夫の心変わりで最後に伊豆諸島周遊のクルーズまで楽しめてしまったのは本当にラッキーでした。
「にっぽん丸」特製パンともしばらくお別れです。
今日は三連休の最終日、浦賀水道航路に行き交う商船や自衛艦はあまりありません。と前方から南下してくる青い色と赤いクレーンのドギツい感じの貨物船があります。ヘンな色〜としばらく望遠のシャッターを切っていましたが、双眼鏡で見ていた夫が突如「あれ〜、あのフネ」と言います。丁度夫が仕事で担当しているオランダの18,000トンの貨物船と偶然行き合ったのでした。連休中も操業するJFEスティールの千葉製鉄所で荷役を追え、次の石炭積み地である極東ロシアに向かう所だそうです。担当する船を休暇中のクルーズ船から眺めるなんて、やろうと思ってもなかなか出来ないことだと思います。
興奮状態で東京湾の風景を楽しみます。これは相当大きなMAERSK LINE(マースク、デンマーク)のコンテナ船ですが、残念ながら船名が読めませんでした。
今回3回目のベイブリッジをくぐってにっぽん丸は定刻に横浜大桟橋に着き、その少し前に到着した飛鳥Uが出迎えてくれました。

休暇を無事取得することが出来れば、ではありますが、次はこの飛鳥Uの「年末年始グアム・サイパンクルーズ」の予約を入れているので楽しみです。

着岸してから15分位で下船の案内があり、名残惜しくも「にっぽん丸」とクルーに別れを告げました。写真はチエンジャー(機関長)とチーフ・パーサーです。
桟橋でスーツケースを受け取り、エレベーターで階下に下りると車が待っています。商船三井客船が近辺の駅まで無料バスを出していますが、やはり歩かずに家まで帰れる車は楽チンです。駐車料金は土曜日夕方から月曜日午前までの2,000円でした。

さて「北斗星」で始まった今回の旅は、「レイル・アンド・クルーズ」、「海外クルーズ」、「片道クルーズ」、「ウィークエンド・クルーズ」とそれぞれ性質が違うクルーズの様々な局面を楽しめた気がします。

レトロ感漂うブルーの車両にロイヤル(個室寝台)、フランス料理のディナーを楽しみ、到着翌日に北海道で乗船というのはとても気分が盛り上がります。将来長崎などを基点にして外国船の定点クルーズ等が催行されたら面白いかもしれません。済州島や釜山、上海、基隆などに寄港する事でカボタージュ問題をクリアし、カジノを組み合わせれば結構人気が出るかもしれません。その際は九州行きのブルートレインを豪華列車に改造し、関東や関西から臨時列車を出港日に合わせて走らせる、などと言うのも楽しいかもしれません。
今回続けた3つのクルーズは趣や乗船客の異なるクルーズでした。1つめの「初秋のサハリンクルーズ」は夜間に移動し、真ん中の一日はほとんどの乗船客がどっぷりとオプショナルツアーに乗っかって文字通りの異文化体験。ディナーが二回制になるなど人気があった様です。サハリンへ行くという明確な目的を持った船客が多かったようで、年齢層も比較的シニアな感じでした。サハリンには前にも行ったとか、戦前はどうだったとかと解説されるコアな方々が見受けられました。

2つめの「小樽/横浜クルーズ」は移動手段の性格をもつクルーズ。8月下旬から北海道をベースにクルーズしていた「にっぽん丸」が3週間ぶりに横浜に戻る、出港地と帰港地の異なるものでした。よって「函館の夜景と洞爺湖ウィンザーホテル&クルーズ」の様なツアーの参加者も多く、たまたまクルーズ船に乗ることになったという感じの方も見受けられました。移動型クルーズとでも言えるでしょうが、そういう人達は「にっぽん丸」のスケジュールを予めチェックして予約する、等という乗り方は想像もつかない様でした。

最後の「秋の横浜ウィークエンドクルーズ」はどこにも寄港しないので、じっくりと船で過ごしたいという目的を持った人が多く、リピーターやコアなファンが多いようでした。三連休を利用していたため、お年寄りからファミリー、友達連れ、仕事仲間らしい女性グループなど様々な年齢層が、手軽に船旅をエンジョしている様でした。
夫の気まぐれで伊豆諸島まで楽しめた今回のクルーズですが、短期間に色々なことがあり、とても思い出深いものとなりました。なお、当時1日2往復あった北斗星ですが、2008年3月のダイヤ改正で1往復に減便されてしまったのは寂しい限りです。上野発が旧3号の19時3分となったため、ディナーは19時45分からの1回のみとなり、暮れ行く車窓を眺めながら食事を楽しむ、ということは難しくなりました。【2008年2月記】