にっぽん丸 初秋のサハリンクルーズ乗船記(2007年9月12日)

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2日目 コルサコフ 入港8時 出港19時

コルサコフと日本は夏季は2時間の時差があるため、昨晩0時に時計が2時間進められました。そのため朝食時間がスタートする7時は体内時計的には5時となり、まだ夜中みたいな気がします。しかもその1時間前にトイレに行った夫が間違えて部屋の電気を煌々と点灯してしまい、一旦日本時間の4時に叩き起こされてしまいました。

入港は8時で左舷入船着岸でした。外気温は12度とのことで、さすがに日本と比べるとひんやりします。丸太を中古タイヤに通しただけのフェンダーに「すごい防舷材だなぁ」と夫が目を見張ります。

着岸後サハリン鉄道が桟橋まで機関車に引かれてやって来ました。オプショナルツアーはこの鉄道の客車に直接集合となります。それにしてもかなり状態の悪い機関車と客車に見えます。ちなみに軌間は日本の在来線と同じ1,067mmで、サハリンが樺太、コルサコフが大泊(おおどまり)だった時代の名残です。
食事の前にちょっと運動と4Fの「プロムナードデッキ」を7周しました。その後2Fの「瑞穂」に出向き、二人とも洋食のビュッフェを選択しました。

この間も船ではロシアへの入国手続きが進められているようでしたが、パスポート返却時刻の9時になっても何も案内がありません。が漸く「もうすぐ手続きが終わる」旨放送がありました。オプショナルツアーの集合時刻は9時45分だったためちょっとハラハラしましたが、結局9時15分頃下船の準備が整いました。

乗船時に預けたパスポートを受け取り下船すると、パスポートには国のスタンプが押してありました。右上「Россия」がロシア、左下がコルサコフ。

それからツアー集合場所@号車と表示のある、機関車から一番離れた車両に向かいました。混雑を避けて下船したのは良かったのですが、客車に乗り込んだのは最後の方だったため、窓と窓の間にあって、外があまり見えない部分の座席しか空いていませんでした。
乗車すると韓国系の女性のガイドが元気良くサハリンの州都、ユジノサハリンスク(豊原)までの道中を案内してくれました。列車はこれで動けるのかな、と思わずにいられない状態に見えましたが、10時過ぎに一応動き出し、もの凄いキシミ音を立て、桟橋から本線まで後進しました。スイッチバックしてユジノサハリンスクに出発しましたが、約42km、バスだと40分の道程を何と90分かけてゆったり走ります。機関車がこれ以上速く走れないのでは、と思ってしまいます。
道中の景色は一種のカルチャーショックでした。原野の中ところどころに民家がありますが、このあたりの人々は畑を持っており基本的には自給自足、余った野菜を市場に持って行き肉類などと交換する生活なのだそうです。
また車窓左の海ではいたる所に貨物船などそれなりに大きい船が廃棄してありました。処分するという感覚がないのでしょうか。廃車も所々原野に置いてありました。あろうことにJRと書いてある気動車も横倒しに捨ててありました。

ガイドさんはかなり日本語が達者でしたが、独学だそうです。両親が強制連行で連れて来られたそうで、父親は炭鉱での爆発事故で半身不随、それを悲観して母親は7人きょうだいを残して自殺したとか。姉と二人山菜を取ってきては食べていたとか、かなり苦労したようですが今は孫にも恵まれとても幸せで、韓国に戻るつもりもないそうです。昭和19年生まれでこの様に戦争に人生を翻弄され、大変な経験をしている人がまだいるのだということを改めて知りましたが、その本人が今は幸せだから、ととても明るくいることに救われた思いです。途中から車内はガイドそっちのけで同年代のツアーの女性達と井戸端会議状態でした。

列車は快調に走ったかと思うとノロノロの徐行運転を繰り返し、本当にゆっくりとユジノサハリンスクに向かいます。暖房がなく、ちょっと寒いかな、という状態だったせいか、朝から水分を控えていたのにちょっとトイレに行きたくなりました。でもおそらく垂れ流し状態であろうトイレ(しかも多分あまり綺麗ではない)には行く気がしなかったため、次の行き先の博物館で行くことにしました(写真は夫に撮影してきてもらいました)。
ユジノサハリンスク駅の構内は撮影禁止だと言われたのでちょっと緊張して駅から出て韓国製の中古の観光バスに乗り込みました。「にっぽん丸」からは19人を残して約450名がこのツアーに参加しているそうでが、バス十数台のボディーはすべて別のペイントというか元のペイントが施されたままでした。ここでトイレに行きたい人は駅にあるので、行くならどうぞと案内がありましたが、これまたいかにも汚そうなトイレしかなさそうな佇まいだったため、見送ることにしました。
しかし何人か行った人たちがなかなか戻って来ず、その間に尿意が加速度的に増していきました。それでも今更行くわけにはいかないので、我慢してひたすら次の見学地である郷土史博物館に早く到着することを祈りました。博物館には12時10分頃到着し、見学時間は30分と言われましたが、まずトイレに直行した所、先行した観光バスの人たちが既に長蛇の列をなしていました。しかし並ばなくては個室に到達することは出来ません。夫に適当に見物していてくれと言い列の最後尾に並びました。夫も男子トイレを覗きましたが、男子トイレも個室2つという状態だったらしく、ドアの外にこそはみ出ていませんでしたが、とてもすぐにはできない状態だったそうです。
そうして並ぶこと約25分、漸く番が来たのでした。予想に反しトイレはわりと綺麗で、しかもトイレットペーパーは十分使用に耐えました。博物館は熊や海獣系の剥製や、アイヌの人々に関する展示、恐竜の化石などがありましたがすべて説明はロシア語、展示室自体も僅か3つということで、一通り見学することが出来ました。

←トイレの思い出しかない郷土史博物館(旧樺太庁博物館)
昼食のレストランは、ナイトクラブと書いてある映画館みたいな建物の中の大部屋に約150人が長いテーブル4つに分散して座るという感じでした。料理は前菜、ピロシキ、ボルシチでメインは鱒のチーズ焼きでした。どれも口に合い美味しかったです。テーブルにはウォッカやビールやオレンジジュースがご自由にと置いてありましたが、トイレ事情を考えると大胆には飲めず、ウォッカでちょっとだけ喉を潤しました。ここはトイレが男女各1とのことでした。

前菜ボルシチ。野菜の甘みが美味でした。鱒のチーズ焼き

次に向かったのは地方民謡の舞台です。かび臭い劇場にうす暗い照明の中、サハリンの少女達と楽隊3名(笛、アコーディオン、バラライカ?)で素人芸っぽく演奏されました。歌は独特で、それなりに感じるものはありましたが、何よりも舞台が薄暗くてびっくりでした。

演奏の後はみやげ物屋がその劇場のエントランスホールに出張販売に来ており、買い物タイムとなりました。とりあえずその前にトイレをチェックに行ったのですが、これは和式風の個室が3つ位ある使い方のわからない便器があったので、やる気をなくしフネまで我慢することにしたのでした。ちなみに男子トイレも10個ぐらい便器があるうちの1つしか使用出来ない状態だったそうです。

行きの列車の中で日本円にして3,000円分をルーブルに両替しておいたのが、有料トイレにも行かなかったのでそのまま残っており、これを持っていても船に戻ったら紙くずになってしまう、と買う前から「いいよそれでも」と戦意喪失している夫を待たせて物品が置いてある机に向かいました。ところが買いたいものがありません。買わなかったでしょうがチョコ系はあっと言う間に売り切れて、あとはハンカチやらショール、マトリョーシカ、キーホルダーなどがありました。とりあえずキーホルダをみつくろい、1ついくらかたずねた所60ルーブルとのことだったので、3つ購入しました。そもそもいくら持っているかわからなかったのですが、残りを数えたらまだ390ルーブルもありました。
これを使い切るために、これなら買ってもいいかなと思ったのが「I Love Saharin」とロシア語で書いてあるキャップだったのですが、値段を聞いた所400、10ルーブル足りません。それでもほかに欲しいものは見つけられず、売り子のお姉さんと交渉してみることにしました。が、共通言語がないため、置いてある電卓に390と打ってキャップを掴んで見せます。そうするとお姉さんは権限がないらしく、別のお姉さんにそれでいいか尋ね、その人が首を縦に振ったため、無事購入することが出来ました。キーホルダーは1つ315円、キャップは2,050円で、50円値切ったことになります。

劇場の脇の広場には、旧ソ連時代の戦闘機や戦車が誇らしげに展示してありました。
うまくルーブルを使いきり、すっかりいい気分で最後にロシア正教会に向かいます。質素な感じの教会で、中には熱心そうな信者が祈っていました。ソ連時代はどうなっていたのだろうかと夫は疑問に思ったようでした。
バスはレーニン像を見ながら最後にまたユジノサハリンスク駅に向かい、そこでトイレ休憩を行ったあと、行きは90分かかった道を特段飛ばすでもなく僅か40分、17時ちょっと前に船に戻ったのでした。
最終帰船時間は18時、出港は19時でしたが特段セレモニーもなく機械的に出港しました。船尾側に行くとスクリューが湾内の昆布を掻き上げていて笑えました。

密度の濃かった一日が終わり、19時半過ぎに日が沈みます。久々のトイレ緊急事態も終わってみるといい思い出かもしれません。
私達の食事の回は2回目なので、21時過ぎに食べ終わった後夫はメインショーの「ロイヤルナイツ」のコンサートへ、私は大浴場に出かけて思い思いに過ごしました。本日のドレスコードはカジュアルだったので気楽でした。
シメは22時半から和室「吉野」でリラグゼーション&ストレッチがあり、インストラクターの指導のもと肩と首を伸ばしました。ちなみに夫に一緒に行こうと誘ったらついて来てくれたのですが、参加者8名ぐらいのうち男性は夫1人でした。
ストレッチは23時に終わり戻って寝ようかと思いましたが、日本時間ではまだ21時、寝るにはまだちょっともったいない、と「ネプチューン・バー」に行ってみることになりました。2004年の伊勢志摩クルーズ、2005年の道東と平泉クルーズで行ってみることが出来ず無念の思いがありましたが、今回三度目の正直でした。雰囲気があってとてもいい感じなのですが、タバコ臭いのが残念でした。

12時過ぎに部屋に戻って長い一日が終わりました。サハリンの感想はとても一言では言えませんが、稚内から直線距離でわずか40km先にヨーロッパがあること、それからその国は発展途上でまだまだ貧しいこと、よって観光客の受け入れ体制も整っていないこと、特にトイレ事情は非常に悪いことが印象に残りました。

出港の時、舫いを解くオジさん達の顔を見て「あぁ、やっぱりヨーロッパなんだなぁ」と思いつつ、ロシア正教会の脇に止めてあったトラックは「有馬植木」と書いてあるまま、何とも不思議な空間だったとしみじみ思いました。