45日目 1月22日(金) ウシュアイア 出港19:00 日出5:34 日没21:51
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-スペイン語少しアルゼンチンペソ中心部7:20~サービスなし
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
くもり12.5℃54-49S 068-18W南東12m/s--9km9km701周354km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
---ノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(18:00 / 20:00)
和定食(豚味噌炒め 又は
牛バラ肉と玉葱の炒め物)
洋食麻婆豆腐セットカジュアル和食-
昨晩寝たのは1時近かったのですが、朝一番に走る方が色々と効率が良いので、目覚ましは気合いの7時にセットしてありました。
眠気と戦ってグズグズしつつ、割と頑張って7時40分に下船することが出来ました。きつい向かい風の桟橋を突き進み、まず右方向に行ってみることにしました。すると出発して10分後に「Armada Argentina BASE NAVAL USHUAIA」と書いてある建物があり、「アルゼンチン海軍フルニエール(A.R.A FOURNIER)のモニュメントがありました。

フルニエールは1949年にマゼラン海峡で岩にぶつかって沈没した掃海艇だそうです。そしてただ海軍を表すスペイン語ですが、”Armada”はスペイン無敵艦隊を思い起こさせてカッコいいと思います。

今度は左側にメルセデスベンツと書いてある販売店がありました。もしかしたら地球最南端(南緯54度48分)のベンツディーラーかもしれません。
その先には「GENDARMERIA NACIONAL ESQUADRON 44 USHUAIA」と書かれた軍隊の建物があって、朝の国旗掲揚の準備をしているところでした。
正味15分程走ったところで引き返すことにしました。行きは追い風だったので寒くありませんでしたが、帰りは向かい風になって大変でした。でも船が見えてくるとホっとします。
実は昨晩から喉がいがらっぽく、風邪をひいてしまわないかちょっと心配です。2011年世界一周クルーズの時、6℃のレイキャビクでジョギングをした直後に発熱した苦い思い出が蘇ります。あの時と同じくとても寒いですが、補って余りある美しい景色です。

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正味30分ぐらいは走ったので帰るのかと思いきや、夫は走り足りないらしく、フネのある桟橋の場所をスカっと突き抜けました。右側にYPFという看板のガソンリンスタンドがあって、もしかしたら世界最南端かもれいない、などと思いながら走りました。
海に座礁した「St. Christopher」というタグボートが置いてありました。後日調べたところ、第二次大戦中に英国海軍の救助船として使用され、戦後アルゼンチンの民間に売却されたタグでした。1957年にエンジンと舵の故障でここに座礁したそうで、ずっと放置されていたのを、2010年の五月革命200周年を記念してここに残すことが決まったと説明版に書いてありました。
桟橋から左に来たこちらの方が海に近い所を走れるのと、リゾート地のような雰囲気があって気持ち良く走れます。
街並みも後ろに背負った山と相まって、ヨーロッパの風情があります。黄色い建物は教会(Iglesia Nuestra Señora de La Merced)です。
飛鳥Uとは結構距離が離れていい角度になったのですが、残念ながらこちらは逆光でした。
このあたりで引き返し、今度は帰り道の右側にある空港の方に行ってみることにしました。
ヨーロッパ風の赤い建物は、当地の初期の移民が実際に住んでいた家(Casa Beban)を歴史建造物として移築したものだそうです。
空港の方に行く道は未舗装で、夫がためらう程の砂埃が舞っていました。先に進むと「BARRIO HISTORICO "LA MISÍON BAJA" 1948 ARMADA ARGENTINA」と書いてある立て看板がありました。軍の何かだと思いますが詳しいことはわかりません。

今度は行く手に繋がれていない大きなイヌが二頭いました。首輪はありましたが万が一襲われたら絶対に勝てないサイズです。

好奇心が勝り結局先に進んだところ、犬は私達には見向きもせず2頭仲良く自由に走り回っていました。その先にはアルゼンチン海軍のDC-3機が保存展示してありました。
先ほどより日が高くなり、飛鳥Uがいい角度ですが今度はどうしても障害物が写り込んでしまいました。
後でわかりましたが、このあたりはエンセラーダ湾自然保護地区(Reserva Natural Bahía Enserrada)で、水に映り込む景色で有名だそうです。風が強かったため気付きませんでした。
折角のタグボートと飛鳥Uのツーショットも、ウルトラ逆光でシルエット調になってしまいました。
ウシュアイアの商業港の方の入口には「PROHIBIDO AMARRE DE LOS BUQUES PIRATAS INGLESES」と書いてあるバナーがありました。フォークランド紛争の遺恨から法律でイギリス船籍の船舶の入港を禁止している模様です。
出発してからグロス1時間10分、9kmぐらいを走って桟橋の入口には8時50分過ぎに戻って来ました。思ったよりも距離が出ました。
この桟橋は、南極探検船のほか、ビーグル水道クルーズなどのボートも発着しています。
朝走りに出る時にちょうど着桟していた南極探検船「ORTELIUS」では、乗船受付が始まったようでした。
飛鳥Uのギャングウェイに戻ると、オプショナルツアーの「ビーグル水道クルーズ」に出掛ける人達が降りて来るところでした。
9時過ぎにフネに戻ってすぐに大浴場に行き、桟橋をはさんで隣にいるコンテナ船の荷役を見ながら、冷えた身体を念入りに温まりました。
部屋に戻ると「ビストロにいます 9:40」と書き置きが残っていました。待っていてくれれば良いのにと思ったものの、空腹感が限界だったのでしょう。ジョインしてドーナツ系でエネルギーを補充しました。
本船はこのあとまたしばらくネット闇に入るため、12時までのパケホーダイの間に投稿しようということで、夫が一気にブログを書き上げ、ネットへの書き込みも何とかギリギリ間に合いました。

「パタゴニアにて(2016年1月22日)」
今度は監獄博物館とスーパーで地元の物を買うという明確な目的をもって、12時20分頃再び下船しました。出来れば地ビールもという野望も抱いています。
メインストリートをぶらぶらゆっくり歩いていると、レストランにいるご主人を待っているのか、それともいい匂いに引き寄せられているのか、犬がレストランに入りかけていました。

30分後ぐらいに博物館のある場所に到着しました。このあたりはアルゼンチン海軍基地が管轄するエリアのようでした。

博物館は元世界最南端の刑務所だった建物を利用し、監獄と船舶博物館をメインとして南極博物館と美術館が併設されています。

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ドルでもペソでも払えましたが、ドルキャッシュしかなかったので一人15ドルを払って入りました。入口近くは海事博物館で、いかにこのあたりの海象や地形が過酷で、それによって多くのフネが沈んだというような展示でした。ホーン岬の所など沈没船だらけです。
朝にみかけたタグボート「ST CHRITOPHER」に関する説明もありました。1930年にビーグル水道で、暗礁に乗り上げて沈没した客船「モンテ・セルバンテス(MV Monte Cervantes)」を、20年後にスクラップ目的で引き揚げようとして、失敗したそうです。
監獄の方になると夫のテンションが急にマイナスになり、引きまくっています。こういう雰囲気は嫌いだそうで、そういえば網走でも刑務所の目の前までに行ったのに、博物館見学の賛同は得られませんでした。

私はそれほど繊細ではないので、どちらかと言うと2Fの穴の開いた廊下と、頼りない細い手すりにゾワゾワしました。

ところどころに看守や囚人の実物大の人形が置いてあるのが、リアルでした。こちらの囚人服は濃い黄色とマリンブルーの横縞で、Tシャツ等のグッズが売られていました。
世界の監獄博物館のコーナーには、わが日本から唯一網走監獄が紹介されていました。建物の造りのみならず、作られた時期、ロケーション、目的などこのウシュアイアと「姉妹監獄」になって良いぐらいにソックリでした。一度見たあとだったのですが、すれ違った外国人が「Your Country ! I'll show you the way !」とわざわざ展示の所に連れて行ってくれました。
博物館の方は独房がそれぞれ何かの展示になっていたのですが、放置されて朽ち果てたエリアも1F部分は入れるようになっており、そっちはちょっとコワい感じでした。


最後に南極博物館に行くと、各種ペンギンのはく製が置いてありました。ペンギンは好きですが南アフリカのボルダーズビーチでケープペンギンの営巣地を見学して以来、見に行くことにそれほど情熱がわかなくなりました。本当に好きならば「この辺りにしかいないマゼランペンギンを見に」と思った筈です。
最後に入口の見張りに挨拶し、1時間ちょっとの見学を終えました。なかなか面白かったです。
次はスーパーですが、飛鳥Uで配られたウシュアイアの略地図の、「元監獄と船舶博物館」の「監」の字のところだという情報を仕入れてありました。
ということで当たりをつけ、無事到着することが出来ました。外観はシャビーですが、中はすごく大きくて品ぞろえが豊富です。
まずは名高いアルゼンチン牛をチェックしました。部位によりますが、1kgあたり1,200円から2,500円といった感じで、高級そうなものは3,000円ぐらいしていました。高級部位が100gだと300円というのはそれは羨ましい限りです。

南米特産のマテ茶の種類の豊富さには目を見張るものがありました。ワインもかなりの品ぞろえです。

30分ほど滞在し、自分としては最低限の買い物として、ビーグルビール(CERVEZA BEAGLE)2本とトロンテス種のワイン1本と乾き物やチョコなどのお菓子少々購入しました。
飛鳥Uを見ながら坂の上にある道を歩く雰囲気は、アラスカのケチカンにちょっと似ています。
”最後にツーリストのものなら何でも揃う”「MONTE OLIVA」という繁盛してそうなみやげ物屋さんにに寄って、12月に生まれた夫の孫と、11月に生まれた私の甥のベビー用Tシャツ(ボディースーツ)をゲットすることが出来ました。また「CAPE HORN」というローカルっぽいビールを1本だけ買いました。
最後に桟橋のみやげ物屋を覗いてみると、さきほどの「CAPE HORN」ビールがさっきより安く売られていました。これはクヤシイ、と持値を下げるため別の種類を2本買いました。
今日の最終帰船時刻は出港1時間前の18時ですが、手に入れるべきものは手に入れることが出来たので、早めの15時半に船に戻りました。
ついでにディナーのメニューをチェック。菜の花辛子和え、カンパチの和風カルパッチョ、むつと帆立の豆腐餡掛け、海老天麩羅盛り合わせ、白御飯・あおさと車麩の麦味噌仕立て・香の物、練り切り 胡蝶、とビーグル水道では大変贅沢ですが、やはり物足りなさそう感は否めません。
凄く寒かった訳ではありませんが、戻って部屋のお風呂で手近に温まることにしました。
そして赤いパルカを着込み、16時過ぎからバルコニーでビアタイムにしました。ところがバルコニー正面からの風が強く、すぐに寒くなってしまい撤収しました。
2本目はチリの黒ビールにします。これまでは苦手だったのですが、こういう寒い時にはとても良いということがやっとわかりました。じっくり飲むにはとても美味しいです。
5Fの和食はいまひとつと感じたので、11Fのプール経由で17時20分頃リドグリルに向かいました。強い風が左舷から右舷に吹き抜けていて、アルゼンチンの国旗はぐるぐるに巻き付いていました。
リドガーデンの真ん中にあるテーブルには、時々お刺身やオードブルが並んでいます。今日は「牛タンシチュー、焼肉、サーモンチーズ焼き」という豪華3点盛りで、特にこの紛うことなき黒毛和牛が絶品でした。
麻婆豆腐セットをメインに据え、海鮮バーガーを注文しました。2011年来の船友で、リオデジャネイロからイグアスの滝ツアーに一緒に行くことになっているご夫妻が途中からジョインしました。

この11Fでのゴハンの最中に、強風のため出港を19時から21時に変更するとキャプテンのアナウンスがありました。

結局19時近くまでリドでおしゃべりしてアイスまで食べるフルコースになりました。その後夫とツアーご夫妻は19時15分から、バンドネオンのラウンジコンサートがあるパームコートに流れました。
私はまたも身体が冷えて寒い感じだったので、部屋に戻って即席暖房として温風ドライヤーを首筋や足首にあてて、体温を回復しました。当地は19時、日本は朝7時のニュースをやっていて、とても寒そうな予報でした。
ニュースを見つつ、時々バルコニーに出て風をチェックしました。日没まではまだ2時間以上あるためまだまだ明るい19時半です。

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船が出ないので出港の儀も執り行えず、急に空き時間が出来てしまいました。ある意味喜ばしいと昨日と今日のウシュアイア滞在記録を書き残したほか、写真などのデータを整理しました。20時半頃後方の雲がなくなりって日が差して風も弱くなっだのですが、ほんの一瞬だったらしく、21時になっても出る気配がありません。
とはいいつつ、気になってオモテに見に行きました。オモテのチョッサー、トモのセカンドッサーとブリッジのやりとりを無線受信機で傍受していましたが、一旦スタンバイから休憩モードに入ったとほぼ同時に、20分頃にキャプテンから風が強くてまだ出られませんと放送がありました。
ところが、右舷反対サイドの小さいコンテナ船が舫を解いて、まさに今出て行こうとしています。キャプテンによれば、ウシュアイアはタグボートがいないため本船は出ていけないそうですが...。
それは桟橋と風向きの位置関係を見れば、桟橋から離される風が吹いているコンテナはラクに、桟橋に押し付けられる本船は難しいということでしょう。
岸壁から離れて回頭した小さいコンテナ船「TAGA BAY」(全長148m)は、ゆうゆうと横風きついウシュアイアを出港しました。

22時頃オモテに様子を見に行き、さっき気付いたクォーク・エクスペディション・クルーズの「OCEAN ENDEAVOUR」がまだいることをチェックしました。

そしてこれ以上粘るのはムリ、と綺麗な月を眺めてから部屋に戻って素顔に戻ることにします。オモテトモのスタンバイは一旦解除されましたが、いずれにせよ今晩中に出港するでしょうからオフィサーもクルーも大変です。
7Fのデッキに出る扉は、強風のため「出られません」のロープが張ってありました。停泊中に見たことはなかったくらい、とにかく強風が吹き付けているのでしょう。
23時頃、バルコニーから夜の帳がおりるウシュアイアを見ましたが、まだ出る気配はありません。風が弱まらないから仕方ないのですが、桟橋の反対側だったら出られたであろうにと思います。慎重なキャプテン以下オフィサー達は今日の仕事が終了せず大変です。
そういえば、ウシュアイアで2日間過ごしているうちに、地名の発音が現地っぽく変化してきました。書く時は慣例に従いますが、プンタ・アレーナス、パタゴーニア、ウスアイアと言いたくなります。
出港予定が21時だったため、20時頃からGPSデータロガーが無駄にポジションのログを取っているのは気になりますが、面倒なのでそのまま放置します。そして出港前に寝てしまいそうですが、ベッドに入った23時半過ぎ、ようやく桟橋を離れたようでした。