イベントのインデックス(目次)
クルーズ中のイベントはそれぞれ毎日の乗船記に記録していますが、ジャンルごとに纏めてみました。
2011年ワールドクルーズのメインイベント
…だったかどうかはわかりませんが、乗船客全員がストックホルム市庁舎の青の間にて開催された「飛鳥クルーズ就航20周年記念パーティー」に招待されました。流石郵船クルーズ、やることがちょっと派手です。
ストックホルム市庁舎青の間5月21日
日本人科学者が二名受賞した、2010年のノーベル賞授賞式の晩餐会と同じノーベルディナーを食べることが出来たのは貴重な体験でした。
飲食系イベント
5回あったデッキディナーやフルーツ・ビュッフェ等の定番のほか、酒飲みには居酒屋ナイトやビアガーデンなどが嬉しかったです。
アジアン・デッキディナー4月9日
夫の記念すべき「飛鳥U」船上での植木等デビューでした。クルーズが始まったばかりで顔見知りが少なかったため、テンションの上がった夫に合わせるのは大変でした。
アスカUデッキディナー4月21日
雨のため急遽会場がパーム・コートとリド・ガーデンに変更されました。フィリピンクルーの可愛らしいキャンドルダンスの披露がありました。最後はナマナの演奏で盛り上がりました。
アスカUアフリカンディナー5月2日
アフリカならではのヌーのステーキやインパラのカレーが珍しかったです。またアフリカ ディグゥのダンスは迫力がありました。アフリカンな装束を持ち合わせていなかったので、モーリシャスで買ったドードー鳥Tシャツを着用しました。
アスカUメキシカンディナー6月21日
天候不順のため、会場はメインダイニング近辺になりました。夫も私も日本から持参したものと現地調達したものを合わせてメキシカンな仮装を楽しみました。
アスカUハワイアンディナー7月2日
デッキディナーにはハワイアンが似合います。ウクレレの発表会があり、皆でフラダンスを踊りました。翌朝にヒロ入港を控え、本船はハワイ一色になりました。
フルーツ・ビュッフェ #14月13日
灼熱の太陽の下、シンガポールで仕入れたであろうマンゴスティンやドリアンなどのアジアンなトロピカルフルーツを楽しみました。日差しが強くてとにかく暑かったです。
フルーツ・ビュッフェ #27月6日
暑いからなのか、メインダイニング近辺でのビュッフェでした。ホノルルで積んだマンゴーやパイナップルが甘くて絶品でした。
居酒屋ナイト5月4日
6F「クラブ・スターズ」が町の居酒屋のようになりました。小さいやかんから注ぐコップ酒のようなものがあれば完璧でした。写真のグラスはちょっと上品過ぎなのでした。
ドイツソーセージフェア #15月24日
船内紙にさらっと「本場ドイツソーセージの味をお楽しみ下さい」と書いてありました。このためジョギングを午前中に済ませ、白昼堂々ビールと共に本場の味を堪能しました。
ドイツソーセージフェア #2 6月3日
朝一番に診療所に駆け込む程体調が悪かったので、勿体無いことにウーロン茶しか飲めませんでした。尚「ドイツソーセージフェア」は勝手に命名しました。
トロピカルビアガーデン6月18日
メキシコビールと枝豆と横手ホルモン焼きそばという和墨折衷な組み合わせを楽しみました。翌日はパナマ運河通航でした。
屋上ビアガーデン7月10日
前日に日付変更線を跨いで7月9日が消滅し、一気に日本が近くなった日のツマミは思い切り日本なオデンでした。BGMは70年代のポップスで、まさしくニッポンのビアガーデンでした。
客船クルーズならではのイベント
2011年の世界一周クルーズはもともとスエズ運河を通って地中海に抜ける予定だったものが、直前に航路変更となり喜望峰を回ることになりました。これにより赤道通過祭を経験出来ることになりました。

またブリッジ(操舵室)見学や、ギャレーツアー(厨房見学)は長期クルーズならではの催しです。

赤道通過祭4月13日
海の神ネプチューンに生贄を捧げて赤道通過の許可をもらう儀式です。ほとんどのオフィサーがプールに落とされました。
2度目の赤道越え(何もなし)5月4日
南半球から北半球に戻って来た時には何のイベントもなく、長声一発が響いただけでした。海に赤い線が引いてあるわけじゃなく、絵的には普段と何も変わらず地味でした。
白夜観測会5月29日
ホニングスボーグを出港して約4時間後、暮れない太陽の下欧州最北端のノールカップを海から見上げました。白夜観測といいつつ、浅井船長と小久江船長の操船をかなり熱心にチェックしました。昇り始めた午前0時の太陽は残念ながら雲の中でした。
ブリッジオープン(操舵室見学) #14月14日
初めて本船のブリッジ(操舵室)に入りました。日本で一番大きな客船だけあって、ブリッジも広々としていました。浅井船長にフィンスタビライザーの位置を教えてもらいました。
ブリッジオープン(操舵室見学) #25月3日
2回目の見学だったので、いくつか質問しました。オモテのクルーエリアにあるスクリュー(のブレード)はもちろん予備なのですが、あの場所にあるのは装飾的意味合いだそうです。
ブリッジオープン(操舵室見学) #37月10日
6月中は(アメリカ当局の規制のため?)一度も機会がなく、3回目は横浜到着間際でした。アカプルコでの接舷方法が変わっていたので、理由を浅井船長に教えてもらいました。
ギャレーツアー(厨房見学)4月18日
クルーズ中1回だけありました。ピカピカに磨かれていて綺麗でした。タイミング的には昼食後、夕食の仕掛かり前だったので働く姿は見られませんでした。
エンターテインメント系イベント
趣向をこらしたイベントが目白押しでした。クルーズが始まった頃は遠慮がちにしていたと思い込んでいましたが、飛鳥祭りの段階で早くも阿波踊りデビューを果たしていました。
飛鳥祭り4月16日
この日のために阿波踊り隊は前日と前々日に踊りと掛け声を練習しました。コツは腰を落とし、右手と右足、左手と左足を同時に「タップ・ステップ、タップ・ステップ」の要領で踊ることでした。この装束でメインダイニングに突入したのは良い思い出となりました。
ハワイコール5月20日
休暇のため、クルーズディレクターのボブさんがストックホルムで一旦下船するタイミングでの開催でした。
エクリプスダンスパーティー6月1日
体調が悪くて早めに就寝した妻を全く顧みず、夫だけ白い物を身に付けて参加したパーティーは、美女に囲まれ満面の笑みでとても楽しそうでした。
ロックンロールナイト6月7日
当初から前のめりで夫が楽しみにしていました。興が乗った夫は紙で作ったディスプレイの楽器を引きはがし、床に寝転がって演奏しました。これにはエンタータインメントクルーもビックリでした。
カリビアンプールサイドパーティー6月15日
6Fから11Fに舞台を移しての19時からのショーでした。何故か夫は植木等になって、会場を闊歩して笑いを取りました。レイキャビクで買った新しいつけヒゲがいい感じでした。
ディスコ・ナイト6月19日
パナマ運河通航の日は父の日スペシャルで、ディスコタイムがありました。運河見物で疲れていましたが、スタッフの掛け声に合わせ30分踊り続けました。
飛鳥相撲トーナメント6月20日
本船初の試みだったそうですが、エンターテイメント性あり、8人の力士の真剣勝負ありで大いに盛り上がりました。
ロイ佐久間デッキショー7月3日
ヒロを出た夜、キラウェア火山の溶岩に向かう途中でのコンサートでした。ハワイの夜の風に吹かれつつ、ジェイク・シマブクロの師匠でもある佐久間氏の優しい歌声とウクレレを堪能しました。そして余興の一環ですが、彼の演奏で夫が「アロハ・オエ」をワンコーラス歌い切りました。
乗客参加型イベント
クルーズスタッフ中心に色々な行事やアクティビティーがありますが、そのうち規模の大きいものを再掲しました。基本的に童心に帰る系が多くて楽しかったです。
ワンダーランド・カジノ4月23日
予め配られていたチケットを1人10枚のチップに交換して、オフィサーが務めるディーラーとカジノのゲームを行う催しでした。この結果本船のカジノの売り上げが増加したのかどうかは定かではありません。
アフリカンデー(午前の部)5月6日
アフリカ最後の寄港地ダカールを翌日に控えたタイミングで、午前中はハンティングゲームがありました。ダンス教室と重なったため、私のみ参加しました。ダンス教室には遅れて行きました。
アフリカンデー(午後の部)5月6日
午後の部はコントラクト・ブリッジ教室と重なったため、諦めていましたがサボりたい一心で夫が「僕が参加してコンプリートしておいてやるよ」と申し出てくれました。縁日系のゲームでした。
餅つき大会7月8日
日本が近いということで、盆踊りとセットの和風の催しでした。餅つきは小久江副船長と夫と私が搗き、小川アシスタント・クルーズディレクターが返しというフォーメーションでした。

飛鳥大運動会7月10日
天候不順で会場が急遽プールサイドから「クラブ2100」に変更になりました。優勝したかのように楽しそうに写っていますが、勝ったのは数的不利を乗り越えた白組でした。
乗船客 on Stage !
乗船客が本船の「ギャラクシー・ラウンジ」の舞台に立てるチャンスは二回ありました。何事も積極的に参加してみるのがクルーズをより楽しむ秘訣です。
劇団アスカかくし芸発表会6月6日
社交ダンス、マジック、楽器演奏、歌と様々なジャンルのかくし芸でした。エンターテインメントスタッフが工夫してステージを盛り上げているのがよくわかりました。
飛鳥ワールドフェスティバル6月25日
出演するつもりはなかったのですが知り合いにスカウトされて、ABBAの「ダンシング・クイーン」の音楽で踊りました。真面目に練習に参加したもののなかなか振り付けを覚えられず、部屋で自主練もしました。凄く楽しかったです。今もこの音楽を聴くとスイッチが入ります。
クルー & オフィサー on Stage !
乗船客は遊びに来ていて、遊びついでにチョロっとステージに立った訳ですが、クルーやオフィサーや休みのない激務の合間に練習時間を捻出し、素晴らしいショーを展開してくれました。
2011ワールドクルーズクルーショー7月11日
クルーズの終盤にはかなり浅井船長ファンになっていたので、船長が無事演目を終了出来るかハラハラしてしまいました。終了後は感極まって、オフィサー達を記念写真を撮りまくりました。
フォーマルディナー(全6回)
フォーマルディナーは広義のイベントと言えなくもないので抜き出しました。メインディッシュには見事な程に牛肉をセレクトしていました。
4月5日

初代「飛鳥」が1991年に就航してちょうど20年を記念したセットメニュー(選択不可)でした。メインは「黒毛和牛サーロイン低温ロースト」でした。

飛鳥クルーズ20周年記念のアニバーサリーディナー(春・夏)
4月30日

ウォルビスベイからダカールへ向かう7日間続く終日航海日の初日でした。黒毛和牛ローストビーフは絶品でした。この頃はまだ増量前だったので、小さめのピースなのが今思うと残念です。
5月12日

リスボン出港翌日のビスケー湾上です。黒毛和牛フィレ肉のステーキにはポルトガル名産のマデラ酒を使ったソースがかかっていました。魚料理の愛媛沖で捕れた黒鯛のパイ包み焼きが美味しかったです。
6月8日

ニューヨーク到着が2日後という位置でした。5月27日に支給された増量カードを切っているので、納得の分量の黒毛和牛肉のダブルサーロイン エシャロットコンフィ添えでした。夫は(あっさりした)仔牛にしていました。
6月26日

パナマ運河を越えて太平洋に入って久しく、もうすぐサンフランシスコという位置でした。またも牛肉料理、和牛のサーロインステーキ アメリカンスタイル グレイビーを選択しました。
7月12日

フェアウェルディナーです。飛鳥特選 和牛フィレ肉のロッシーニ風はフィレにフォアグラが載った贅沢メニューでした。個人的には今のところフィレよりサーロインを10倍ぐらい好みます。

ディナーの写真はすべて撮影して来ましたが、この日だけ口直しのシャーベットを撮り忘れました。痛恨のミスでした。