27日目 4月29日(金) ウォルビスベイ 入港10時 出港17時10分 日出6:23 日没17:38
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括英語、独語ほか通じるナミビアドル中心部の北西約1km10:50〜なし
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ15℃22-57S 014-29E南西4m/s少し ---0km274周135km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(F)ランチ(L)ディナー
---カジュアル月見きしめんオムレツ等和食
ナミビア共和国のウォスビスベイには10時入港の予定です。朝7時半頃起きると、どんよりとした曇り空で、海は灰色と何も見えない感じです。折角の寄港日なのにちょっと残念です。
曇り空にテンションが上がらないままダラダラと身支度をしていると、船内放送で左舷のイルカ案内がありました。一目散にバルコニーに出ると、パシャパシャと飛び上がりながら前方からイルカの群れがゆっくりと近づいてきました。
朝食はなんだか11Fのリドも5Fのメインダイニングの和食にも飽きてきた感じだったので、11F「パームコート」で食べることにしました。ここは淹れたての美味しいコーヒーとデニッシュやドーナツを食べることが出来るので私は気に入ってますが、野菜を食べたい夫はあまり賛同してくれません。
8時半頃食べて終わって、そのまま新聞を読んだりしていると既にパイロットが乗り込みそうな雰囲気です。ということで入港ワッチ体制に入ることにしました。港が近くなるにつれて商船が増えてきました。
ナミビアの港はまだ港湾設備が整っていないのか、寄港するコンテナ船が自前のクレーンを持っているのがわかります。コンテナ船のの向こうには砂漠が見えています。今までに見たことのない光景です。
港の方向に赤(手前)と緑(奥)の導灯が見えました。この2つが重なる線(重視線)上は十分に深さがあって安全に航行することが可能です。水路が狭い場合に設置されている航路標識の一種です。
9時10分頃、タグボート「ONYATI」が近付いて来ました。正面には長い岸壁が右の方まで広がっていますが、そのうちのどの辺りに接岸するのか想像がつきません。本船は岸壁に沿ってゆっくり右に進んで行きました。

正面左では「OCEAN AFRICA」と書いてあるコンテナ船「BORDER」が荷役を行っていました。また進路の左には浮きドックがあって、左から2番目の青いタンカーは「ST MARSEIILE」で海のないルクセンブルク船籍です。「もうここはヨーロッパの商圏なんだなぁ」と夫がしきりに感心していました。

さきほどの「BORDER」のファンネルにはアフリカ大陸の絵が書かれてお洒落です。またハウスには「R」と書かれた緑、赤、白の横縞の旗が描いてありました。どこかの国旗かもと思ったらリックマースグループ(主にコンテナ船や重量物運搬船を運航するハンブルクの船会社)の社旗でした。
船長から「手前の漁船と奥の貨物船の間に入る」旨案内放送がありました。縦列駐車のようで入るのは大変そうです。
「BORDER」のすぐ後ろのこのスペースなら簡単に着岸出来そうですが、CIQ(出入国管理)の関係で不可なのでしょう。
と、本船の舳先が漁船を越えたあたりで行き足を止め、その場で左回頭を始めました。右舷付けするようです。

漁船とのCPA(Closest Point of Approach、最接近距離)は最短で16mしかなく、オモテ(艏)のワッチは大変そうでした。一方トモ(艉)の方は最終的に貨物船と100m離れたようです。
フネが完全に反転したら、あとはゆっくりと接岸するだけです。かなりアクロバティックな接岸でした。
回り始めてから30分程かかって、ようやく「飛鳥U」はウォルビスベイ港に到着しました。固唾を飲んで見守っていた乗客から思わず拍手が上がり、それに船長が帽子を取って笑顔で応えました。
船長がブリッジに戻り、到着のアナウンスをしている間もスタッフキャプテンが係船作業を継続していました。
10時50分集合で、「砂漠を訪ねて(午前)」という無料ツアーに出掛けます。ここウォルビスベイと次港セネガルのダカールは無料のツアーも用意されているのです。有料では「カタマランクルーズ(午前)」や「月面大地とウェルウイッチャ1日観光」というのがありました。初心者はナミビアと言えばまず砂漠じゃないかと思い、砂漠ツアーを選びました。
岸壁の高さと潮汐の関係で、5Fになることもありますが、今日の下船口は6Fでした。無線で係船作業の様子を聞いていると、ビット(係船索を引っ掛ける杭のようなもの)が邪魔になったりして下船口の調整もかなり大変そうでした。
バスで岸壁を離れると見慣れない景色が広がりました。荒涼とした砂地の奥に塀に囲まれた住居のようなものが見えました。

そしてほんの5分程走るとあとは左右砂漠、という道になりました。遠くに砂丘も見えています。

30分ほどで「Dune7」という砂丘に着きました。ウォルビスベイ(海のあたり)から7マイルの所にあるのでこの名前だそうです(duneは英語で砂丘)。自由時間は30分程だったので、一行の記念撮影には加わらず、砂丘にチャレンジすることにしました。写真の真ん中あたりが頂上を目指す人の姿が見えるルートです。
上り始めて驚くのは砂の細かさでした。足元はたよりなく、一歩足を踏むとすぐにズズっと砂が崩れてしまい効率悪いことこの上ありません。ナミブ砂漠は世界最古とも言われており、オレンジ色に近い砂は2500万年経過しているそうで、パウダーのようでした。
などと感動している余裕は実はあまりありません。80m程の頂上まで道のりは遠く、稜線にいる人が豆粒のようです。あそこまで本当に行けるのだろうか不安になるぐらい遠くです。
日差しは強いものの幸い気温は20度に満たず、15分ほど必死に砂を漕いで何とか頂上に到達することが出来ました。ほぼ南回帰線に近い南緯22度の4月末ということは、東京(北緯35度)の10月末よりも大分暖かそうな気がしますが、アフリカ大陸の南端から西岸に沿ってベンゲラ海流(寒流)が流れているので日差しの割に気温が低いのだろうと思います。
私達よりも年配の人たちが果敢に挑戦しているのを見て、やはり世界一周する人は元気な人が多いのかもしれないと納得しました。私達もそうでしたが、登攀の後半はこうして四つん這いみたいになりました。


頂上でしばし絶景を楽しみます。写真の左側が上って来た斜面です。一方反対側には何もなく、砂漠が広がっていました。

名残惜しいですが、集合時刻に遅れるといけないのでそろそろ下りることにします。上りの半分ぐらいの時間で下りられるでしょうか。
私は「前世で斜面で足を滑らせて転げ落ち、そのまま帰らぬ人となった」のかと思う位、足下が悪い下り道を歩く時は異常に慎重になります。先に行く夫が時折振り返りニヤニヤとするのを感じつつ、へっぴり腰でゆるゆると下りて行きました。
上りの辛さから一転、前世の記憶のせいでこわごわではありますが、二度と見ないであろう景色を目に焼き付けながら順調に下りました。
振り返るとさっきまでいた場所がもの凄く上の方になっていました。ところでここの砂はあまりにも細かいため、靴や靴下の中に入ってきても全く不快感がありませんでした。
結局帰りは僅か5分程で戻って来ました。上るのは大変で、砂まみれ必至ですが、これはチャレンジした価値はあったと思いました。
ここに着いた時はスルーしてしまいましたが、飛鳥Uのツアー客のためにマリンバ・バンドの歓迎演奏をやっていました。マリンバはカリブのイメージが強いのですが、元々は西アフリカが起源ではないかと言われているそうです。
30分の滞在を終え、フネに帰ります。「DUNE 7」はポピュラーな観光地なのか、砂地をサンドバギーで走るアトラクションなどもあって、時間があれば色々と面白そうでした。
12時半頃飛鳥Uに戻りました。フネの中をよごしてはいけないと、岸壁で靴の中の砂を出しておこうと靴の脱いだところ、靴の中どころか靴下の中までもかなりの量の砂が入り込んでいました。

今日のランチは5Fの「フォーシーズンズ・ダイニング」に行きました。
  • 麺物 月見きしめん
    温泉玉子、花鰹、蒲鉾、葱、揚げ玉
  • 小鉢物 寒干し大根 山葵 飛び子和え
  • 香の物 テザート

午後も無料で集合が13時50分の「スワコプムンド連絡バス(午後)」の予約をしています。バスまで歩いて行く途中では「Taxi ?」と声をかけられました。
バスが走り出してすぐ、ウォルビスベイの町で「MOL(商船三井)」の看板を見かけました。モーリシャスのポートルイスにもあったのですが、インド洋〜西アフリカ向けのサービスに強いのでしょうか、存在感があります。
海沿いの道を北上して40分程かかって15時過ぎにナミビア第二の都市、スワコプムンド(Swakopmund)に到着しました。名前からしてスワコプ川の河口(Mundはドイツ語で口のこと)と、ドイツの植民地だった1800年代後半から1910年代の面影を残している町だそうです。
バスはクラフトマーケット(露天の民芸品店街)の近くでいかにもといった風情の場所に止まり、約1時間ほどの自由時間になりました。
意外にも緑地帯があって綺麗です。まずは「スワコプムンド博物館」があるという、海の方に行ってみることにしました。
その途中で先住民であるヒンバ族の女性達がなにやら物を売っていました。近くで撮影するとチップがいるそうなので、遠くから撮影しました。身体に塗っている赤いものはオカという泥粉と牛の脂肪を混ぜたものだそうで、日焼けと虫除けと乾燥対策になるそうです。
これはチップを渡して正規に(?)撮影したものを、後日知り合いから分けてもらいました。迫力があります。
さらに先に進むと砂浜が広がっていて海水浴場になっていました。
博物館は先着した本船の乗船客で満員だったので、パスすることにします。それにしてもこの前にあるカフェは雰囲気といい客層といい完全にヨーロッパで驚きました。
途中西洋人の観光客に話しかけられ「どこから?」「日本」「どうやって?飛行機?」と聞くので「客船で」と答えると「そうだと思ったワ」と言われました。
バスを降りたあたりに戻り、それからクラフトマーケットを足早に通り過ぎて中心部に行ってみることにしました。
ひんやりとした気持ちの良い空気は夏のヨーロッパのようです。植物は南洋風ながら、近づいてくる建物の感じもヨーロッパ風です。
海を背にして進み、とりあえず目標としていた「ハンザホテル(Hansa Hotel)」に到達しました。このハンザホテルは1905年創業のナミビアで一番古いホテルだそうです。
そのそばには小奇麗なショッピング街(The Arcade)があって、みやげ物類を売っていたり、ビアホールがいくつかありました。奥のとんがり屋根は「Swakopmund Brauhaus」のもので、各種生ビールやバイエルン料理を出すそうです。
外にはERDINGER Weißbier(白ビール、ヴァイツェン(小麦ビールのこと))のパラソルがあったのを見て「ビアモード」がONになりました。が、散策時間はあと20分ちょっと、残念ながら時間がありません。ケープタウンでPAULANERのビアホールを見て以来、ビールの特にヴァイツェンを飲みたくなりました。

ナミビアの現地通貨と等価で使える、南アのランドが90ほど残っていたので、使い切るために冷蔵庫用のマグネットと小学生の姪にブレスレットと、端数で1枚絵葉書を買いました。
それにしても、歩いている西洋人はほとんどがドイツ語をしゃべっていて、ここナミビアがこれ程ドイツっぽいとは想像をしていませんでした。綺麗な街並みと、強い日差しとは正反対の爽やかなひんやりした風にびっくりでした。
最後に、ちょっと気になる塔が見えたので回りこんで見に行くことにしました。綺麗な建物だなぁと写真撮影をして帰って来たのですが、さっき買った絵葉書の場所で1905年に完成した「Woerman House」(Woermanは船会社等を所有した実業家)と書いてありました。気になる塔は「Damara Tower」で建造当時は唯一のランドマークだったようです。
バスを下りた地点には1903年に建てられた歴史的な灯台もあり、赤と白に綺麗に塗り分けられています。道の名前(現Sam Nujoma Aveは少し前まではKaiser-Wilhelm-Straßeと呼ばれていた)と言い、建物といいすべてがドイツ風味満点の町でした。
「植民地支配(2011年5月1日)」

バスは予定通り15時半にスワコプムンドを出発しました。帰りは海とは反対側の見渡す限りの砂漠です。所々にサンドバギー乗り場があって、砂丘を走り回るバギーも見えました。

16時過ぎに岸壁に到着し、バスの運転手さんに少し思い出したドイツ語で「ダンケ・シェーン(ありがとうございます)」と言うとエッ、ドイツ語とちょっとびっくりした感じで「ビッテ・シェーン(どういたしまして)」、そして「シェーネ・ライゼ(良い旅を)」と言われたので「ダンケ〜!(どうも〜)」。読み書きは学校の第二外国語、会話はテレビのドイツ語講座ですが「そうそう、旅は女性名詞だった」等と意外と覚えているものです。
恒例の「ボン・ヴォヤージ」は16時45分からでした。フィリピン人バンドのナマナの演奏で盛り上がりますが、パイロットが予定時刻になっても乗船していない、と船長のアナウンスがありました。
どうやら本船の前方に貨物船を入れて、その足で来たらしいです。時間通りにはいかない、アフリカンスタンダードというものがあると思いました。ということで予定から10分遅れで出港しました。

食事まで随分と時間がありますが、今日はジョギングも休み、ショーもないのでのんびりとバルコニーでビールを飲んで過ごしました。夫はウィスキーですが、ボトルは「ケープタウンでの大揺れ・落下破損の危機」から学びこうして机とテレビ台の間の隙間の床に直置きしています。

食事は5Fのメインダイニングで和食です。部屋でも飲んでいたと言うのに、地元のビールが入荷すると飲まずにはいられません。ナミビア・ブルワリーズの「ウィンドフック・ラガー」です。
<前菜>
牛ランプのタタキ

<揚げ物>
地鶏梅肉巻き揚げ
枝豆玄米俵
<焼物>
金目鯛の金山寺みそ焼き

<御食事>
そば米雑炊鍋仕立て
鶏肉、人参、木耳、榎茸
白御飯
白魚清汁仕立て とろろ昆布、三つ葉

メニューは雑炊か白御飯を選択するイメージだったのですが、私は雑炊を、それでは足りないと考えた夫は「マラミン・ガニン(ご飯大盛り)」にしました。しかしそれでもやっぱり足りず、後から雑炊も頼みました。
<デザート>
抹茶アイス
小倉あん

品数の方は問題ないのですが、やはり盛りが少ない感じで私もご飯を頼みたいぐらいでした。でも腹八分目で我慢出来るに越したことはないので、控えておきました。
食事の帰りの時間帯はフォトショップが開いていて、本船のカメラマンが撮影した写真が廊下に沢山展示してあります。寄港日は新しい写真が出て来るので、中央の階段で6Fに上がり、一通りチェックするのが日課になっています。
部屋に戻りましたが、やはりまだ満腹感が来なかったので、シンガポールで買った「m&m」のピーナッツチョコレートの封を切り、ボリボリと食べてしまいました。

ナミビアという日本とは縁がなさそうな国を訪れ、短い時間に砂漠とドイツの旧植民地を体験した一日でした。