35日目 5月7日(土) ダカール 入港6時50分 出港15時10分 日出6:44 日没19:28
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括フランス語あまり通じないCFAフラン(ユーロ可)ほぼ中心部7:50〜ホテル プルマン
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ23℃14-40N 017-26W南西3m/sわりと ---0km371周182km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(5F)ランチ(11F)ディナー
-セイルアウェイ・パーティー-カジュアルビビンバ丼洋食フレンチ
ダカールへは7時に入港予定、無料ツアーの集合時刻が8時50分だったので目覚ましは7時にセットしてありました。がその前に二人で目が覚め、あっと言う間に夫が「入港スタンバイ」をするため11F「ビスタラウンジ」の方に出かけて行きました。

ナミビアから西アフリカの主要港であるダカールまでは、丸8日間のインド洋航海に次ぐ、丸7日間の終日航海を要しました。

夫が珍しく入港風景を撮影したようです。私はダラダラと身支度を整えながらバルコニーから同じ時間に撮影していました。フネは居る場所によって随分と眺めが違うことがよくわかります。
同時刻のブリッジのウィングの様子も撮影していました。

左舷に太陽が昇ったのを撮影した後、夫と合流するため11Fに上がりましたが、既に別の場所に移動してしまったようだったので再び部屋に戻りました。
7時過ぎに当局の関係者が乗船したようです。ダカールでは対面の入国審査はないので楽チンです。

7時半頃「リドカフェ」に行くと好物の「茄子と挽肉のトマトソース」がありました。上にナチュラルチーズが載っているので取るときに糸を引いて大変でした。夫は控えめですが、たまにはこういう日もあるでしょう。

食事中にグリマルディ・グループのROROコンテナ船「GRANDE FRANCIA」が出港して行きました。地中海の各都市を結ぶフェリーも運航している、ナポリの船会社です。
食事を終えて、リドカフェの後方から外に出てみました。香港船籍の「TRIPLE EVER」が荷役中でした。日本で造られたフネっぽいなぁと思って後で調べたらやはり常石造船の2005年出来で、大阪商船のものに似ていると思ったファンネルマークは神原汽船のものでした。
大阪商船神原汽船

「VOGE LENA」というバルクキャリアーが荷役をしていましたが、これも日本風です(後日調べたら新来島豊橋造船の1998年建造)。

右の「JOANNA A」も1985年出来と古いですが、西海市の大島造船です。

日本のフネは造りが良く実質的に耐用年数が長いため、長く現役で活躍しているのを異国の地で見るのは嬉しいものです。ツアーの出発まではまだ1時間近くあるため、オモテの「パームコート」に移動することにしました。
普段のこの時間だと朝食を終わった人達が大勢集まり、備置してある衛星版の「毎日新聞」と「讀賣新聞」が出払ってしまうのですが、寄港日はほとんど誰もいないためゆっくりと読むことが出来ます。
8時40分頃6Fの「ギャラクシーラウンジ」に下りて行きました。私達の参加する「ダカール半日観光」のほか、有料の「ダカール・ラリーのゴール目指して」と「ゴレ島をたずねて」や、「スイスアルプスと鉄道満喫7泊8日の旅」もここダカールからこの日の午後に出発です。
8時50分にG番のバスに乗り込むと、現地人のガイドはまず今までのセネガルの発展のための日本の貢献に対して謝意を表し、それから今回の震災についてお悔やみの言葉がありました。バラまきだと批判も多いODA(政府開発援助)ですが、現地ではこうしてちゃんと感謝されているのです。
バスはまず「アフリカン・ルネサンス像」(Monument de la Renaissance Africaine)に向かいました。今までの寄港地の中で一番アフリカらしいと言われるダカールですが、確かに全然ヨーロッパの匂いがしません。
海外沿いの道路を走り、岸壁を出発して15分後ぐらいにミレニアム門(La Porte du Troisième Millénaire)を通過しました。その名前から2000年を過ぎた頃に作られたものだろうと思います。
9時半頃、「アフリカン・ルネサンス像」のある場所に到着しました。ガイドによると大統領が自分の力を誇示するために巨額の費用を投じて建造したとのことでした。が請け負った北朝鮮の建設会社に支払い出来なくなり、国有地を北朝鮮に提供したそうです。セネガルは貧しい国で、お金の有益な使い道はいくらでもあるのに、とガイドが嘆いていました。
2010年のセネガル独立50周年に合わせて公式公開されたその像は、丘の上に約50mの高さでそびえていました。15分ぐらい散策時間があったので、とりあえず階段を上って近くまで行ってみることにしました。
上に着くと、土台の部分をブラシを使って掃除している最中でした。通っちゃいけないのかと思いましたが、そういう訳ではなさそうなので、像のまわりを一周しました。この黄色いベストの人は掃除のスーパーバイザーなのでしょうか、何もしないで突っ立っているだけです。遠くにももう一人います。
大西洋に踏み出しているようなデザインは迫力ありますが、やはり唐突感が漂います。
大西洋はすぐそばですが、それまでは痩せた土地があるばかりです。
反対側は住宅のようで、四角い家が並んでいるのが見えますが、高い建物はほとんどありませんでした。一回りしたので戻ることにします。

階段の右手にはレオポール・セダール・サンゴール国際空港(Aéroport international de Dakar-Léopold Sédar Senghor)が見えていて、時折「ブオーン」とプロペラ音が聞こえてきていました。

階段の下の方には東洋人の労働者が数名いたので、朝鮮語で挨拶してみたところ「アニョハセヨ」と返って来ました。

セネガルの通貨はCFAフランらしいのですが、ユーロも通用するとのことだったので両替はしていません。が細かいものはお釣りが出なさそうなので、民芸品の露天商はスルーしました。それでなくとも事前情報で「物売りはしつこい」だの「値切りは必須」「英語はあまり通じない」と入っているのでどうしても買物は腰が引けてしまいます。
10分ほどバスに乗って、今度はトイレ休憩兼リフレッシュメントサービスということでアフリカ最西端のベルデ岬に立つリゾートホテル、ル・メリディアン・プレジダン(Le Meridien President/2011年5月当時。2012年1月よりキング・ファハド・パレス)に行きました。
プールサイドに案内され、冷えたソフトドリンク何種類かが選択出来ました。ホテルの宿泊客はほとんどが西洋人で、突然やって来たアジアからの団体客をびっくり眺めているようでした。
「飛鳥U」にもう1ヶ月以上乗船していると、贅沢なもので「こんなリゾート地でゆっくり過ごすのもいいなぁ」などと思ってしまいます。
コーラを飲み終わった後、プール客用のトイレを借りに行ったところ普通の洋式のほかにこのような洗濯機の防水パン様のトイレもありました。国民の90%以上が回教徒の国ならではなのでしょうが、慣れていないと位置取りが難しそうです。
ホテルの庭にはこんなトカゲが日光浴をして微動だにしませんでした。

ホテルには約30分滞在し、10時10分頃バスはホテルを後にして次の目的地であるクラフト・マーケット(Marché artisanal Soumbédioune)に向かいました。
途中海岸沿いに「ディビニティ・モスク」(Mosquée de la Divinité)が見えました。1997年に建造されたそうです。
またこんなに小奇麗そうなモールもあるようです。民芸品はそれ程興味がないので、クラフト・マーケットのほか、こういう場所にも寄ってもらいたいです。
観光ルートの一環なのか、バスはダカール大学(Université Cheikh Anta Diop de Dakar)の構内にも入って行きました。おそらく大学進学率は低いでしょうから、ここにいる若者は皆超エリートの筈です。
クラフト・マーケットには10時40分頃到着しました。ここでは30分程自由時間があるそうですが、欲しいものと言えばシンガポール以降何となく上陸記念として仕入れてきた国名又は都市名入りマグネット(fridge magnet)ぐらいです。しかもこの界隈では売っている予感がしません。
トイレ休憩のホテルからガイドのスーパーバイザーみたいな西洋人が乗っていたので、彼をつかまえてここらでマグネットは売っているか尋ねたら、案の定「ないと思う」と言われてしまいました。ではどこにならあるのか聞いたら、途中にあったモールには多分あるだろうとのことでした。そこに行く時間もないのでしょうがありません。
仕方なくとりあえず一周することにしますが、スリとかも多そうなので気を付ける必要があります。店は民芸品、民族衣装、バッグ類、小物、絵画などさまざまです。
こんな小鳥も売っていました。小さいので食用ではなく観賞用だと思いますが、小さな箱に随分沢山入っていました。
マグネットは諦めて、何かセネガルっぽいものをと思いますが、結局いいものがみつかりません。ぶらぶらしていたら集合時間が迫ってきたので、バスに戻ることにしました。
と、バスの留っている道に面したやや綺麗めな店でセネガルの国旗が書いてあるTシャツをみつけました。これならと思い、売り子の女性に話しかけると「Parlez -vous français ?(フランス語はしゃべれませんか) 」「(無理)…。English ?」すると面倒臭そうに隣の店から英語を話す男性を連れて来ました。
Tシャツ2枚で40ユーロの暴利を25まで値切りましたが、まだまだ高いです。でもバスの時間が迫っていたので妥協しようとしていたところに、先程マグネットのことを尋ねた彼が助けに来てくれました。店の人と何やらフランス語で交渉し、ネックレスのおまけを付けてもらいました。「Good try」と慰めてもらいましたが、セネガルの経済に貢献出来て良かったとします。
予定通りバスはクラフト・マーケットを後にし、港のある市の中心部に向かいました。海沿いの道からちょっと入ると雑然とした町並みが続きます。
現役の輸送手段として馬車が堂々と道を走っていたり、のら犬やニワトリが歩道を歩いていたりします。
プラトー地区と呼ばれる中心部に戻り、ここからは車窓観光です。1929年に建てられたダカール大聖堂(Cathédrale)の、正面の天使像は現地のフラニ族の女性の顔だそうです。
大聖堂のある道の正面を突き当たった所に大統領府があります。この後バスは独立広場(Place de L'indépendance)をぐるりと一周しました。

今乗っている観光バスのボディーに書いてあった「SENEGAL TOURS」のオフィスはここにあるようです。グローバルに展開をするAXA(保険会社)もしっかりありました。BNPPもそうですが、やはり旧宗主国フランス系が目立ちました。
外務省商工会議所BNPPグループのBICIS銀行
しっかりと「Casino」スーパーマーケットもありました。2010年に「パシフィック・ドーン」でニューカレドニアのヌメアに寄港した際に、同じスーパーがあったことからこれもフランス系と思われます。
車窓観光を終え11時45分頃バスは岸壁に戻りました。ガイドは「日本に帰ったら日本の皆さんにセネガルのことを伝え、遊びに来てもらうよう言って下さい」と締めくくりました。
セネガルにやって来る日本人は年間200名程度とのことなので、今回の「飛鳥U」の寄港で2年分を1日で受け入れたことになります。航空機だとパリから5時間半ぐらいですが、日本から接続時間を含めるとまる一日かかるので、余程の熱意がない限りなかなか行くのが大変な国ではあります。
岸壁には露天商が店を広げていたので、一縷の望みをかけ見に行くと奇跡的に「Senegal」と書いてあるマグネットがありました。またも暴利の10ユーロと言われたのを最終的には4にまで下げ、もう一押しと思ったら横から夫が「それでいいよ」と決めてしまいました。

ここ数年は港湾のセキュリティーが厳しくて、フネのまわりの岸壁を歩けないようフェンスが張ってある港が多い中、ダカール港は艉の方にも回りこめたので、三脚を使って年賀状用写真を何枚も撮影しました。

アフリカの寄港地では恒例の「害虫対策キット」も見納めです。木製品に昆虫の卵が産み付けられていて、数ヵ月後に孵化して虫が大量発生した場合に備え、製品をビニール袋に入れて殺虫剤を噴き入れて密封しておくのです。
次の寄港地リスボンからヨーロッパに入るので、アフリカ大陸とはお別れです。どの寄港地も特色があり興味深かった中、ダカールが一番アフリカらしかったのかもしれません。

「ダカール(2011年5月11日)」

一歩中に入るとまた日本が待っています。一旦部屋に荷物を置いて、12時半頃メインダイニングに行くと今日のメニューはビビンバ丼、豚肉とにんにくの芽炒め、浅利と若布のスープにスイートポテト風のデザートでした。

出港のセイルアウェイ・パーティーまではまだちょっと時間があったのでプールサイドに行くことにしました。のんびりするつもりだったのが、夫はいきなり真剣に泳ぎ始めました。私は水着ではなかったので、そのまま寝そべっていることにしました。
30分ぐらいプールサイドにいた後、シャワーをしてから出港に備えました。14時半ぐらいから、岸壁ではケープタウンから乗船していたアフリカン・ディグゥのメンバーがここで下船して本船を見送りです。
恒例のスパークリングワインが配られるので、ついついおかわりして飲んでしまいます。岸壁のドラムと、本船のエンターテインメントスタッフのドラムの掛け合いで盛り上がっています。
またもやパイロット(水先案内人)が時間に来なかったらしく、10分遅れで出港しました。でもここのラインズマンはアフリカにしては珍しくちゃんと動いていた気がします。
離岸する時には本船の横にいた青年海外協力隊の人達が、本船を追って岸壁の端まで来ていつまでも見送っていたのが印象的でした。
航路変更によって寄港することになったアフリカの4つの港の日程を終了し、本船はヨーロッパを目指します。
15時半頃、ゴレ島(Île de Gorée)に近づきました。奴隷貿易の拠点だった島で、世界遺産にも登録されています。
ゴレ島を回って自動車船がダカールに入るようです。「GLOBAL SPIRIT」は日産専用船でファンネルに「NISSAN」と書いてあるのが見えました。日本のクルマがこんなに遠くまで運ばれているのに感動します。
出港から40分、完全に外に出て本船が速力を速めました。晴天で視程が良いのでいつまでも眺めていたいような気分ですが、16時過ぎに部屋に戻りました。今日は出港が遅めだったので、16時からのダンス教室はありません。
部屋の入口にはダカールで辛うじて仕入れたものを含め、寄港順にシンガポール(マリーナベイ・サンズ)、ポートルイス(ドードー鳥)、ケープタウン(国旗)、ウォルビスベイ(キリンがHi ! from Namibiaと言っている)、ダカール(セネガルと書いてあるドラム)が貼ってあります。

ビールを飲みながら、ウクレレ教室で借りているウクレレを弾いたりして波の音を聴く極楽タイムを過ごします。

この後部屋に戻ってから夕食までの記憶がなく、どうやら気持ちよく気絶してしまったようです。19時半頃夫に起こされて慌ててメインダイニングに行きました。

Appetizer

  • カキのオーブン焼き


  • イベリコハムのシードル風味
Soup

  • フェンネルのクリームスープ


  • 彩野菜とリソーニのブイヨンスープ★
Salad

マセイドンポテトサラダ
Main Course

  • 仔牛肉とキノコのクレピネット包み焼き★


  • 若鶏と海老のマレンゴ風
Dessert

  • ココナッツムース キャラメルアイスクリーム★


  • チョコレートテンペラ(濃厚なチョコレートムース)
今日はサラダ以外はメニューが複数から選べてとても良かったです。食べ始めて1時間ちょっとしか経っていませんが、皆食べるのが早く私達が帰るころには左舷にはほとんど誰もいませんでした。もともと2回目の食事は100名ぐらいと少ない分サービスが早いので余計に早く終わってしまいます。
食事を堪能した後はランドリールームに行って洗濯です。一瞬現実に戻るひとときですが、炊事と掃除をする必要がない夢のような日々が続いています。
BS受信域ではNHKワールドを放映しているチャンネルが、この海域では電波を拾えないらしく、アシスタント・クルーズディレクターがピックアップしたニュースを流す「NYKワールドニュース」を放映しています。
22時頃、11F「コンピュータールーム」から「クルーズのかげには(2011年5月7日)」を書き込みました。