57日目 2月3日(水) モンテビデオ 出港17:20 日出6:06 日没19:48
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-スペイン語少しウルグアイペソ旧市街中心部8:20~独立広場
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ28.0℃34-54S 056-13W北北東4m/s--10km10km828周449km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
-ボン・ボヤージ&洋上豆まき揺れないノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(18:00 / 20:00)
黒豚カツ玉子綴じ洋食豚骨ラーメンセットカジュアル和食バノス・カラン ピアノコンサート
昨晩組み立てた本日の段取りは、10時半港発のシャトルで中心部に行き、教えてもらったスーパーで物品を調達したあと12時45分発のシャトルで港に戻り、それから市場で名物のパリージャ(Parrilla、当地のバーベキュー)を食べるという(夫は買い物もパリージャも全然興味がないので私としてはかなり)野心的なものでした。
よって走るのは朝一番しかないと、気合を入れて7時の目覚ましで起床しました。GPS地図にはモンテビデオに入って来る「コスタパシフィカ(COSTA PACIFICA)」や、ラプラタ川の河口に向かう「サ・ワールド(THE WORLD)」と「MSCポエジア(MSC POESIA)」が表示されていました。「スター・プリンセス(STAR PRINCESS)」はどちらに向かうのかわかりません。
本船のツアーデスクから「南米は治安が悪いので行動に注意」と書面で再三再四注意を受けていたため、ジョギングで目立ってもいけないとプロムナードデッキを走るべく7Fに下りました。ところがまだ7時半だというのに甲板作業のため右舷の前方にロープが張ってあり、ぐるりと1周出来ない状態でした。
これでは気持ちよく走れない、と下船して街を走ることにしました。入港の時に見えたビーチの方に行ってみようと提案し、(治安に不安があったので)おっかなびっくり走り始めました。
警官なのか軍人なのかお揃いのTシャツで走って来る軍団がいました。この感じならモンデビデオでジョギングはポピュラーそうです。
走り出して10分位で海岸線に出ると思いのほか広い歩道で、出勤前のジョギングをする人もちらほら目に入りました。そして遠くに港に入って来るコスタ船が見えました。

コスタ船のさらに後ろにはプリンセス船が見えたので、両船とももう少ししたら入港しそうです。

これらの客船を横目で見ながら、信号など障害物のない海岸沿いの道を気持ちよく走って行きました。行きは東北東の方に向かっているので逆光がキツいです。
少し走ると左に歴史ありそうな塔が見えました。教会かと思いましたが、帰って調べたら中央郵便局(Palacio de Correos)でした。1925年の建物で、塔の高さは63mもあるそうです。

【画像はクリックで拡大(別角度)】
アルゼチン広場(Plaza Argentina)まで来ると、昨日近くまで行ったサルボ宮殿が見えました。やはりかなり特徴的なので目立ちます。
昨日飛鳥Uとほぼ同じ時刻に着岸したコンテナ船「VANTAGE」が荷役を終えて出て行くのが見えました。300mの大物で迫力があります。
出発してから30分過ぎた8時10分過ぎ、どこが起点だったのかわかりませんが3,000mの標識があったのでここで引き返すことにしました。
コスタ船はどんどん港に近付いて行っています。石畳やら色々で多少走りにくい道ですが、往路ほど立ち止まらないので早く戻ることが出来ています。
港に大分近付くと変わった塔があります。灯台ではなく煙突のようですが、後日調べたら昔の換気塔でした。
起点の標識もみつけました。これも換気塔を調べる際偶然にわかったのですが、私達が走って来た道はランブラ(Rambla de Montevideo)といい、途切れることなく22kmも続く世界で一番長い歩道だったみたいです。道理で気持ち良く走れました。

コンテナターミナルまで戻って来ると犬が数頭いて緊張しましたが、杞憂に終わりました。と言うか、走りながら振り返ったら今度はお取込み中でした。

8時40分頃本船に戻って来きましたが、残念ながらコスタ船は入港済でした。でもウシュアイア以来の久々の陸走りを楽しむことが出来ました。
すぐに大浴場に行くと、脱衣所のブラインドの隙間からプリンセス船が回って入って来るのが見えました。こりゃ大変と急いでシャワーだけして外に飛び出しました。
寄港記念盾の飾ってある通路を出て、ウィンブルドンコートの脇に出ると、まさしくプリンセス船「スター・プリンセス」が回頭するところでした。
じっくり着岸まで眺めたいところですが、このあと10時半のシャトルバスに乗る予定が控えているので部屋に戻りました。未練がましくバルコニーに出ますが、最後まで見ることは出来ません。大型客船が入る様子はやはり迫力があります。
寄港日は洗濯が混むので、汗で濡れたジョギングウェア一式を洗濯機に放り込んでから朝食に行きました。
時刻は9時半、11Fのリドはこの時間に営業を終了してしまうので、6Fのビストロで軽い朝食にしました。ヨーグルトにシリアルとドライフルーツをかけ、デニッシュとカフェオレというちょっとお洒落感漂うメニューになりました。
先ほどは気付きませんでしたが、コスタ船「コスタ・パシフィカ」がさっき出ていったコンテナ船が荷役していた場所にいました。手前は昨日来荷役をしているMOのチップ船「大峰丸」です。
と、チップ船のクレーンが小型のホイールローダー(ブルドーザーに似ている建機)を積み出していました。夫によるとこれでホールド(船倉)ごとに積んだチップを平らに慣らすのだそうです。改めて貨物船のスケールに驚くとともに、チップはともかく小麦や大豆などの穀物まで同じように整地するのは野蛮だわ、と思いました。
バスの時間までちょっと隙間が空いたので、夕飯のメニューが置いてあるクラブ2100に行く最中に乗組員の避難訓練が始まりました。無事メニューをチェックして戻ろうとすると、ちょうどクルーが防水扉を閉めるところで「ちょっと待って〜」と駆け出ました。クラブ2100の出口のあんな所に扉があったとは、閉じ込められそうになるまで知りませんでした。
洗濯を無事乾燥機に詰め替えてから、下船しました。汗で濡れたウェアを放置しておくのは気持ち悪くてどうしても我慢が出来ません。

シャトルバスは最初港沿いに走ったため、コスタ船を間近に見ることが出来ました。

ほどなく昨日は歩いてやって来た独立広場に到着し、独立広場から新市街を貫く7月18日大通り(Av 18 de Julio)を歩くことにしました。通りの名前は1830年の憲法が書かれた日に由来する「南米あるある」です。
ウルグアイきってのメインストリートですが、クルマは2車線ずつとこじんまりとしています。LONDON-PARIS 1908と書かれたビルはウルグアイ初の百貨店(ロンドン・パリ百貨店)だったそうです。
海外旅行も盛んなようで、旅行販売店には隣国アルゼンチンやブラジルの他メキシコ、マチュピチュに行くツアーが掲示されていました。イグアスの滝に行くツアーもあり、料金は3泊朝食付きで陸路だとUS$395、空路だとUS$726でした。リーズナブルな設定です(ちなみに飛鳥からの3泊4日はUS$3,898)。

【画像はクリックで拡大】
通りは靴屋さんが多い印象です。船内でぺたぺた履く用のつっかけサンダルを探していたので、「SANTORINI」という店に入り、いい感じのを試着して(サイズ37から36に変更)から購入しました。500ウルグアイペソ(約2,000円)でした。

平和の像があるカガンチャ広場(Plaza de Cagancha)までやって来ました。古い建物には「Ateneo Montevideo」と書いてあります。

広場に接するパラグアイ通り(Calle Paraguay)を行った先に目的のスーパーがあるので、7月18日通り散策はここで終了します。
昨晩ライブラリーのガイド本で調べた通り、スーパーは大通りから3本目の角にありました。が、入口のところでガードマンに制止されました。さっき買ったサンダルの入った袋は持って入れないみたいで、近くにあったコインロッカーを指さします。
「面倒臭い、帰ろう」という夫をなだめつつ、ボタンを押したら扉が開き、そこに袋を入れて閉めると再開用のバーコードが入った紙が出て来る仕組みでした。こういうシステムは初めての経験でした。
このスーパーはワインもビールもウィスキーも売っていたので良かったです。国によってはライセンスの関係でワインだけしか置いていない場合もありました。ウルグアイの名産はタナ種(Tanat)の赤ワインだそうなので、適当なものを見繕いました。

この国もツマミ(オヤツ?)にピーナッツは定番のようです。炭と共に薪を売っているのは、さすがパリージャの国でした。

ビール2銘柄とツマミも購入し、ロッカーから無事に荷物を取り出しました。ビールは「PILSEN」という缶が1本しかなかったので、無謀にも店員さんに「quiero(ほしい)mais(もっと)dos(2つ)」と話しかけた所わかってくれたみたいです(もっとの部分は正しくは「mas」でした)。
それにしても、このあたりの街並みは、昔に住んでいたサンパウロの小綺麗版という雰囲気だったのでとてもリラックス出来ました。
独立広場の所に戻ると、12時45分のバスまであと30分と中途半端な時間でした。それでも待つつもりでいたら、待つのが嫌いな夫が歩いて港に戻ると言い出しました。
距離はわかっているので、ここは素直に従うのが得策です。昨日うまく撮れなかった大聖堂を少しだけ引き気味に撮ることが出来ました。
道半ばを過ぎた頃、夫が荷物が重いと言い出しました。そう思ったからこそシャトルバスで帰るつもりだったのですが、ここでも素直に半分受け持つことにしました。
道一杯にカフェの席が広げてあるのはとても大胆です。通行人は端の隙間を通ります。
港から新市街までを結ぶこの遊歩道は、時折警官が巡回していたので割と安心して散策が出来ました。
特徴的なブリッジの「スター・プリンセス」を見上げながら、飛鳥Uには12時45分に戻りました。
重かった荷物を部屋に置いて、すぐまた下船しました。パリージャを食べに港の市場(Mercado del Puerto)に向かいます。が、時刻は13時過ぎとちょうどランチタイムたけなわで激混みでした。
でもここで怯んでいたら、一生ウルグアイでパリージャを食べる機会は来ないのです。まずは、昨晩ガイドブックに載っていた「エスタンシア・デル・プエルト(Estancia del Puerto)」を目指しましたが、混んでいて席の空く気配がありません。
あてのないまま徘徊するものの、「広い駐車場で空いている場所がなかなか見つからない」状態です。が、どこかの店のウェイトレスのお姉さんにタイミングよく声をかけることが出来、2人と言うと2Fの席に案内されました。「エッ2階なんてあるの」と驚きましたが、この店にはテーブルが5〜6個のスペースがあったのでした。
入店システムがわからずウロウロし、夫が帰りそうになるのを乗り越えて何とか着席出来て良かったです。名前もわからず入ったのは「ラ・マエストランサ(La Maestranza)」という店で、目星を付けた「エスタンシア・デル・プエルト」を見下ろしています。

隣の時計台はエスタンシアのもので、これはなかなか珍しい市場全体を見下ろす眺めです。でも万が一火災にでもなったら、確実に助からなそうな席だと思いました。

メニューは英語も併記してあったので良かったです。王道のサーロイン(430ペソ)にと思っていましたが、後ろの席にいたブラジル人達がピカーニャ(ランプ、450ペソ)が美味しいと言っているので、それにします。でもなかなか注文を取りに来てもらえず、また夫が「帰る」と言い出さないか心配しました。
15分ぐらい経ってやっとオーダー出来ました。朝から飲まず食わずだったので早くビールだけでも飲みたかったのですが、これも5分以上待つとびっくりする程大きなビンが来ました。パトリシア(Patricia)というラガーで960mlと書いてあります。

グラスに注ぐのももどかしく、喉に流し込みました。沁みます。パンにガーリックバターを多めに塗ってツマミにしました。

ゆっくり目に飲んだつもりにもかかわらず、肉が来る前に飲み終わってしまったのでもう1本頼みました。
と、その直後にお待ちかねのピカーニャ(picaña、ポルトガル語だと同じ発音でpicanha)がやって来てしまいました。いい塩梅に二切れあって、フレンチフライが付いていました。
パリージャ(parrilla)はアルゼンチンではアサード(asado)とも呼ばれ、「焼き(英語のgrilled)なんとか」のイメージです。名物にウマいものあり、とピカーニャと塩胡椒の素朴な味が口の中で広がりました。頑張って食べに来て良かったです。
食べ終わったあと、後ろに座ったブラジル人カップルにお願いして写真を撮影してもらいました。ポルトガル語講座の本で学んだフレーズ「Pode tirar foto para min?(テキトー)」が」役に立ちました。コスタの乗船客でブラジリアから来たそうで、ポルトガル語上手ですねと褒められちゃいました。お世辞でも嬉しいものです。
勢いに乗って後ろの席にいたカップルに話しかけるとカナダ人で、プリンセス船でホーン岬を回って最後バルパライソまで行くそうです。お会計は935ペソ、US$37とあったので40ドル支払いました。忙しいながらもきっちりとサービスしてくれたお礼です。
ビールを1L近く飲んで気が大きくなっており、さっき話した人たちに「ボア・ビアージェン(Boa Viajem)&ハブア・ナイストリップと(Have a nice trip)」を炸裂させてから、1Fに下りました。
何やかんやで1時間半ぐらいかかった遅めのランチタイムでした。夫と混雑した場所で名物料理を食べられたことは、奇跡にも近い快挙で、諦めなくて良かったと思いました。
帰りがけにマテ茶用のストロー(ボンビージャ、bonbilla)を3ドルで買うことが出来ました。コップとのセットならいくらでも売っていたのですが、この部分だけのバラ売りは今まで見つけることが出来ませんでした。
そして急激な尿意が襲って来たため、船に戻ることにしました。用を足しホッとしたら時刻は15時20分ぐらいです。それまではイラナイと思っていた右の写真のような「URGUAY」という文字が入ったグッズが急に欲しくなりました。
夫はどうでも良さそうですが、どうしても下船すると言うと結局付いて来て、私がブツを探して走り回るのを冷ややかに眺めている中、何軒目かで「URGUAY」Tシャツを1枚ゲットすることが出来ました。
本当は国旗が入っている方が良かったのですが、見つけたこれも準国旗チックなので良しとします。こういうTシャツは現地でしか手にいれることが出来ず、ウルグアイに再びやって来ることは多分ないだろうと思うので貴重です。
ギリギリまで粘ったので、フネに戻ったのは最終帰船時刻のほぼ16時でした。オーバーナイトで滞在時間に余裕があったこともあり、やり残したことは(多分)ない充実したモンテビデオ滞在でした。

タナ種の赤ワイン(2013)を調達した時に、ちょっと口寂しい時に気兼ねなく飲むことが出来るよう、夫用のウィスキーも買っておきました。

時刻は16時半、11Fでボン・ボヤージ(出港パーティ)が始まるまであと15分あります。「スター・プリンセス」がいるのは昨日MSC船がいた場所です。
11Fに行くには気持ち早いため見るとはなしにチップ船の方を眺めると、陸のローダーからチップがバサバサと落ちていました。

昨日の14時過ぎからオモテの喫水が2m下がったのが目盛りから見てとれました。左が昨日の写真、右が飛鳥U離岸時です。

時間になったのでプールデッキに上がると、本船のバンド・ナマナの演奏が始まっており、少ししたら12Fにスタンバっていた鬼たちが下りて来ました。節分なので今日のボン・ボヤージは洋上豆まきも兼ねているのです。モンテビデオ港内の豆まきも稀有な体験です。動く鬼に豆をぶつけるのは子供の時以来なので、どのぐらいの強さで投げたらよいのか迷いました。
節分の伝統とは言え、よその国の風習で豆をぶつけられる鬼役のアスカバンドのミュージシャンも大変です。盛り上がってボンボヤージは終わったのですが、肝心の本船はまだ1ミリも動いていませんでした。


と、「コスタ・パシフィカ」が先に出て来ました。これを見送るため12Fを船尾の方に移動しながら手を振りまくりました。

そして17時20分、予定より20分遅れで本船も出港します。後進気味の離岸直後にお尻を引っ張られて右回頭しました。
すると「スター・プリンセス」が真横の綺麗な姿になりました。曇り空なのが残念です。
先ほどまで着けていた岸壁が見渡せるようになりました。歴史がありそうな埠頭でした。
さっきからずっと飛鳥Uの寄港地デスク、アルゼンチン・ウルグアイ担当だった女性がここで下船して手を振っています。ブエノスアイレスの丸ノ内線のことや、行く先々のスーパーの在り処を教えてもらったりで大変お世話になりました。
本船はすっかり回り終わり、中立だったスクリューが角度を変えて水を掻き始めました。寄港地をあとにする、何とも言えない瞬間です。
17時50分頃、港外に出て今朝走った海岸を見渡せるようになりました。茶色いビルの向こうに独立広場のサルボ宮殿が見えました。
昼間にビールを1L飲んだのでビアタイムはスキップしたら時間を持て余してしまったので、18時からのピアノコンサートに行きました。
戻ってからも食事までの時間を持て余し、船内の映画チャンネルで放映されていた「昭和キネマ」という30年代頃の白黒ニュース映画的な番組を見るとはなしに見ていました。
そろそろ食事にと思った時間に、右舷後方の夕日がキレイですとブリッジから放送がありました。夫に先に行ってもらい、ちょっとだけ見るつもりで行ったら、夕食を約束していた情報通夫人も出て来ていました。
二人一緒に遅刻なら(大丈夫)、と二人で日没まで粘ってグリーンフラッシュが出るのを待ちました。でも肉眼では見えず、連続撮影したカメラは微妙な感じでした。

今日の夕食は情報通ご夫妻の紹介で、池袋から見えたご夫妻が一緒です。
お品書きによると本日は節分にちなんだ料理だそうです。

先附(右) 茶ぶりなまこ
前菜(左) 鰯塩焼き お多福豆 梅貝旨煮 柊の葉
凌ぎ(左) 恵方巻‐今年の恵方は丙(南南東)の方向です
造り(右) 鱸 鳥貝盛り合わせ
焼き物 鰆味噌柚庵焼き 海老芋のおかき揚げ 玉葱塩昆布卸し
煮物 阿波尾鶏の卸し煮 結び蒟蒻(ダブル盛り)
食事 冷やし茶蕎麦(又は白御飯) みぞれ汁 香の物
甘味物 藻塩プリン 福茶

夫と二人だと和食の時は1時間も経たずに終わってしまいますが、2時間近くダイニングで粘ったのは楽しかった証拠です。
21時40分頃のGPS図によると、「コスタ・パシフィカ」は本船の先を行き、「スター・プリンセス」はパリージャ屋にいたカナダ人が言っていた通り、ホーン岬の方に向け舵を切っていました。
と、バルコニーのGPSデータロガーがうまく衛星からの電波を捉えていないようです(インディケーターランプが点滅せず点灯しっぱなし)。しばらく放置しても変化ないので久々に屋根がなく空の広い11Fに出張りました。
プールサイドで待つことしばし、無事点滅し始めました。一旦捉え始めると部屋に戻る際に中断しても、再びバルコニーで補足してくれるのが不思議です。
23時前左に見えた街の灯りは(ロガーのデータから解析したら)プンタ・デル・エステ(Punta del Este)でした。南米屈指のビーチリゾートだそうで、有名な「ウルグアイ・ラウンド」交渉が始まった舞台だったとは知りませんでした。
連続して首都に寄港したせいかとても疲れて眠たいですが、今晩の2時に3週間ぶりの時刻改正があります。本日最後の写真を撮影したあと、忘れがちなカメラの時刻を1時間先に進めてから気絶するように就寝しました。