82日目 6月23日(木) アカプルコ 入港8時 出港17時 日出7:08 日没20:21
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括スペイン語多少は通じるメキシコペソ(一部米ドル可)旧市街近く9:00〜運行なし
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ30.5℃16-51N 099-54W西南西5m/s- ---0km651周444km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ-カジュアル豚勝玉子綴じ洋食和食
7時の船長の放送によると本船は既にアカプルコ湾内に入っており、これから向きを変えて後進で左舷着岸するとのことでした。あまり揺れは感じていませんが、うねりがあるため慎重に作業をするそうです。
放送を聞いてもすぐには起きれず、しばらくしてから先にワッチに出かけた夫を追いかけました。岸壁には別の客船「Ocean Star Pacific」が停泊していました。
係船作業はかなり慎重で時間がかかり、沖留めでもないのに右アンカー(錨)を3シャックル程落としました。
シャックルは錨鎖の長さを表す単位で、1シャックル=15ファゾム(fathom)=27.4mだそうです。この聞きなれないファゾムは英国で海の深さを表す単位として使われており、もともとは両手を広げた長さだそうです。同じ様に日本でも水深を測るのに「尋」という単位があるのは興味深いです。現在ではそれぞれ次の通り定義されています。

1 fathom = 6 feet = 1.8288m / 1尋 = 6尺 =1.818m
オモテの係船索(バウライン)は小船が取って、海上の土台にポツンとあるボラード(波止場で石原裕次郎が片足を乗っけるアレ)にかけられました。
バウラインは7時半過ぎだったので、余裕で定刻の8時に着岸と思いきや、船長の到着案内アナウンスは8時10分になりました。
これはオモテのスプリングラインを取る岸壁のおやじ達の動きが緩慢だったことも理由の一つであると思われます。ラインを岸壁に引き揚げただけで安心しているのか、なかなかボラードに引っ掛けてくれませんでした。

船上ではあまり感じませんが、そこそこうねりが押し寄せているようです。朝食前に後ろいる客船をチェックしました。「Ocean Star Pacific」はダグラス・ワード本に載っていないのですが、バルコニーのない時代の古い船型でした。

朝食は11Fの「リド・カフェ」にしました。もう久しくメインダイニングの和朝食は食べていません。
9時半過ぎに下船すると、民族衣装に身を包んだ男女と後方にはマリアッチ(メキシコの伝統的な楽団)がいて、とってもメキシカンな雰囲気です。
ターミナルは歓迎一色で、「Animo Nippon 頑張れ日本」のメッセージが嬉しかったです。
港を一歩出ると、もの凄い勢いでタクシーの客引きがありました。何かのマーケットにタダで連れて行くというのですが、マージンでも貰うのか?という程の熱心さです。私は流れに身を任せるのも一興かと思ったのですが、夫は頑なに「No ! 」ということで、漸く振り切りました。
今日はブラブラ街歩きをするだけの予定だったので、とりあえず船内で配られた港周辺の案内図に載っていた支倉常長像を目指して砂浜沿いの道を進みました。まだ10時を過ぎたところですが、夏至(6月22日)直後の太陽が容赦なく照り付けています。
汗が吹き出ますが、こういうこともあろうかと部屋のハンドタオルを借りて持っていました。あっと言う間に化粧は流れ落ちてしまった気がします。炎天下を街の様子など色々見学しながらゆっくり歩いたので、30分近くかかって到着しました。暑いです。
支倉常長像はこの日本広場(Plaza Japon)にあります。スペイン国王と通商交渉等をするために、伊達政宗の命によって常長率いる慶長遣欧使節団は、1613年10月に陸奥丸(サン・ファン・デ・バウティスタ号とも呼ばれる)で石巻を出港し、翌年1月25日ここアカプルコに到着しました。
一行はメキシコを横断し、今度は別の船で大西洋を渡ったそうです。この像は1972年にメキシコの大統領が日本を訪れた際、仙台市から寄贈されたものだそうです。当初の設置場所から何度か移されて、現在はここで陸の方を見つめています。案内文は残念ながらスペイン語オンリーでした。

ビーチに出るといい感じで「飛鳥U」が見えました。支倉常長は一番最初は海の方を見ていたそうですが、今背を向けている理由はわかりません。

このあとは夫が地図に載っていた「パパガヨ公園(Parque Papagayo)」に行ってみようと言うので、付いていくことにしました。暑いです。日本ではほとんど見られない旧型のフォルクスワーゲンがタクシーとして現役で走っていました。本国ドイツでは早くに生産を終了したのですが、メキシコでは2003年まで生産を継続していました。
公園は最初入り口がみつからなかったのですが、回り込むと正面道路に面して普通にありました。夫によると、この色使いや雰囲気はマニラ(フィリピン)を彷彿とさせるそうです。
地図で見ると600m×300mぐらいなので、日比谷公園ぐらいのサイズです。中に入ると思いのほか良く手入れをしているようで感心しました。
適度な木陰と池などもあって市民の憩いの場という感じです。この池の色はやはり暑い地方のものだなという感じでした。

移動しながら地元の美猫の写真を撮っていたら、ご挨拶とばかりにまず私の足元に擦り寄り、その後少し離れていた夫の足元を一周しました。

公園の隣にはスーパーマーケットがあったので、地元のビールを仕入れたかったのですが、時刻はまだ11時過ぎ、今日はもうちょっと散策するつもりだったのでぐっとこらえて元来た道を戻りました。ちなみにこの見慣れた看板は「SORIANA」というチェーン店で、2009年に「サファイヤ・プリンセス」でプエルト・バジャルタに入った時に立ち寄りました。
支倉常長像のところをもう一度通って海岸まで来ると、地引網を引いてる人々の姿がありました。どんな感じで上がるのか見ていたら、これから何が起こるのかを察知した恐竜みたいなペリカンが沢山飛来しています。
とその先を見るとまさに網が陸に上がっていくところにぺりカンが群がっていてコワイものがあります。近寄ると網には結構魚が刺さっていて、ビチビチしているのを横取りしています。
網が上がるにつれゴミの量が凄いのも見えました。地引網をやる海だと言うのに、空き缶やペットボトル以外にもあらゆるゴミが入っていてモラルの低さに呆れてしまいます。
漁師達は魚を仕分けしつつ、いらない魚を網から出してペンギンの方に投げてやっています。一連の出来事を最初は遠巻きに眺めていたのですが、小魚を放り投げるとペリカンが食べに来るので面白く、他の観光客がやっているので真似して小魚を拾って投げてみました。
そうしたら地元の漁師が小魚を3匹ぐらい渡してくれ、こうやるんだ、とばかりに直にペリカンの口に持っていきます。ちょっと勇気が入りましたが、こわごわと真似して、無事直接魚をやることに成功しました。たまたま本船のカメラマンがいたので写真を写してもらい、欲張って自分のカメラでも写してもらうことにしました。
ここで事故が起りました。噛まれました。と言うかその前の時にも堅い嘴が当たっていたのですが、特に痛くもなく、ただし今回たまたま最後にギザギザな部分で「ギリッ」とこすられて引っかき傷が出来てしまいました。流血までしてちょっと痛いです。終始遠巻きに見ていた夫が呆れ果てていました。ちなみに写真に写ったわが姿は笑ってしまう程及び腰でした。

「ペリカンに噛まれた(2011年6月24日)」
そこから20分程歩いて今度は「サン・ディエゴ要塞(Fuerte de San Diego)」の方に行ってみました。砦のある丘を上って行くとちょうど「飛鳥U」が綺麗に見えました。クルーズ中は本船の全体の姿と自分達の写った写真を撮影する機会が意外とありませんが、持参した三脚で数枚写すことが出来ました。

サン・ディエゴ要塞の中はアカプルコ歴史博物館(Museo Historico de Acapulco)になっています。入ろうか一瞬迷いましたが、米ドルが通じたので一人4ドルで入場することにしました。

要塞の一つ一つが展示室になっていて、エアコンが効いていたので天国のようでした。思いのほか充実した展示物です。
ここに来て勉強になったのは、16世紀にアカプルコ−マニラ航路があったことです。マニラからアカプルコへは黒潮(日本海流)に乗って日本沿岸を目指し、そこから大圏航路のように太平洋を横断してカリフォルニア南岸に近寄り、そこから南に針路を取ってアカプルコに到着するという帰路が1565年に切り拓かれたの説明文がありました。
一つ賢くなった後は屋上に上って本船を眺めました。屋上は真っ白に塗られていてコントラストのきつさにクラクラします。気温は30度を余裕で超えていそうです。
帰り際に西洋人を引き連れた現地のガイドの人が私達が日本人と判ってか、「アカプルコに来てくれてありがとう」とわざわざ声をかけてくれました。
13時を過ぎ、お腹が空いてきました。旧市街の方に歩いていくと、ぐっと雰囲気がきたならしくなりました。ちょっと緊張しながら、中央広場(ソカロZócalo)を目指します。
10分ぐらいで到着しました。広場はみやげ物屋やレストランで囲まれています。
食べる所を探しながら広場をぐるりと一周すると奥に綺麗な教会がありました。大聖堂(Catedral de Nuestra Señora de la Soledad de Acapulco)だそうですが、モスクのようなちょっと変わった造りでした。
一周りした後夫がイタリアンのような店に入ろうとするのを「メキシコでわざわざイタリアンを食べる必要はないでしょ」と制し「COMIDA MEXICANA(メキシカンフード)」と書かれた地元の味を出す店に入りました。
とりあえず、乾いた喉を地元ビールで潤すことにします。定番コロナ(Corona)と、ラベルが綺麗なパシフィコ(Pacifico)を注文しました。メキシコの気候にはやはりメキシコのビールがピッタリです。
ビールには付け合せにトルティーヤチップスとサルサが付いてました。サルサに入っているのは苦手なコリアンダーのように思いましたが、パセリだと思い込むようにしました。
メニューには英語が併記してあったので助かりました。スープとメイン数種類から1品づつ選べるランチセット(54ペソ)を頼むことにし、選択肢の中の「本日のスープ」は何かウェイターに尋ねました。こちらの英語は何となく理解してくれるのですが、しゃべる方はスペイン語です。30年前に少々かじったスペイン語の出番、とばかりに「arroz…」「米だって」「pollo…」「ポヨ?はチキンかな」等と記憶の糸を辿り夫に訳しました。

夫は「本日のスープ」を、私は野菜スープを注文しました。

夫は2本目のビール、ビクトリアを注文しました。道中持参したミネラルウォーターを飲んではいたのですが、それでもまだ喉が渇いています。
メイン料理とともにトルティーヤが運ばれてきました。トルティーヤはトウモロコシの粉で作ったパンですが、スペイン風オムレツ(トルティージャ)と似ていることから同じ名前(どちらもスペイン語ではtortilla)で呼ばれるようになりました。

夫は「本日のメイン」でメキシコ風ステーキを、私はチキンのモーレ・ポブラーノ(Pollo en mole poblano)にしました。このモーレ・ポブラーノはメキシコの代表的なソースで、カカオが入っている濃厚なソースです。今まで食べる機会がなかったので挑戦してみたのですが、慣れるには経験を積む必要がありそうです。

ランチにはレモネードも付いていました。お勘定はドルで払いたいと言うと「en dollares ?」「シー、ドラレス」「dieciocho .」「18ドルだって」ということで、ほとんど使う機会のなかったスペイン語ですが、少しは役に立って良かったです。この頃の1ドルは80円を切っていたので、ビールも入れて一人700円位のランチはかなりお得感がありました。
広場のあたりの店にはあまり買いたい物がなかったので、船に帰る道で探すことにしました。時刻は14時半を過ぎ、一番暑い時間になりました。先程砦からは裏道を通って来ましたが、今度は海沿いの道を引き返しました。
途中「ようこそアカプルコへ」と日本語で書かれた看板を見つけました。その下には「ASUKA CRUISE」と書いてあります。嬉しい心遣いですが、何人ぐらいの乗船客が見たのか心配になります。
汗だくになって20分ぐらい歩くと、二引きのファンネルも鮮やかな白く輝く「飛鳥U」が見えて来ました。今はこうして灼熱のアカプルコを歩いていても、あの中は快適な温度で、あの中は純日本と別世界になっているところが日本船による海外クルーズの贅沢なところです。
本船に戻る前に港の周辺を少々チェックします。最終帰船の16時までまだあと1時間近くあったので、本船の後ろにいる古そうな客船を見にいくことにしました。
船の近くにいたクルーらしき人に尋ねるとこの「Ocean Star Pacific」は、メキシコ人のための4日間ぐらいのクルーズをしていることがわかりました。これ以上はわからなかったので後で調べてみることにします。
「飛鳥U」に戻ってPCを携帯と繋いで調べてみた所、この船は1971年出来で元はRCIの「ノルディック・プリンス(Nordic Prince)」でした。更に何度か名前を変え今の名前になったのは今年の4月だったので、この名前でダグラス・ワード本に載っていなかった訳でした。それにしてもメキシコまでもがこうして中古船を買ってクルーズをやるとは驚きです。

「世界のクルーズ業界は?(2011年6月27日)」
時刻は15時半を過ぎたので、そろそろ本船に戻ることにします。見慣れた後ろ姿です。このスターンラインは世界の客船の中でも、とりわけ優美で贅沢な造りだと思います。
夫はスタスタと乗船してしまいました。私の方はもう2、3枚撮影を、とオモテの方まで行ってみたあと16時10分前に戻りました。舷門をくぐった瞬間、エアコンの気持ちよい涼しい風になりホッとしました。
17時の出港時は、恒例のプールサイドの「ボン・ヴォヤージ」には参加せず、11Fと最上階の12Fで静かに出港ワッチを楽しむことにします。ドリンクだけはゲットしたのですが、アルコール分は薄めなのでジュース代わりです。

うねりによって岸壁にぶつからないよう、慎重な出港作業です。

岸壁から船が角度をもって離れ始めました。写真中央部に見える白い筋が、先程までいたサン・ディエゴ要塞の屋上部分です。アカプルコ寄港が終わると、この世界一周クルーズで訪れる国は今回二度目のアメリカ合衆国を残すのみとなりました。
ウィング近辺でワッチをしている数人に「汽笛鳴らします」と注意の声がかかり、「飛鳥U」の汽笛3発がアカプルコ湾に響きました。寄港地の思い出に浸りつつ港を後にする時間がゆっくりと流れました。賑やかな「ボン・ヴォヤージ」も好きなので、両方一度に楽しめないのが悩みです。
17時半頃部屋に戻り、コスメルで買って冷やしておいたテカテ(Tecate)ビールで喉を潤しました。暑いメキシコにはメキシコのビールが似合います。
17時50分頃、1回目の食事が既に始まっている時間ですが、船長の放送で「死のダイビングショー」が行われるケブラダ(La Quebrada)の崖がのすぐ近くに来たと案内がありました。右側なので7Fのデッキまで降りて行きました。
本船のオプショナルツアー「アカプルコ半日観光」に参加した人達はどこからどう飛び降りるのかわかる筈ですが、私達は「あの辺から飛び降りるのかねぇ」と想像するしかありません。がアカプルコの有名な観光スポットの1マイル(1.852km)以内にまで近寄って10ノットそこそこでゆっくり走る粋なサービスでした。
部屋に戻る前ついでに6Fのメインダイニングのメニューを事前チェックすることにしました。蒸し豆腐、お造り、蓮根はさみ揚げ、サラダ、鰤大根…。昼食が重たかったのもありますが、食べても力が入らなそうだったのでスキップして11F「リド・グリル」に行くことにしました。
19時過ぎにまだ明るいリドに行きました。「リド・バー」もあるのでビールやハウスワイン、アスカサケを飲むことも出来ます。
でもビールはもう十分飲んだのでウーロン茶にしました。まずアペタイザーとして、本日のスープと本日のサラダを注文するのが定番になりました。

それからホットドッグとビーフバーガーを頼みました。ここでの食事提供は、2回目の食事が始まる19時45分に終了となります。

カキ氷でシメることにしました。カキ氷はバーの方で作ってもらうのですが、「イチゴと練乳を少し」味が気に入っています。
通常食事をする時間がまるまる自由時間になったため、夜が長くなりました。21時頃まで図書室で最新の新聞や、寄港地で積みこまれた雑誌類を読みました。
21時半過ぎに仕掛けてあった洗濯物を回収しました。上陸日は夜に混み、洗濯(30分)が終わっても乾燥機(90分〜120分かかる)がフル稼働中ということが多いのですが、今日はたまたまタイミング良く積み替えが出来ました。
今日は本船での100泊達成記念品を3品(リングトレイ、ルーペ、メモトレイ)から選んで下さいという案内が届いていました。このクルーズの前に一度乗船しているので、7月2日に達成するらしいです。
本船は次港サンフランシスコに向けて19ノットで順調に航行しています。夫の万歩計はアカプルコで2万歩をカウントしていました。