2011年2月8日(火) 旅行会社主催の懇親会(マキシム・ド・パリ赤坂)
夫は12月末で、私は1月末で会社を退職して二人ともプー太郎です。今まではあり得なかった平日の昼間に誰はばかることなく行事参加です。とてもいい気分で赤坂に出かけて行きました。30〜40名ぐらいの乗船予定客が集まり、ビュッフェランチを楽しみました。幡野元キャプテンのスピーチで、この中で1月下旬から始まったエジプトの民主化運動ならびに一連のデモについて言及があり、現時点では出来る限りの情報収集をしている所だとのことでした。食事の後半で、参加者の自己紹介コーナーがありました。夫が「思い出はプライスレス」的なことを言ったのは良いとして、「秋からまた働くまでの間のバカンス」は余計だと思いました。男性はいつまでも自分が社会と関わっているとアピールしたいものなのでしょうか。
また、この日に最終日程表や、船内ショップ「アスカコレクションからのお知らせ」という案内をもらったのですが、そこに「ビール6本セット 350ml缶×6」(キリン一番搾り/アサヒスーパードライ) 1,000円という記載をみつけ、この値段(免税価格)での販売ならみみっちく持ち込む必要がないことがわかりました。最終日程表の乗船受付場所や時間の記載を眺めると「いよいよ」感が盛り上がって来ました。
2011年2月中旬 航路変更の事前連絡
昼間に旅行会社から電話がかかって来ました。前回の懇親会で乗船中の名刺作成サービスの案内があり、その記載事項についてややこしいことを確認してもらっていたので、それに関することかと思いましたが違いました。担当者が申し訳なさそうにとても言いづらそうに「昨今の中東情勢や、ソマリア沖の海賊の驚異云々…」「もしかしてケープを回るんですか!!」。その前から夫と「航路変更でケープ回ったりしてね」「回ったらもの凄い距離だよねぇ」等と話していたのが現実になりました。このコースでも行くかどうか内々に確認する意味もあったようですが、念のため夫に確認するけれどキャンセルしないと思う、と答えておきました。夫は新寄港地を地図でチェックして、こんな所には滅多に行けないと今まではどちらかと言うと受身だったのが前傾姿勢に変わりました。
2011年2月21日(月) 航路変更の正式連絡
旅行会社からレターが到着し、郵船クルーズがプレスリリースしたようです。ホームページに変更後の航路図と日程が掲載されました。オリジナルではシンガポールのあとリスボンまで10あった寄港地が、5に半減しました。また、当然のことながらスエズ運河も通航しないことになります。旅程変更に伴い、3月10日までに申し出ればペナルティーなしでキャンセル出来ることになりました。
それにしても、わが家の場合張り切って入れた数少ないオプショナルツアー6件のうち、5件までもがこの航路変更によって自動的にキャンセルとなってしまったのは残念です。
2011年3月上旬 海外旅行保険契約の締結
前年の9月に案内のあった保険は、一番補償の薄いもの(下表に記載)でも例えば傷害死亡時に3,000万円も支払われることになっており、会社の経営者でもない限り手厚過ぎです。ネット専業のような保険会社がないか探したところ、大手旅行業者が50%出資している会社をみつけ、補償内容をカスタマイズ出来そうだったので、ここから申し込むことにしました。そもそもクレジットカードに付帯している保険で十分じゃないかと私は思いますが、これだと最大90日しか補償されないため、この長いクルーズははみ出してしまいます。はみ出しても辺境の地などではなく、アメリカのしかもハワイ以降なので大丈夫でしょと主張しましたが、最終的には「いいじゃないか僕が払うんだから」ということで契約してもらうことにしました。
保険金額 | 大手損保のパッケージ | 別の保険会社でカスタマイズ |
傷害死亡 | 3,000万円 | 1,000万円 |
傷害後遺傷害 | 3,000万円 | 1,000万円 |
傷害治療費用 | 1,000万円 | 500万円 |
疾病治療費用 | 1,000万円 | 500万円 |
疾病死亡 | 3,000万円 | 500万円 |
賠償責任 | 1億円 | 1億円 |
救援者費用 | 1,000万円 | 1,000万円 |
携行品損害 | 40万円 | --- |
保険料 | 66,950円 | 27,540円 |
2011年3月15日(火) ESTA申請
出発ギリギリまで粘りたかったのですが、夫が早くしろとうるさいので直接ESTA電子渡航認証システムのサイトから申請しました。料金14ドルはクレジットカードで支払います。夫から代行申請料として相場の6,000円ほどを徴収したい気分です。
2011年3月17日(木) 最終案内
出発2週間前となり、最終書類が送られて来ました。
- 乗船券
- 日程表(新)
- オプショナルツアー予約確認書(アマデアで航くキール運河2泊3日)
- オプショナルツアーガイド・新寄港地編
- 荷物タグ各種
- 宅配便のご案内
- 宅配便伝票
- エンターテインメントのご案内
- 査証および入国書類
- シンガポール入出国カード
- モーリシャス入国カード
- モーリシャス出国カード
- アメリカ入出国カード(I-94W)
- 米国電子渡航認証(ESTA)控え
- お土産カタログ
まず、乗船券を手に取ります。乗船日が4月3日、下船日が7月14日と書いてあります。3ヶ月を超えるクルーズは夢みたいです。食事は2回目になっていますが、これは申込時にそう指定してありました。スタートが19時45分はちょっと遅い気もしますが、かといって1回目の17時半では早過ぎですし、出港の時間と重なることが多く、ワッチの時間が短くなってしまいます。
日程表をチェックすると、オリジナルの航程に戻るリスボンの入港時刻が7時から11時に変わっていました。今回の変更やその後の震災で一体どれだけのキャンセルが出たのか想像がつきませんが、退職というひとつの節目だったので、クルーズ自体が中止にならなくて良かったです。
新寄港地である、ポートルイス(ナミビア)、ケープタウン(南アフリカ)、ウォルビスベイ(ナミビア)、ダカール(セネガル)のオプショナルツアーが発表になりました。どの場所にも馴染みがありませんが、ぱっと見たところ、喜望峰観光は外せないと思いました。申し込みは乗船してからになると書いてありました。突然の変更でこれだけ用意するのはさぞかし大変だっただろうと素人ながら思いました。
気になる宅配便の発送締切日は3月29日(火)でした。全国一律の締切なので、万が一間に合わない場合には交渉すれば何とかなるかもしれませんが、期限厳守で頑張ろうと思います。
「エンターテインメントのご案内」には、終日航海日で重要な各種教室やショー、テーマナイトのことが書いてありました。教室は「社交ダンス教室」はもちろん、気功、コントラクトブリッジ、囲碁、写真があり、他にも水彩画、水墨画、短歌教室も予定していると書いてありました。ショーは出演予定者の中にスリーディグリーズがあり、夫が「おっ」と反応しておりました。
この中に「ドレスコードがカジュアルの夜には、寄港地にちなんだテーマナイトを設ける予定です。民族衣装や浴衣などお持ちでしたら、ぜひご用意下さい。…アジアンナイト 飛鳥祭り アフリカンナイト メキシカンナイト ハワイアンナイトなど」と気になる記載がありました。上品な民族衣装や浴衣は持っていませんが、テーマナイトを楽しみつくすために色々持って行ってみることにしました。
まず思いついたのが、2009年3月のメキシカン・リビエラクルーズで仕入れたメキシコグッズです。上は地元のビール、パシフィコのロゴが入ったTシャツで、下は「Save water Drink Beer(ビールを飲んで節水しよう)」と入ったコロナビールのロゴ入りのメキシコ国旗風エプロンです。 | |
夫が以前「バカっちくて面白い」とアメリカで仕入れた星条旗トランクスも何かに使えそうです。 | |
2010年2月の南太平洋クルーズで仕入れたP&Oのロゴ入りセーラー帽です。どういうシチュエーションで使えるかわかりませんが、もともと夫が「来年の飛鳥に持って行こう」と買ったものなので持って行くことにしました。 | |
同じく、南太平洋クルーズで大絶賛だったお揃いの柄のアロハシャツとドレスです。これはハワイアンナイトで着ることになるでしょう。 | |
……そして、満を持しての究極のコスプレ、夫が尊敬する昭和のコメディアン「植木等キット」です。このクルーズのために用意した訳ではなく、以前からカラオケやお祭りの時に好んで着用していました。格調高い飛鳥Uの船上で披露する場面があるかどうかはわかりませんし、披露するにしても相当の勇気と覚悟がいりそうですが、一生に一度かもしれない世界一周で悔いは残さないようにしなくてはと思います。 |
ちなみに、夫が持って行きたいと言ったのはこの「植木等キット」だけでした。よほどの思い入れがあることがわかります。
2011年4月1日(金) 夫の気持ち
世界一周に出発するに際しての気持ちを綴った夫のブログです。 「思い出はプライスレス(2011年4月1日)」