51日目 5月23日(月) 終日航海日 日出4:07 日没21:23
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ12.0℃55-19N 014-25E南7m/s- 23周--10km457周262km
船内
情報
講演等イベントメインショードレスコード食事
情報
ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
言霊の国の美しい言葉
堤 江実
フルーツティータイムバラライカクインテット
コンサ−ト
カジュアル地鶏雑炊洋食和食
今朝も良く寝て8時50分頃起床しました。というか、終日航海日は8時50分からの船長のブリッジ放送が目覚まし代わりになりつつあります。
ストックホルムは2日間とも天候に恵まれましたが、今日もいい天気です。
朝食はすっかり定着した「リド・カフェ」で久しぶりに目玉焼きを焼いてもらいました。

そして「パーム・コート」に移動して新聞を読むいつものパターンです。ヨーロッパに入ってから寄港日が多く忙しいので、終日航海が連続するのは少しホっとします。

今朝のダンス教室は区間乗船組に配慮したのか「マンボNo.5」と「ジルバ」でした。とは言っても私達も2回目の「マンボNo.5」だったのでまだまだでした。
昼食はパスしてフォトショップに直行し、ストックホルムで撮影された写真を何枚か購入しました。部屋に戻ってすぐに着替え、13時過ぎに7Fデッキにジョギングに行きました。その前の12時半頃もの凄く速く走るフェリーが通りました。
後で調べたところ水しぶきを立てて走るそのフネはデンマークのボーンホルム島(Bornholm)レンネ(Rønne)とスウェーデン南岸のイスタッド(Ystad)を1時間20分で結ぶBornholmer Færgenの高速フェリー「VILLUM CLAUSEN」でした。オーストラリアで2000年に出来たフネで平均43ノット(約80km/h)で走り、ギネスブックに「世界一速く走るフェリー」として載っているそうです。

14時半に「パーム・コート」の「フルーツティータイム」に行きました。フルーツ・ティータイムかと思っていたら、フルーツティー・タイムでした。後から船内紙を良く見たらちゃんと「美味しく、ヘルシーなハーブ&フルーツティーでゆったりした時間を…」と説明書きがありました。

フルーツから頭が切り替わらなかったため、フルーツタルトを食べることにしました。

ホットティーは3種から選べたので、わからないなりに「ハッピーデー」と「スプリンググリーティングス」というのを選びました。デンメア(DEMMER TEEHAUS)というオーストリアのブランドのプロモーションなのか、ディスプレイには紅茶の缶や木箱の他、六本木の新国立美術館近くにある店のカードも置いてありました。
優雅なウィーンの香りのするティータイムの後、ダンス教室午後の部は「タンゴ」でした。毎度後ろ向き思考ですが、とりあえず先に進まなかったので良かったです。
ダンス教室の最中にフィンライン(Finnlines)と書かれたフェリーと行き交いました。ドイツのトラフェミュンデ(Travemünde)とヘルシンキを結ぶ25ノット出る「FINNSTAR」というフネでした。
17時からは5Fの「アスカプラザ」でストックホルムで乗船したゲストシェフ、おか泉の岡田文明氏による手打うどんの実演がありました。

こうして作られたうどんは明日のランチで食べられるそうで楽しみです。

今日は禁酒をするそうでその足で11F「リド・グリル」に上がりました。いつものサラダや海鮮、黒豚バーガーの他、折りよく釜揚げうどんがあったので注文しました。


18時半頃大浴場に行った帰り、いつも12Fの右舷を通って帰るのですが、たまたま風力発電機の群れに遭遇しました。遠浅なのか、直に海に立っています。
これは2003年に稼動したニュステズ風力発電所(Nysted Wind Farm)だったようです。海風を受けてゆったりと回る風車群に何だか感動しました。
こういう思いがけない遭遇があるので、風呂帰りはわざと部屋とは反対舷の右舷を通っています。
既に夕食は終了し、ショーもパスすることにしているのでゆったりとした夜を過ごしたい所ですが、アマデア船上から撮影した「飛鳥U」に残った知り合いや、ストックホルム分の写真類を整頓し、プリントする必要があるものを6F「フォトショップ」に発注に行きました。
20時頃、遠く後ろから客船がついて来ているのに気付きました。
それがじわじわと針路を変え、20時20分頃本船の右舷に回ってしまいました。船名まではわかりませんがMSCクルーズのフネのようです。
どこへ行くのか右舷の様子を見るため7Fのデッキに遠征しました。GPS地図では本船はユトランド半島を回る狭いコースに入っていて、この時間なので後ろのフネも寄港はなくついて来る筈です。
20時45分頃、西の空が少しずつ赤く染まり始めました。
太陽が雲の下に出ました。

すると夕日がキャビンに差し込んで、何とも言えない風情をかもし出しました。

ユトランド半島の低い陸地にゆっくりと沈んでいく日没を堪能しました。本日の日の入り時刻は21時23分でした。
ふと気付くと先程のMSCの客船がまたも左舷後方に復活していました。
そして数分後、21時半にまたしても右舷に回りました。先程風力発電の風車が海から直接立っていたということから推察すると、今いる場所は遠浅の狭い水路なので大型船は小まめに舵を切らなければいけないのでしょう。
22時頃夫のブログ「ストックホルム武器博物館(2011年5月25日)」を書き込むため、原稿やURL、IDにパスワートをUSBメモリにまとめて準備してPCルームに行こうとすると、夫がWEBメールに添付されていたファイルをダウンロードしたいと言い出しました。接続用カードの残り時間はブログ書き込み分ぐらしか残っていなかったので、それなら追加のカードをフロントに買いに行って欲しいと頼むとブツブツ言って嫌がります。PCルームにIT担当者が常駐している時間であればその場で購入出来るのですが、夜遅くは5Fのフロントでしか買えません。
仕方なく一緒に買いに行くことにし、部屋を出て真ん中の階段に向かってランドリールーム前を通った時に洗濯物が乾燥機に入ったままだったことを思い出しました。放置洗濯物で人様に迷惑をかけてはいけないとすぐに回収することにしました。すると夫が回収しといてやるからカードを買って来いと言います。
仕方なく買いに行って9Fに戻る途中に7Fで右舷デッキに出てMSC船の様子をチェックし、ポケットからカメラを出して撮影しようとした時に同じ場所に入れてあったUSBメモリがないことに気付きました。一瞬真っ青になりましたがとりあえず船の写真は撮影しました。
少し前の船長からの放送で予告があった通り、前方を見ると綺麗な橋が近付いていました。大ベルト海峡(ストア海峡、Storebælt)に架かるグレートベルト・リンクを構成するイースト・ブリッジ(Östbroen)です。
普通に日本で過ごしていると余程のツウでない限り、ユトランド半島とスカンジナビア半島間の距離だとか、その間に横たわるフュン島(Fyn)やシェラン島(Sjælland)を意識することはないと思いますが、乗船している船が通るとなると別です。シェラン島の東岸にデンマークの首都コペンハーゲンがあります。地図を見ながら一気に詳しくなりました。

7FのデッキでUSBを探しつつ、みつからないので部屋に戻りながらもどこかに落ちていないか探し、もしかしたら部屋にあるのかもと捜しましたがやはりありません。部屋のバルコニーからも間もなくくぐろうとしている橋が見えています。

12Fに駆け上がるとちょうどイースト・ブリッジをくぐった所でした。
USBのことが気になりつつも、今度は橋の全景をみるためにトモ(船尾)に移動しました。オーソドックスなこの吊橋は1998年開通で、中央支間1,624mは直前に開通した明石海峡大橋の1,991mに次いで世界第2位だったそうです。橋桁までの高さは国際航路基準の65mで、これも明石海峡大橋と同じです。
折角トモに移動したのですが橋の照明は思ったより暗く、残念ながらあまりよく写りませんでした。本船の通過から10分後、後ろのMSC船が通過しました。なお、翌日ツイッターで(@kunainosyou)教えてもらったのですがこの客船は「MSC ORCHESTRA」で、この季節はコペンハーゲン発着の複数航程でバルト海クルーズをやっているそうです。
トモから7Fデッキに降りて念のため歩いた辺を再捜索してみました。やはりUSBメモリは見つかりません。一縷の望みを託しつつ遺失物として届けられていないかその足でフロントに確認に行ったところ、ありました。外のデッキではなく船内に落ちていたようです。何かのタイミングでポケットから落ちたのでしょう。安堵感で力が抜けました。
USBを失くしてからみつかるまで約45分、ほとんど夫に相談出来ず最後に顛末を報告すると「一度に色々やるからだ」と非難の目が突き刺さりました。

気を取り直してPCルームに行くとパソコンに「通信障害で断続的になるためご利用できません」の張り紙がありました。「なんだこりゃ」と座り込みたくなる位に力が抜けました。
夫には私に一人相撲のように映っていたようですが、元はと言えば夫が添付ファイルを見たいと言い出さなければ、言ったとしてもカード購入を頼んだ時に快くフロントに買いに行ってくれさえしていれば、私は最初からPCルームに直行しUSBを落とすこともなかったは筈です。
これを教訓にUSBメモリには部屋番号と名前を貼って、ストックホルムで購入したカラビナ付のストラップと繋ぎました。
22時から23時までのわずか1時間弱の間に起こった「USB紛失事件」のせいで、精神的にどっと疲れた一日となりました。