パシフィック・ドーン 南太平洋クルーズ乗船記 (2010年2月13日〜2月20日)

<1日目> <2日目> <3日目> <4日目> <5日目> <6日目> <7日目> <8日目>

1日目 ブリスベン 出港14時
このクルーズは勤め人にとっては都合の良い土曜日午後の出発ですが、出港地のブリスベンは日本と1時間しか時差がないため、乗船日の朝に到着するには金曜日の便で行くしかありません。ハワイ同様成田発は21時過ぎなので、定時までギリギリ働いて出かけることにしましたが、後から考えると色々なリスクがありました。が東京は雪も降らず、渋滞も想定範囲、飛行機は定時に出発し、途中揺れましたがブリスベンにも定時に到着と心配性の夫の懸案をすべてクリアしてくれました。

<キャビン選択の検討経緯>
飛行機は定刻の7時20分に着陸し、入国審査もスムースでした。ただし、食物の持ち込みに厳しいオーストラリアに、乗船中のツマミ用のスナック菓子を持ち込もうとしています。ナッツ類は不可らしいので柿ピーは断念し、9月に奄美大島で買って大事にし過ぎたあまり、賞味期限が切れてしまった九州限定のコーン菓子です。
これなら万が一没収されても「期限も切れてたことだし」と諦められます。税関書類に正直に「食物を持ち込む」と書いておいたら「インスペクションあり」の方に誘導され、「何持ってます?」と聞かれたので「ポテトチップス」と答えると「じゃあいいです、どうぞ」とスーツケースを開けることなく通してくれたので拍子抜けでした。これなら柿ピーも持ち込めたかもしれないと思いましたが、食物チェック犬がいるらしいので、やはりリスクに見合わないでしょう。
8時にはロビーに出てしまいましたが、乗船時刻の11時にはいかにも早いのでとりあえず空港でジュースとコーヒーを飲むことにしました。オージー英語は引き受ける、と事前に豪語してしまっていたので、夫に「買って来て」と冷たくいい放たれました。無事買えるかと思いきや、8ドル10セント、と言われ張り切って出した10セントが「これはオーストラリアのじゃない」と拒否されてしまい、良く見たらシンガポールのものでした。「アラ、ゴメンナサイ」と言うと「No Worries」と返事され、オーストラリアに来たと実感します。
私はここで時間を潰して9時位に出たらいいかと思っていましたが、コーヒーを飲み終わるやいなや夫が「さあ、行こうか」。タクシーをつかまえ結局9時ちょっと過ぎにはハミルトンのクルーズターミナルに到着してしまいました。料金は21ドル50セントのところ、チップ制度のないオーストラリアなのに夫が「釣りはいらねえ」と30ドル出してしまい、またも目が点になってしまいました。
外国船も5船目になると流石に色々と要領がわかっているので、ここまで来たらもう乗船したも同然という感じです。このクルーズターミナルの浮き浮きした華やかな雰囲気は、乗船客の平均年齢が高い日本船ではちょっと味わうことは出来ません。これから乗船するフネの船尾が見えて、一気にテンションが上がります。

まず荷物をドロップして、それからチェックイン(乗船受付)に向かいました。

まだ9時をちょっと過ぎた所ですが、既にそれなりのチェックインの列がありました。しかし今回私達は14室しかないスイートを予約しています。リーズナブルな料金ですが本船では最高グレードなので、チェックインも別途「優先チェックイン」カウンターが設けられていました。予約に関わらなかった夫は普通の長い列に並びかけたので、慌てて制すると「えっ、そうなの。スイートなの?凄いじゃない」と同意を得て予約したにもかかわらず全く覚えていません。
10分位で私たちの番が来て手続きが始まりました。受付のお姉さんがにこやかに「How are you doing today?」と言ったのに、夫が答えるのは面倒で無視してしまったため、慌てて「We are fine.」とフォローしましたが、この咄嗟の場面で「日本から飛んできて疲れてるけどワクワクしてる」ぐらい気の利いたことを言えたら良かったのに、とあとから思いました。

オンラインで必要な情報はすべて入力してありましたが、それをプリントアウトしたものも必要だとのことで、その場で一部書き足しました。システムがトラブルを起こして参照できなくなった時用だと説明され、納得しました。
11時の乗船時刻に変更がある訳ではありませんが、もしかしたら15分ぐらいは早まるかもしれないので、アナウンスを聞いていて下さいね、とのことでした。私たちは準備が整い次第一番に乗船出来る「ピンクのA」というカードをもらいました。まだ9時半でアナウンスまで1時間以上あるため、とりあえず回りをブラブラし、これから乗船する本船「パシフィック・ドーン」の写真を撮りに行くことにしました。
このクルーズターミナルは、ブリスベン国際空港とブリスベン市内の間ぐらいのハミルトンという場所にあります。どちらからのアクセスも良いため、日本からのフライ&クルーズで行くにはとても便利です。
ブリスベン川に浮かぶ「パシフィック・ドーン」は真っ白な船体が綺麗です。本船はプリンセス・クルーズの「リーガル・プリンセス」がP&Oに移籍してきたもので、つい最近までシドニーを拠点にしていました。そこに同型船の「パシフィック・ジュエル」が投入されたため、本船がブリスベンに回ってきたのです。上方の大きなバルコニーが片舷にそれぞれ7室あるスイートです。
10時半を過ぎたので、そろそろアナウンスがあるかと待合室に戻りました。ほどなく「ピンクのA」のコールがかかったような気がしましたが、マイクなしで独特の節回しをしていたため今ひとつ確信が持てません。周りのオーストラリア人も聞き取り辛かったらしく「今何て言ってた?」みたいな感じだったので、確認のためゲートを見に行くと、同じ「ピンクのA」を手にした人々が出国手続きの方に吸い込まれているところでした。
やはりそうだった、と係員にカードを渡して先ほど入国したばかりのオーストラリアを出国しました。手荷物をセキュリティーチェックを通すのは外国船共通です。スイートはミネラルウォーターが適宜供給されるので必要ありませんが、2Lぐらいの大量のペットボトルをを持ち込む人がいたので、ソフトドリンクのみ持ち込み可能なようでした。それにしても一番に乗船出来るこの優越感、お金はタダでは取りません。
一緒に乗船した人たちと乗船カードを通して顔写真を撮影された後は、案内が途切れて周りのオージー達と一緒に「アレ?」みたいな感じで放置されてしまいました。ので自主的に予約した部屋11Fの「A110」に向かいました。

鍵のカードは旧式の穴の空いた硬いカードで、乗船カードとは別になっています。期待を込めてドアを開くと夢のようなスイートが広がっていました。わ〜。

入るとまず広いリビング左手前のワークスペース奥を左に曲がると寝室

寝室の奥はクローゼットその奥のバスタブシャワーブースの隣にトイレ

もちろんバルコニーも広々です。こうしてあちこちチェックしていると、キャビン・スチュワードのヒラリオ(フィリピン人)が挨拶に来て、部屋の説明と、今日の13時半からの避難訓練について教えてくれました。が開口一番「チャイニーズ?」と聞かれまたも国力の低下を痛感しました。
バルコニーからはブリスベンの市街地が見えていました。本船は上流に向いて接岸していますが、この川はかなり蛇行しているのです。
この時間はまだスーツケースが届かないし、お腹も空いたので12Fの「カフェ・デル・ソル」(ビュッフェ)に食べに行きました。まだほとんど乗船客がいなかったので、ガラガラ状態で食べ始めましたが、そのうちだんだん混んで来ました。

まず軽く前菜とサラダを取って来て、それからメインにしました。出発前に「オージー英語は任せておけ」と豪語してしまったプレッシャーから、成田−ブリスベン間は柄にもなく胃が痛くなり、ディナーも食べていませんでした。無事乗船して義務は果たせたと緊張から開放され食欲が戻ったみたいです。オージーは昼間からガンガンアルコールを飲んでいたため、正午前ではありますが、こちらも負けじと飲むことにしました。

シメにはしっかりと甘いものも食べました。コーヒーはボタンを押して自分で入れる方式だったのですが、「Flat White」という表示があり「流石オージー船」だと思いました(カフェラテと多少ミルクの量が違う飲み物のことをオーストラリアとニュージーランドではこう呼ぶ。)。ただこの機械は「いかにもインスタント」なコーヒーの味なのは少々残念でした。
部屋に戻るとスーツケースが届いていました。荷解きしている間に避難訓練の時間になったので、マスター・ステーション(集合場所)である8Fの「インターナショナル・ショー・ラウンジ」に赴きました。集まって説明があり、その後その場で持参したライフジャケットを試着する方式でしたが、最後にキャプテンが放送で真面目に緊急時の説明を皆に諭すような口調で喋るので、最初は浮かれていた乗客たちも最後は神妙に聞き入っていました。
ライフジャケットを部屋に置きに戻ると、出港パーティ用のスパークリングワインが置いてありました。早速夫は飲み干しました。
出港時には12F「リド・プール」で「セイルアウェイ・パーティ」があるというので見に行くと、アルコール類を片手に持って皆雰囲気を楽しんでいるようです。が私達には音楽がちょっと騒々しかったので、7F「プロムナード・デッキ」で出港風景を楽しむことにしました。
右舷入船で着岸していた本船は、タグボート2ハイの力を借りて反時計周りに180度向きを変え、しずしずとブリスベン川を下り始めました。この瞬間は本当にいいものです。
14時40分過ぎに「ゲートウェイ・ブリッジ」(2010年5月にサー・レオ・ヒールシャー・ブリッジに改名)をくぐりました。高速道路専用の橋で、橋げたまでは80m近くあるそうです。
橋を越えると右舷に「Visy Paper」と書いてある工場が見えました。紙関係だと思いますが、日本の工場の建物と雰囲気が異なりお洒落な感じです。
12Fはどういう状況かと見に行ってみると、まだまだ盛り上がっていて冷たそうなコロナビールが凄い勢いで売れているところでした。

私達はそろそろ船舶ワッチに切り替わりです。フネはフネからでないと全容が見えないことから客船の入出港時の船舶ワッチは欠かせません。右舷にあるフネは順光ですが、左舷は逆光で見づらかったです。

多くのフネが停泊している中でも、日本の造船所で作られた船は何となくわかります。「BANTRY」は長崎の大島造船所、「LEYTE SPIRIT」は尾道造船所で建造されたフネでした。「BANTRY」はばら積み船でありながら2番4番6番貨物槽に苛性ソーダ(水溶液)を積むことの出来る特殊船です。BPのオイルタンカーは英国船籍で船籍港はマン島のダグラスでした。
クラブネス「BANTRY」2005年出来TK「LEYTE SPIRIT」1992年出来BP「BRITISH SWIFT」2003年出来

ヴィルヘルムセンの自動車船「TARAGO」ハパックロイド「HS MOZART」4,389TEUマースク「MAERSK DAMPIER」同左

川崎汽船のコンテナ船「NEWPORT BRIDGE」は3,720個積みで、日本から韓国、中国、香港を経由してメルボルン、シドニー、ブリスベン間を5週間でサービスしています。海外でこうして日本の海運会社のフネを見ると「おお、頑張ってるね」と声をかけたくなります。
出港して2時間近く経ち、そろそろ14F「スポーツ・デッキ」の人が少なくなって来たのでジョギングに出かけましたが、それでもまだ人が多かったためウォーキングと半々で20周、5km分ぐらいを40分かけました。オーストラリアでは日本語が書いてあるTシャツが流行っているらしく「富士山」は良いとして「東の北」や「MIYAZAKI宿業」など珍しいものを着た人をみかけました。また、階段の踊り場にもアートとしてこのようなものが…。だから何…。
シャワーが空くのを待つ間にi-podをセットすることにしました。スイートにはドッキングステーションが備えてあることはわかっていたので、久しく使っていなかったi-podをはるばる持って来たのでした。最近はmp3ファイルを作るのが面倒になってしまっていますが、このマシンにはモーツァルトのほとんどの交響曲とピアノ協奏曲が仕込んであります。なかなかいい音が鳴りました。
そしてシャワーをしてさっぱりした後はお待ちかねのビアタイムです。決死の覚悟で持ってきた九州限定のツマミと一緒に、バーで仕入れたVB(Victorian Bitter)と「XXXX Four X」を各2缶ずつ飲み干しました。
今本船が走っているのはブリスベン港に向かう航路であるため、ハッと気が付くと大物と行き交っています。ホーグの自動車船「HÖEGH OSLO」5,200台積み(5,200CEU)は2008年出来でまだ綺麗でした。これも日本生まれかもと思ったら常石造船でした。
そろそろ日が暮れます。このあたりは本船は細かく舵を切って回っていましたが、後日航跡図を見たらかなり不自然な動きをしていました。クルーズログによると細かく水路を通っていたようなので、浅瀬や珊瑚礁があったのでしょう。
日本郵船の「SPRING FORTUNE」は空荷で喫水線がかなり上がっていました。ハッチカバーが夕日が輝いてとても綺麗でした。1999年の常石造船です。
18時半頃、パイロットが降りました。無事パイロット船に乗り移ると、本船がお礼を言うように汽笛を鳴らし、パイロット船も返答していました。
本船の食事は7Fメインダイニング「ザ・パームコート」と12F「カフェ・デル・ソル」が無料です。メインダイニングは基本的にいつ行っても良いのですが、18時か20時の予約を推奨していたので、夕方ビールを買いに行ったついでに20時の予約をしておきました。
時間ちょうどに7Fに下りて行くと、ちょっと列が出来ていましたがすぐに案内されました。この日は数少ない2人用のテーブルを予約出来たので、ラッキーでした。昼間はラフな格好だったオージー達が、それなりにドレスアップしているのはちょっと意外です。

entree

  • cream of cauliflower soup
    salami grissini

午前中から飲み続けている感じがしますが、赤ワインを注文。
pasta and entree

  • tossed pasta tubes in spicy tomato sauce
    capsicums and italian herbs(veg.)


  • lime and basil marinated baby prawns
    on tzatziki and turkish bread
main

  • grilled blue eye cod fillet
    shiitake mushrooms, cous cous tabouleh, organic baby greens


  • roasted beef sirloiin
    yorkshire pudding, green beans, baked potato
dessert

  • creamy chocolate mud cake
    strawberry compote(v)


  • cinnamon rice pudding
    with dried fruits
最初の注文時にデザートまで一気に頼むのは外国船では初めてかもしれません。イギリスの学校給食を思い出し、デザートには日本であまり食べる機会のない「ライス・プディング」を頼みました。ウェイターに日本人だと言うと、日本に住んでいたことがあるというフィリピン人のウェイトレスを連れて来てくれました。彼女は片言の日本語を喋り、会話の最中夫はここぞとばかりに数少ないタガログ語のボキャブラリー(パロパロ?)を披露しておりました。

ダイニングを出ると、翌日のディナーの予約をすることが出来るようクルーが待機しています。20時の予約をしたところ、2人用の席は満席だと言われてしまいました。部屋に戻るとベッドカバーが外されていましたが、ヨーロッパでよくあるチョコレート類は置いてありませんでした。ディナーの最後にコーヒー類が出なかった(聞きに来なかった)ので、部屋に備え付けの「ネスプレッソ」というマシンでコーヒーを淹れました。
それからインターネット接続を試みました。本船のインターネットカフェは8F前方にあり、私達の部屋の近くの階段を下りて行くとすぐありました。無線LANによる接続が可能ですが、この場所に来ないと電波が弱くて繋がりませんでした。接続方式はプリンセス・クルーズと同じで、名前イニシャル+苗字+部屋番号というユーザー名と、誕生日でログインする仕組みでした。
部屋に戻るやいなや夫は沈没。今晩は時計を1時間進めなくてはならないため、早く寝たかったのですが、眠くならなかったのでぼんやりとラグビー五カ国対抗戦(と思ったらいつの間にか六カ国対応になっていました)のウェールズ対スコットランド戦を眺めていました。