10日目 8月23日(月曜日) サウス・クィーンズフェリー(エジンバラ) 出港翌1時
今日は午前中もう一度エジンバラに出かけ買い物をし、それから夜のミリタリー・タトゥを控えているので早めに起床し朝一番にジョギングを済ませることにしました。
停泊しているので3Fのデッキは走りやすく、フォース鉄道橋を見ながら5kmほど走りました。まだ7時台ですが早くもテンダーに乗って上陸する人たちが見えました。

今日は目の前でプレーン・オムレツを作ってもらいました。スモークサーモンにはケイパー山盛りです。
パンがわりに数日ぶりのワッフルのチョコレートソースピーナッツがけを食べました。一方夫は待つことが嫌いなので、大皿からスクランブルエッグです。

部屋に戻ると丁度掃除中だったので船内をうろつくことにしました。船首部分の下層階に行き、伝統のホーランドアメリカにちなんだ船の絵画を再チェックした後、各フロアの廊下に飾ってある絵画を眺めながら上に上がって来ると、7Fの各キャビンの前の書類入れに当日のディナーのメニューが入っているのに気づきました。
毎日午後、メイン・ダイニングの前に掲示してあるのチェックしに行かないでも頼めばメニューを届けてくれるのか、と一瞬思いましたがこのフロアは本船で一番グレードの高いキャビン「ペントハウス・スイート」及びその次の「デラックス・スイート」のあるフロアであることを思い出しました。
本船に2室、106uの「ペントハウス・スイート」客室のドアは、ちょっと新日本海フェリーのスイートのドアを彷彿とさせました。ちなみにデラックス・スイートは40室あり50uぐらいです。
その二つのクラスしか利用出来ない「ネプチューン・ラウンジ」というのが中央部にあります。中を覗くと落ち着いた雰囲気のラウンジで、いかにも、という乗客が寛いでいるように見えました。
テンダーには10時過ぎに乗り込み、小雨の降り始めた岸壁に降り立ちました。鉄道は本数が少ないのでオーソドックスにシャトルバス(片道5ポンド)を使うことにしました。ユーロでは€6-、二人分の往復で25ユーロ払ったらお釣りは1ポンドもらえました。
バスは20分程でエジンバラの新市街にあるシャーロット・スクエア(Charlotte Square)に到着しました。セント・ジョンズ教会(St John's Episcopal Church)の向こうにエジンバラ城が見えています。
ケルト十字を見つけました。土着の自然・精霊信仰と5世紀に伝わったキリスト教が融合した独特の世界観から生まれたものだそうです。
ミリタリー・タトゥの会場にもなるエジンバラ城は岩山(Castle Rock)の上に築かれた、要塞然とした古城です。戦闘を繰り返したため破壊と増築を繰り返していたそうですが、一番古い建物は10世紀のものだそうです。
前の日に来たので多少土地勘を取り戻し、今回は新市街の目抜き通り(Princes St)をウィンドウショッピングしながら往復することにしました。夫は買い物嫌いですが、自分自身もお土産を買う必要があったので仕方なく付き合ってくれました。
みやげ物屋を覗いたり、キルトのスカートの試着をしたり、夫がアスコットタイを購入したりしたので500mちょっとを移動するに1時間ぐらいかかってしまいましたが、エジンバラの風景写真に必ず登場するスコット記念碑(Scott Monument)に到達しました。スコットランドを代表する作家のサー・ウォルター・スコットを記念して建てられたものです。
モニュメントの少し先には立派なバルモラル・ホテルがあります。1902年創業の格式あるホテルだそうです。12時を過ぎたのでこの辺りで引き返すことにしました。
ちょっと戻った左側スコットランド美術館と(National Gallery of Scocland)ロイヤル・スコティッシュ・アカデミー(Royal Scottish Academy、写真)があります。折りしも印象派の企画展をやっていましたが、夫が絵画に興味がないためどうしようもありません。ヨーロッパの美術館はいい絵がとても多いので残念です。
13時過ぎにスタート地点に戻りました。行きには気付きませんでしたがここにも格式あるカレドニアン・ホテルがありました。
バスは降車地点で待機していて、ある程度人数が集まったら船の待つサウスクィーズフェリーに戻るようでした。13時20分頃出発しました。
サウスクイーンズフェリーでは地元の様子も見てみようとブラブラしました。が、ちょっとしたみやげ物屋ぐらいしかなかったため、フネに戻ることにしました。岸壁のボートハウスのようなところにライフボートの何かがありました。
「このライフボートの何か」はそのロゴを元に検索したら「王立救命艇協会(Royal National Lifeboat Institution)」のことで、売り場にいたおばあさんの話によるとすべて寄付で賄われているとのことでした。ロゴがカッコ良かったのと、活動資金の足しになるのならと思い、ティータオルを2枚購入しました。

夜のミリタリー・タトゥ・ツアーの集合は17時半だったので14時半頃早めの夕食を済ませることにし、まずはビールを飲みました。美しい鉄道橋を見ながら贅沢な時間です。

その後9Fの「リド・レストラン」に上がりました。ピザ好きの夫が4種(ペパロニ、4種のチーズ、ベジタリアン、プロシュート)並べてあるのを物色しています。結局チーズとベジタリアンを選んだようです。

私はパスタに挑戦しました。まずパスタの種類(ラザニア、スパゲッティ、トルテリーニの中からトルテリーニ)を選択し、そうすると途中まで茹でてあったものを再度お湯に投入し、出来上がるとどのソースにしますか?と聞かれて選ぶ形式でした。このパスタに一番合うのは何か尋ねたらホワイトソース(アルフレード・ソース)だと言うのでそれにしました。ソースは他にトマト、ボロネーズ、ロブスターが用意されていました。
ミリタリー・タトゥーは暗くなり始める21時からですが、集合は17時とそれよりかなり前となります。これはテンダー乗船し、その後観光バスでエジンバラに行き、更に会場までちょっと歩くらしいので仕方ないでしょう。本船から650名程がこのツアーに参加するとのことでした。今回のツアーも旅行会社の添乗員の女性が同行してくれるので安心です。
私達のバス(No.3)のガイドはスコットランド人の女性で、とても丁寧に色々説明してくれました。そして私達スコットランド人にとってはジェームズ・ボンドはショーン・コネリーしかいないんですよ、と教えてくれました。今や爵位を持ったショーン・コネリーはこの付近の出身なのです。
バスはエジンバラ城の南に位置するグラスマーケット(Grassmarket)近辺に到着し、そこから会場まで15分程歩く事になりました。何本か道を曲がらなければならないので、ガイドが丁寧に説明しながら連れて行ってくれました。

グラスマーケットにはかつて処刑場があったそうです。円形の物はその場所にある盟約者の碑(Covenanters' Memorial)で、その近くの地面には石で絞首台のシルエットが描かれていました。

この辺りのパブはその当時の罪人や、出来事にちなんだ名前が付いているのだそうです。写真はマギー・ディクソンパブ(Maggie Dickson's Pub)で、絞首刑に処された後息を吹き返した女性(Half-hangit Maggie)の名前です。
15分ちょっと歩いた19時半頃、タトゥー会場に入る列(Tattoo Queue)はここ、という場所に到着しました。ガイドによれば20時ちょっと前から会場に入れるようになるでしょう、とのことでした。行列は英国の伝統です。
そしてその通り20時前に列が動き始め、夢にまで見たタトゥーの会場が目の前です。脇に公衆トイレがあり、ここから先はトイレがないので、と注意されました。ここで日本から来た数名の観光客と一緒になり、「客船で来た」と言った私達団体(10人ぐらい)を見て目を丸くしていました。また、現地の警察官がいきなり日本語で「コンニチハ、お元気ですか」と話しかけて来たので今度は私達が目を丸くしたら「日本で英語の先生してました」とのことでした。
私達の席は南側スタンドのEブロックにありました。この期間だけエジンバラ城の前の広場(Esplanade)にスタンド席が設置されるのです。
指定された席に行くと、降ったり止んだりの雨の中出演する連隊やダンサーが記念撮影をしている所でした。
ミリタリー・タトゥを初めてBBCテレビで見たのは高校生の頃ですが、それ以来いつか見たいと思っていたこの催しを、客船で見に来られたとは感無量です。

開演の21時近くになりほとんどの席が埋まりました。やはり全世界から人が集まるだけのことはあります。降ったり止んだりだった雨が止まなくなってきました。

時間丁度にファンファーレが鳴り響き、2010エジンバラ・ミリタリー・タトゥが始まりました。今年は開催60周年記念(Diamond Jubilee)の年でもあります。
軍楽隊の祭典と言いつつ、やはり花形はバグパイプとドラムの大編成(Massed Pipes and Drums)です。「チロルの緑の丘(Green Hills of Tyrol)」と共に現れました。これだけでもここに来た甲斐があります。
スコットランドの国歌と言われている「スコットランドの花(Flowers of Scotland)」が演奏された時には観客席から一緒に歌う声が聞えました。

雨が止まないのでカメラを守りながらの撮影も気を使います。後日発売される公式DVDを買うことに決め、出来るだけ鑑賞に注力することにしました。
5歳から16歳までの少年たちによるオートバイのショー(IMPS Motorcycle display team)がありました。路面は滑りそうだし、雨で操作を誤らないかとちょっとヒヤヒヤしました。
アメリカのサウス・カロライナにあるシタデル士官学校の演奏ではやはりスーザの行進曲が目白押しの中、ノリノリの「ヘイ・ベイビー」が新鮮でした。
各軍楽隊は演奏を終えると、貴賓席にいるジェームス・スタヴリディス海軍大将(Admiral James G. Stavridis)に敬礼し、大将が答礼します。開演前にアメリカ欧州軍 (USEUCOM)司令官かつ欧州連合軍最高司令部(SACEUR)の最高司令官であると紹介されました。かなりの大物です。

ハイランド・ダンスは女性が出て来て華やかですが、男性のダンスはダイナミックで迫力があります。

アラブ風の音楽、名産の馬と共にヨルダンの軍楽隊が登場しました。儀仗隊によるライフルの操作が見事でした。演目の半分が終わり、漸く雨が止んだようです。エギゾチックと言えば先ほどグルカ兵の部隊も登場し、英国との関わりを感じました。

エンターテインメント性という点ではニュージーランド陸軍のバンドが一番面白かったかもしれません。白鳥の湖で踊ったり、ハイランドダンスもどきをしたり、マオリの愛の歌である「ポカレカレアナ(Pokarekare Ana)」を歌ったり、ハカと呼ばれる戦い前の民族舞踊を披露してくれました。

ニュージーランド陸軍の演奏(2010年ミリタリー・タトゥー) Youtubeへリンク
フィナーレが近付き「英国国歌」「蛍の光」を一緒に歌った後、ブラスバンドの大編成とバグパイプ&ドラムの大編成になりました。4日前グリーノック入港時にソロで聴いた「古い丸木橋(The Old Rustic Bridge)」が大迫力で演奏されました。金管楽器が入ると曲相が華やぎます。

「古い丸木橋(The Old Rustic Bridge)」フル編成バージョン 645KB
最後はもちろん「勇敢なるスコットランド」です。まず大編成で演奏された後、ブラスバンドが「We're No' Awa Tae Bide Awa'(スコットランドの送別の歌)」を演奏しながら退場し、バグパイプ&ドラムが残りました。そのまま「黒熊(Black Bear)」「勇敢なるスコットランド」と演奏しながら退場して行きました。

「勇敢なるスコットランド(Scotland The Brave)」他 4,055KB
すべての演目が終了しショーが終わったのは22時45分頃、そこから大勢の人の中バスまで歩いて20分、それからバスのメンバーが全員そろうまで待って結局出発は23時半になりました。雨が止んだ後は猛烈に冷え込み、トイレもかなりの限界状態でしたが何とかなりました。24時10分前に岸壁に到着し、ライトアップした本船が見えています。
私達のバスは10台以上出たバスのうち2番目に岸壁に戻って来たので、10分程で出た一番最初のテンダーに乗る事が出来ましたが、これに乗れない人達が岸壁に溢れていました。
テンダーは昨日の帰りにも乗船した観光船で、本船の乗船口のある右舷み回りこみました。

ライトアップされた本船のファンネルや、「Westerdam」の文字を見るとホっとします。

24時20分頃漸く本船のテンダー乗り場に到着しました。ミリタリー・タトゥが始まった時間は15℃ぐらいあったような気がしますが、今は10℃を割っているのではないかと思われます。こんなに寒くなるとは思いませんでした。
部屋に戻ったのは24時半になっていました。身体がすっかり冷え切っていたのでバスの中で眠ることも出来ず、身体を温めるため1時まで特別にオープンしている9F「リド・レストラン」に行くことにしました。
「リド・レストラン」は私達と同じことを考えたほとんどのタトゥー参加者で溢れかえっていて、大変な混雑でした。人間は寒かったり空腹だったりすると周りを気遣う余裕がなくなり、それはプレミアム船の船上も例外ではないのだなと実感しました。幸い私達は早めに食物をゲット出来たので、部屋に戻ってビールと一緒に食べることにしました。
フォース鉄道橋はライトアップされていないので、その姿は闇に隠れてほとんど見えないのは残念です。
フネは予定通り1時にサウスクイーズフェリーを出港し、つい先ほどまで私達のいた、右舷に見えるエジンバラに別れを告げました。

昨夜の余韻に浸ると言うよりは、長年の夢がかなってミリタリー・タトゥを見られたことで燃え尽き症候群のような感じになりました。
「ミリタリータトゥ2010(2010年8月24日)」