飛鳥U 年末年始グアム・サイパンクルーズ乗船記(2007-8)(2007年12月31日)

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6日目大晦日 サイパン 入港7時 出港17時
昨日夫が急に思い立ち、サイパンの半日観光に申し込みました。その集合時刻は8時45分と早めだったため、気合を入れて目覚まし時計をかけていたのですが、夫が先に起き7Fのデッキにサイパン入港シーンを見に行っていました。タグボート2隻で回したそうです。
朝食は例によって11F「リドガーデン」に行きました。胃腸は疲れている感じなので、イラナイと思いつつ生野菜やヨーグルトと言った体のバランスを整える食品をチョイスしました。お皿の上はアンパンで、これをサイパン 港で食べるのも日本船の醍醐味です。サイパンの入国審査は対面ではなく船側で一括手続きをしてくれました。
半日観光は同じコースに大型の観光バス4台分の参加者がありました。まず6F「ギャラクシーラウンジ」に行き、ツアーの参加証を見せると番号を書いたバッジを渡されます。このバッジがそのままバスの番号になっており、私達は4番でした。下船口はグアムの時と同じく4Fで、船のすぐそばまでバスが迎えに来ていました。「飛鳥U」のスタッフと、現地の日本人観光ガイドが付いて案内してくれる形式でした。
サイパンは太平洋戦争の末期、日本が本土防衛のために絶対落としてはならない要所だったのですが圧倒的物量を誇る米軍の攻撃を受け、1ヶ月弱の戦闘の末陥落しました。日本軍と民間人は島の南部からどんどん北の方に追いやられ、最後崖に追い詰められた後投降せずに死を選びました。

その際「天皇陛下万歳」と叫びなから崖から飛び降りて命を絶ったことから、その崖は「バンザイクリフ」と呼ばれています。

日本軍「最後の指令部跡」。洞窟の中の要塞の壁には、無数の弾痕や直径2m位の砲弾の穴があり、攻撃の激しさを物語っていました。
そのすぐ近く、スーサイドクリフを背にして建てられた、日本国政府による中部太平洋戦没者の碑。スーサイドクリフからも追い詰められた多数の日本兵と民間人が飛び降りました。


















 






























































スーサイドクリフからの眺めです。この先、はるか2,400km北には日本があります。約1年半前の2006年6月、天皇皇后両陛下が訪問され、ここで黙祷されました。
60年ちょっと前にその様な凄惨な事実があったとは思えない程南の海は穏やかで美しく、ただ所々にある慰霊碑が史実を突きつけます。第一次大戦後から約30年間、日本の統治下にあったそうですが、最後に追い詰められた人々はどんな思いで命を絶ったのでしょうか。色々と考えらせられるコースでした。
車中から砂糖王松江春次の銅像見学もありましたが、かつてサイパンが日本の消費する砂糖の3分の1を生産していた事実、そこで近代的な精糖技術をもって活躍した日本人がいて今も尊敬されていることが救いでした。日本人で海外に銅像があるのはこの松江春次とメキシコにある野口英世の2人だけだそうです。
11時半頃ツアーは最終目的地のDFSに到着し、そこでショッピングする場合には降りてシャトルバスで帰って来られるとのことでしたが、とても夫の賛同を得られそうになく、そのまま乗ってフネまで帰りました。

サイパンは信号がほとんどなく、ゴルフ場の中のような道ばかりでとてものどかでした。また、数少ない信号も、停電で良く消えてしまうとのことでした。

戻って港周辺をジョギングしてみたかったのですが、グアムもサイパンもアメリカ系はセキュリティーが厳しくて面倒臭そうだったので、船で走ることにしました。乗船口のボードには次港横浜と書いてあり、あたり前ですが日程の半分が過ぎてしまったことになります。

半日の観光でしたが、色々と歩き回ってお腹が空いてしまったので乗船して初めて真面目に昼食を食べに行きました。もちろんメインダイニングの和食のメニューが「牛丼」であることはチェック済みです。小鉢は「しめじピーナッツ和え」「シェルマカロニサラダ」、汁物は「村雲汁」(かきたま汁)でした。サイパン島に居ながらにしてこの本格的な和食はやはり日本船の醍醐味と言えるでしょう(しつこい)。
折角だから少し日焼けしないと、とプールに行って雑誌を読み、ほどなく気持ちよく気絶しましたが、「泳がないの」という夫にムっとしながら起こされて20分程泳ぎました。その後デッキを12周5kmを走り、2007年の走り納めとなりました。

運動の後は大浴場でさっぱりし、お約束の「バルコニーでビアタイム」です。外で飲むビールは本当に美味しい。サイパン島から3km離れたマニャガハ島が見えています。
今日は出港に合わせ「セイルアウェイ・パーティ」があるので、16時半頃11Fのプールサイドに行くと、シャンペンやらワインが振舞われていました。いつも夜11F「パームコート」で演奏している「マナマ」がいきなりビーチ・ボーイズの「ココモ」を演奏し、気分が盛り上がります。
2曲、3曲と演奏しているうちにヘリコプターのフラワーシャワータイムとなりました。飛んで来たヘリが風向きの関係からか右舷前方上空に回り込み、そこでホバリングしたまま花が撒かれました。赤と白の花が沢山「飛鳥U」に舞い降りました。客船の上の空から花が降って来るなんて、素晴らしい演出だと思います。

まさしくシャワーピンクと白の花が風向きを計算して

このパーティの最中、いつの間にか「飛鳥U」はサイパン港を出港していました。
ショータイムは飛鳥専属のエンターテイナー達による、「ミュージカルの夕べ」で、1950年代の「オクラホマ!」から現代にかけてヒットしたミュージカルを順番に紹介していくショーでした。ショーから戻った19時半頃の本船の位置です。
夕食は中華と言うことで、期待に胸を躍らせて着席しました。なお、この頃ようやく「飛鳥U」のメインダイニングでの着席オペレーションを理解しつつあったのですが、基本的に「ご自由に席を見つけて勝手にお座り下さい」というシステムでした。確かにダイニングの入り口には「自由席」だと書いてあるのですが、当初、その意味するところは「キャビンによって席が固定されている訳ではない」と解釈していました。400名位の乗客は、ウェイターが案内するより自由に座らせた方が効率的ということなのでしょうか。

中華には紹興酒焼豚、クラゲ、ピータン、ピリ辛胡瓜海老とイカ、枝豆のライスペーパー包み揚げ
たらば蟹と帆立貝の蟹そぼろ餡掛けトウモロコシと玉子のスープ海老のチリソース炒め
若鶏とカシューナッツの炒め物薬膳 蝦夷鮑のお粥とザーサイ漬マンゴープリン

23時30分からは5Fレセプション前のスペース、「アスカプラザ」でカウントダウンパーティです。降りて行くと蛍光ペンライトの様なもの、クラッカー、とんがり帽子が配られました。スパークリングワインも配られます。キャプテン、機関長、ホテルマネージャーも勢ぞろいして船客を迎えています。

新年20分前ぐらいになると中央ステージに本船のクルーズディレクターのボブ田中さんが上がって歌い、それから団しん也がカウン ダウントークを始めました。

15秒前からカウントダウン準備、新年を迎えた瞬間は皆で配られたクラッカーを鳴らしました。
右から小田船長、機関長、ホテルマネージャー。ステージで新年挨拶されました。その後、バンドが演奏する「聖者の行進」に合わせ、クルー、乗客と一体になって列を作って練り歩きました。たまたま私の後ろには2月より本船の船長になる中村副船長がいらっしゃいました(ずっと練り歩いていたため写真撮影出来ず)。
興奮の余韻さめやらぬまま、メインダイニングへ行き年越しそばをチェックしました。天ぷら蕎麦、鰊蕎麦と掛け蕎麦のラインアップでした。8時過ぎに中華のフルコースを食べたので流石にまだお腹がいっぱいです。
本船はグアム時間で航行しているので、部屋に戻って日本の新年はこれからです。NHKの紅白の最後の部分と「ゆく年くる年」を見て、本日二度目の新年気分を味わいました。