飛鳥U 年末年始グアム・サイパンクルーズ乗船記(2007-8)(2007年12月28日)

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3日目 航海日
昨日から高気圧の端を本船は航行しているそうで高気圧からの吹き出しの東風を強く受け、相変わらず朝から時化ています。夫は6時半のウオーク・ア・マイルというデッキ散歩大会に出ようと一生懸命早起きをしたものの、外は土砂降りの雨だったらしく、またさっさとベッドに戻り8時過ぎに二人揃ってやっと起床しました。

朝食は11Fの「リドカフェ」に行きました。ビュッフェ形式の洋食で、可もなく不可もなくですが、朝のピーク時でもここと中央の「リドガーデン」を使ったスペースはゆったりしていていて気持ちが良いです。

8時過ぎには雨も上がり、気温も少しずつ上がってきました。テラスに出て引き波の音を聞きながら朝食を食べると、やっと本格的クルーズらしい気持ちになってきます。

食後は6Fプラザデッキ後方で軽くゴルフの打ちっ放しをしました。ここは他にパターゴルフ場や卓球台が置いてあります。
10時半頃、北硫黄島を通過しました。この後11時から、昨日に引き続き初心者ダンス教室に行きました。行く直前まで「知らない女性と踊るのはイヤだ」としぶる夫に「私がずっと相手をするから」と言う条件で引きずり出しました。本日の種目は1・2・3・チョンの「ルンバ」でした。
昼は11F「リドカフェ」が中華バイキングだと書いてあったので、もの珍しさから行って見ることにしました。と言っても連夜のディナーにより早くも食欲は平常時の80%ぐらいに落ちてしまったため、軽く味見をしてみた程度でした。
食事前から見えていた硫黄島は、食事中に更に近づいていました。一番奥が標高169mの摺鉢山です。硫黄島は本州とグアムのちょうど中間点にあり、太平洋戦争最大の激戦地のひとつを言われています。マリアナ諸島から本土を空襲する長距離爆撃機を護衛する戦闘機の基地とするために、昭和20年2月から3月にかけて米軍の上陸作戦が展開され、20,000名あまりの将兵が玉砕しました。
摺鉢山に一番近づいた12時40分頃、「飛鳥Uは」長音一声、この地で亡くなった人達の慰霊のために汽笛を鳴らしました。12F「スカイデッキ」から黙祷を捧げました。

「硫黄島慰霊の汽笛」 546KB

西海岸の米軍の座礁船摺鉢山の硫黄島から遠ざかります

14時過ぎ、硫黄島から南に約60kmの南硫黄島を通過しました。北硫黄島からここまでが火山列島と呼ばれ、東京都小笠原村に属しますが南硫黄島は無人島です。
その後、初めて「飛鳥U」のデッキを走りました。これは1周440mとあり、もちろん走ることは禁止されていません。前日走れなかった部分を取り戻すべく、気合を入れて22周、約10kmを走破しました。デッキの床は木製ですが、硬さに慣れないせいかちょっと違和感がありました。また右舷と左舷それぞれ200mづつ位ある訳で、この直線は結構疲れました。特に右舷側、船首に向かって走る時は猛烈な向かい風になりパワーを要します。
メインダイニングの夕食は和食だったようですが、二人で休肝日と決め、夕食も軽く済ませることにしました。「飛鳥U」は11Fの「リドグリル」が13時半から19時45分までオープンしていて、日替わりでバーガー類や麺類を食べることが出来ます。
ということで17時前に夕日を眺めながら和牛バーガーとタコ焼きを食べました。この日は他に冷やしうどんがありました。飲み物はサーバから何種類かのジュースとコーヒーを自由に取って来ることが出来ます。

船はグアムに向け南下しているため、夕日は必ず右舷側に沈みます。冬の日本から大分離れたので、雲が少なくなり、この航海で初めて美しい夕日を見ることが出来ました。

11F「シーホースプール」も薄暮を迎えました。段々気温が上がって来たので明日は泳げるかもしれません。
軽く食べた後は6F「ギャラクシーラウンジ」で18時から西川啓光社中の演奏による、和楽を聴きました。滅多に機会がありませんが、日本の音楽もたまにはいいものだと思いました。
コンサートの後は本来の食事時間ですが、この間に部屋を掃除してくれるので、邪魔してはいけないとカジノを覗いたり、11F「コンピュータープラザ」に行って時間を潰しました。インターネットは高額なので繋いでいられませんが、PCは普通に使えるので旅の記録を執筆し、USBメモリに保存します。
21時過ぎのGPS画像です。まる2日間で、横浜からかなりの距離を航行して来ました。