2日目 5月13日(月曜日) 小京都 飫肥城下町散策と鵜戸神宮 北郷温泉 歴史探訪コース 
夫が6時過ぎに起きてワッチのため外に行ってしまいました。
幸いフネは左舷付けonly、バルコニーからでも眺められるため私は部屋で不精することにしました。間もなく到着予定時刻の6時半になります。

フネは流れるように入船着岸して係船し、あっと言う間にランプウェイが出て来ました。1日おきの志布志で慣れているとはいえ流石定期運航のフェリーです。

一瞬で着岸の儀が終わってしまい、ツアーの集合時刻まではまだ時間があります。バルコニー越しにサイロが見え、客船で外国の寄港地を訪れたような気分になりました。サイロは頭の中でフランスのルーアン港と関連付いています。
志布志は以前鹿児島に来た際に、鹿屋の基地を見学したあとの空き時間に「世界中から飼料用の穀物が集まる所だから見に行こう」と夫に言われよくわからぬまま来てみたことがあります。写真はその時に撮影したフェリー岸壁のすぐそばにある南日本くみあい飼料の志布志工場です(2005年12月)。
その時の志布志の写真の中にしっかりと先代の「さんふらわあ きりしま」が入っていました。まだにっぽん丸のショートクルーズに2回しか乗ったことがない頃だったため、フネの写真の撮り方がいまいちです(2005年12月)。
7時過ぎに鹿児島行きのさんふらわあライナー号(要予約)が出るので、そろそろ下船が始まるだろうと思いますが、私たちの集合時刻まではまだ1時間以上あるため、人気のなくなった展望デッキのトモの方にパトロールに行きました。日章旗がいい感じです。
そこにある階段で1F分下に下りた7Fにはドッグランがあります。走れるほど広くはありませんが、室内にいるよりはリラックス出来そうです。最近の大型フェリーは皆併設していて、ニーズの高さを物語っています。
部屋に戻って備え付けのドリップコーヒーを淹れ、昨晩買った那須高原牛乳パンと共に朝食にしました。時刻は7時過ぎ、まだまだ時間はあるのですが「ターミナルでは志布志市からお茶のふるまいが…」とか「お早めに降りてお楽しみ下さいませ」だとか案内があり、どうも乗船客を全員早く降ろしたいみたいです。
あまり困らせてもいけないと身支度と顔を作り、7時半過ぎに下船することにしました。帰りもこの部屋なので、荷物は置いたままに出来るのは客船感覚ですが、鍵は一旦返却しなくてはいけないそうです。
今日は予定されている日帰り温泉で頭から丸ごと洗うという野望を秘めているため、忘れ物がないか慎重にチェックしたため、下船は7時40分ごろになりました。7時前からこうしてスタンバっていた志布志市の関係者が歓迎の横断幕を揚げてくれています。
ターミナルではお茶とお菓子の振る舞いがあり、折角なのでいただくことにしました。そしてぼんやりとツアーの集合がかかるのを待ちました。と、バスは既に来ていて乗り込んでも良いそうなので乗車してしまうことにしました。
その時出口の所のさんふらわあ特製の顔出しパネルがどうしても気になって見ていると、観光案内の人が「写しましょうか?」。しかし夫は我関せずと建物を出て観光バスの方へスタスタと。「あっ旦那さん行ってしまいましたね、呼んで来ます!旦那さーん」夫は事情を察しムッとするも観光案内の人達の手前あまり表に出せず、しぶしぶ顔出しパネル写真に協力してくれました。志布志だけに。。。
達成感と共にバスに乗り込み、出発時刻の8時を過ぎましたが今回のツアーに同行する歴史家の田辺眞人氏が遅れているようです。
と、8時5分ぐらいにバタバタとバスに乗り込んで来た男性が…。その人が田辺氏で、紹介もそこそこにバスが動き出す前からマシンガントークが始まりました。ラジオ関西で日曜朝10時から「田辺眞人のまっこと!ラジオ」という番組を持っているため、その放送が終わってすぐに空港から鹿児島にやって一泊、宿から港までのアクセスが悪く少し遅れてしまったそうでした。
あまりに沢山の情報が入って来るので処理が大変ですが、専門家の話はやはり面白いです。最初の目的地飫肥の歴史についても名前の由来や、飫肥杉は飫肥藩主伊東氏が400年前に植林を始めたこと等興味深く聞きました。そして杉の生産量はこの宮崎県が秋田県を押さえて27年連続で日本一なのだそうです(1991年〜2018年)。
バスは港を出てすぐに鹿児島県から宮崎県に入り、9時半前に飫肥城址に到着しました。大手門から入り、皆で本丸跡まで行って説明を受けそこで解散し自由行動という流れです。
門を入って回り込み石段を上って行きます。往時を思い起こさせる佇まいは、今にも甲冑姿の騎馬が駆け上がっていきそうな雰囲気です。
途中四角いスペースの四つの門にある杉の対角線の中心に立つと幸せパワーがもらえる、という「しあわせ杉」という場所と立ち位置の目印がありしっかりとパワーを受け取りました。
そしてお城跡の一番上にある、旧本丸までやって来ました。何気なく立っている飫肥杉は樹齢100年を超えているそうです。
旧本丸だった場所は今では広場になり、飫肥杉が天を突くまるでパワースポットのような場所でした。写真は田辺センセイが説明している姿です。
飫肥は2004年9月からのHNK朝の連続テレビ小説「わかば」の舞台にもなり、この場所は主人公が落ち込んだ時に元気を取り戻した場所だったそうです。観光バスのガイドさんもこの場所が好きだと言っていました。私もこの場所ならスマホ抜きに何もしないで数時間いられそうです。
ここで解散となり、50分後にバスに集合することになりました。帰りがけに「伊東市長 佃広巳」と立て札の付いた河津桜があったのですが、飫肥伊東氏と伊東市は所縁があるのかもしれません。
例によって下調べを何もしていない不熱心さですが、初めての人は「小村記念館」がいいでしょうというセンセイに奨められました。他には江戸時代の書院造りが飫肥杉によって復元されている「松尾の丸」や「飫肥城歴史資料館」などがあり、共通のお得な入場券も売っていました。
小村壽太郎と言えば日露戦争のポーツマス条約の人だということは知っていましたが、飫肥藩の出だということは知りませんでした。飫肥に生まれ長崎で英語を学んで大学南校(東大)に進み、ハーバードのロースクールを経て外交官になるという経歴に触れ、明治維新をまたいで活躍した人々の優秀さに改めて感銘を受けました。
2009年から2011年にかけて放映されたドラマ「坂の上の雲」で小村を演じた竹中直人の印象が今でも強烈ですが、開国来の不平等条約の改正の総仕上げをした人でもあります。この条約改正により、日本は国際社会において欧米列強と対等な関係となりました。
駆け足の15分ぐらいで見学を終えて城下町の散策に出ました。特に当てはなく自然体で大手門通りを歩いて本町商人通りを目指しましたが、残り時間はあと25分しかりません。

全然流れとは関係ないのですが、この町の碁盤の目な感じと、飫肥城を頂点とした傾斜が2018年飛鳥Uの世界一周クルーズで訪れたグアテマラの古都アンティグアにとても似ていました。夫の共感は得られませんでしたが。

と、鯉の泳いでいる掘割を見ることが出来ました。江戸時代の雰囲気を残す町と相まってなんともいえない風情です。

本町通りに到着したももの、意外と道幅が広くてぶらぶら買い物をという感じにもなりません。と、折りよく「厚焼き卵」と看板のあるお茶屋さんをみつけました。
店頭には「新鮮な卵を解いて砂糖とみりん、塩で味付けし、一晩なじませた後ふた付きの銅鍋に入れて上下から炭火でじっくり一時間かけて焼く」と書いてありました。卵20個分が2,500円、10個分が1,300円、5個分が700円だそうです。一切れ200円を中で食べられるみたいなので食べてみることにしました。

今や遅しと待って食べた味は優しい味のプリンのようです。これはおかずではなく、スイーツなのだそうでした。炭火で焼いているので非常に手間がかかるそうす。

もっとゆっくりしたくても集合時間は容赦なく迫っています。おみやげに買って行きたかったのですが帰りの新幹線で冷蔵出来ないため、未練を残しつつバスの待つ駐車場に向かいました。
と、駐車場に入る所に「おび天」と書いた暖簾があり、吸い込まれるように入ってしまいました。飫肥天は地魚の練り製品ですが、豆腐が入っているためふわっと柔らかいのが特徴とガイドさんが言っていたので、ちょっと食べてみたかったのでした。
買うとまた冷蔵の問題が起こると思っていたところ、豪快に味見用が置いてあったので2〜3個いただいて満足してしまいました。
何も買わないのも悪いけれど適当な物がみつからず、夫はバスに先に戻ってしまい慌てるなか目に入ったのが「マキシマム」というスパイス調味料でした。何故か固有名詞が耳に残っており「これは買いだ」とゲットしました。東京に帰ってこれは宮崎県の人々が愛しまくりの逸品であることがわかりました。
もう1つバスガイドさん発の情報で、スーパーにおいしい焼肉のタレがあると聞いたのですが、時間的に詳しく場所等を聞いておく余裕がありませんでした。ついでに調べたらおそらくこの商品のことを指していたのだろうと思います。宮崎県は和牛王国だけあって肉に関する調味料も充実していると思いました。
10時40分集合のバスにギリギリ最後に飛び乗り、30分弱で昼食会場兼温泉タイムのホテルジェイズ日南リゾートに到着しました。ここは元はホテル北郷フェニックスでバブルの頃に建ったようですが、現在は韓国資本に変わっていることは玄関の旗を見てすぐにわかりました。

見晴らしの良い昼食会場でキンキンに冷えたビールを飲んで生き返りました。

お腹を満たしたあとはいよいよ温泉タイムです。時間がたっぷりあり過ぎるので、ゴルフ場を見たりしてから行ったため、結果的に他のお客さんと時間差攻撃となり広い浴場が途中から貸切状態になりました。
今日は気合を入れて化粧道具一式を持ち込み、折角の温泉なのに首から下だけでは勿体ないとばかりに、頭の上からサッパリと洗い流しました。そして露天で絶景を楽しみました。
昼食と温泉タイムで11時から13時半までたっぷり2時間半もあり、最後は時間をもて余してしまいました。
そしてバスは最終目的地の鵜戸神宮に向かいます。鬼の洗濯板というと青島が有名ですが、そこから日南海岸をかなり南の方まで広がっているため、道中車窓で見ることが出来ました。地質学的には砂岩泥岩互層というものが隆起して海に現れた結果だそうです。
鵜戸神宮近くの駐車場には14時前に到着しました。ここから階段を含む山道を海の方に下りて行くことになります。
鵜戸神宮の本殿がある洞窟は、豊玉姫が主祭神の鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を出産するための産屋を建てた場所だそうです。この神様は天孫降臨のニニギノミコト、その息子のホオリ(山幸彦)の息子にあたり、その第四子のヒコホホデミが日本を建国した神武天皇です。
折角温泉で頭から洗ってサッパリしたのに蒸し暑くて汗だくです。10分ちょっとで神門に到着しました。
神門のすぐ先に楼門があります。かなり立派な造りです。

これをくぐり、観光パンフレットでで良くみかける急な階段を下りていきます。洞窟が見えてきました。

洞窟の中に朱塗りの本殿がありました。2014年のツアーの時は高千穂の天岩戸神社のほか、天安河原(あまのやすかわら)という神々が相談のために集まった洞窟に行ったのですが、私達二人が参加するさんふらわあのツアーは洞窟と縁があります。
本殿をぐるりと回れるようになっており、その最後のところで「お乳岩」を見ることが出来ます。豊玉姫が海宮に帰る際に、わが子のために両乳房をくっつけたとされる岩です。

最後に霊石亀石の窪みに「運玉(うんだま)」を投げ入れています。コントロールに自信はあったのですが、距離感に課題を残しました。

ここで一旦団体行動が終わり、適宜バスに戻ることになりました。残り時間は30分なので、寄り道は不可能です。海に削られた岩の独特な形を眺めつつ来た道を引き返しまします。
行き道でチェックしてあったお札授け所に「天皇陛下御即位奉祝記帳所」があったので、勇んで記帳しました。東京では記帳するところがなかったのでここで出来て良かったです。
帰る右側には鵜戸稲荷神社もあります。注連縄があって行き辛い雰囲気でしたが、この飫肥杉を使った鳥居は迫力ありました。
最後にトンネルを通って右に曲がると駐車場です。初夏の緑が綺麗でした。
ちょっと時間があったので夫が「ジュースー」と小学生男児のようなリクエストをしています。ご当地ドリンクの日向夏ドリンクも美味しかったですが、そこで日向夏を試食させてもらえ、それがスポーツドリンクのように身体に染み渡りました。
当初予定されていた行程はここまででしたが、田辺センセイはもう1ついい温泉があるので行きたいみたいです。でもツアーの添乗員さんが先ほど行き先と交渉したものの、残念ながらキャパシティーが足りないそうでした。温泉は残念でしたがもう1つ急遽行き先が決まったようです。
それは酒飲みにはたまらない、港近くにある若潮酒造でした。係の人に案内してもらい、焼酎の製造過程を見学していきます。
千刻蔵は昔ながらの製法を今に伝えているそうです。

かめ壷で仕込み、絶滅危惧種の木樽蒸留器で蒸留された原酒はトンネル貯蔵庫で熟成されます。

その中にはシェリー樽で熟成されているものもありました。樽で熟成するとウィスキーと同じ原理でまろやかになるそうです。
そこまで聞いたら試飲をして買わずにはいられません。ですが、いきなり宝の山を目の前にして許された5分では決断が出来ず、結局おみやげ用に梅酒を1本買ったのが精一杯でした。
このあと10分足らずで港に戻り、ターミナルで添乗員さんが乗船手続きをしてくれるのを待ちました。
その間にご当地の食べ物を、とかっぱえびせんの九州しょうゆ味と、角打ち本坊の「きびなごの南蛮漬け金柑入り」といういかにもな二品を仕入れました。
10分ぐらい待って17時15分頃フネに戻ることが出来ました。荷物を部屋に置いてあることもあり、フェリーと言えども我が家に帰って来たようでホっとします。
行きは年に4回の特別ダイヤと航路でしたが、帰りは定期航路の通常運航になります。田辺センセイのトークが炸裂したとても楽しいツアーでした。