94日目 7月5日(火) オアフ島ホノルル 出港18時10分 日出5:54 日没19:18
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-英語-米ドルアロハタワーPier107:30〜DFSギャラリア
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ28.0℃21-19N 157-52W北北東5m/s- --8km8km762周532km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー備考
-猪俣猛ボン・ヴォヤージ-カジュアルざるきしめん洋食和食-
6時半に目覚ましをかけて起床し、朝一番にジョギングは済ませてしまうことにします。
7時過ぎに下船して、本船の停泊するアロハタワーマーケットプレイス(Aloha Tower Marketplace)界隈を後にし、とりあえず夫の本能のおもむくままアラモアナの方に向かいました。
しかし、アラモアナに到達する前に右に曲がってカカオコ公園(Kaka'ako Waterfront Park)に入って行きました。海に近寄ったのでワイキキとダイヤモンド・ヘッドが一望出来ました。
久しぶりに起伏のある芝生のコースだったので、上に下に夫が喜んで駆け回っているのを後ろから見ているだけで疲れました。このあと一旦フネのあたりに戻り、今度は山側(ダウンタウン)に走って行くことになりました。
右はハワイ州の旗で、上隅に英国の国旗が入っていますが、カメハメハ大王が英国の探検家ジョージ・バンクーバーから贈られた英国商船旗を気に入って、これといった意図はなく掲揚したのが始まりだそうです。英国が支配している訳でもないのに英国(関連)旗はまずかろう、ということで現在のデザインになりました。8つのストライプはハワイの8つの島々を表しているそうです。
その後キング・ストリート(N King St.)で左折して更に進むとチャイナタウン界隈に入りました。急に街の雰囲気が代わり、ゴミやらも散らかっています。
そしてハワイ銀行(Bank of Hawaii)のチャイナタウン支店の看板には漢字も書いてありました。

その先に1904年から続く「オアフ・マーケット(Oahu Market)」がありました。ホノルルには何回か来ていますが、チャイナタウンもマーケットも初めてです。
チャインナタウンらしく、鶏肉の色々な部位、例えば鶏肉のモミジ(足の部分。点心では鳳爪などと優雅な名で呼ばれる)なども売っていましたが、やはりハワイらしく魚が豊富でした。

uhu ヨスジフエダイ(US$4.95/lb)aku 鰹 ahi 鮪(US$2.95/lb)akule メアジ(US$4.50/lb)
いかにも暑い国の魚という感じの「uhu」(ブダイ)は1ポンドあたり2.95ドルとメダイよりも安価でした。この魚(の仲間)は沖縄ではイラブチャーと呼ばれ、刺身にもしたりするそうです。
見た中で一番高価だったのが、mempachi(アカマツカサ)で、7.95ドルもしていました。日系移民の影響なのか、ハワイの市場で売られている魚は状態が良く、今まで見た海外のどこの市場よりも魚が美味しそうでした。
駆け足の市場見学を終え、チャイナタウンを後にしました。それにしてもチャイナタウンは雑然としている上、時間帯のせいかゴミが散らかっていたので、アメリカとは思えない雰囲気でした。
海沿いの道(Alampoana Blvd)に出ると「飛鳥U」とアロハタワーが見えました。軽く1時間以内で帰るのかと思っていたのが、1時間半近くかかりました。
本船がいるのはピア10(Pier10)ですが、ピア13のあたりから美しい左舷姿を撮影することが出来ました。
9時まであと15分ありますが、DFS行きのシャトルバスが既に数台スタンバイしていました。ホノルルの観光バスは割と新しくて綺麗です。

「リド・カフェ」での食事は9時半までなので、急いでシャワーをして食べに行きました。空いていたので豪華にフレンチトーストと目玉焼きを焼いてもらいました。

一方夫はご飯と味噌汁を食べたかったようです。世界一周などの長期クルーズでは、11Fの「リド・カフェ」でもご飯と味噌汁が用意されていました。これをタガログ語の単語で「ガニン(米)とサバオ(味噌汁)ください」とクルーに注文してウケを狙っています。
この日もゴルフのツアーや、ダイヤモンドヘッド登頂ツアーなどが出ていますが、例によって私達は特に予定がありません。とりあえず10時のシャトルバスでワイキキのDFS(デューティーフリー・ショッパーズ)に行きました。とりあえずオーデコロンを購入しました。
恒例の飛鳥デスク(ヘルプデスク)はこの中にあります。でもこの幟も最終寄港地のここホノルルで見納めとなってしまいます。

現地の無料情報誌でハワイでも東日本大震災の復興支援Tシャツが売られているのを知り、売っている店の1つを探しにシャラトンワイキキに向かいました。
無事「フラ・レフア(Hula Lehua)」という店と、20ドルの復興支援Tシャツを見つけたので無事購入しました。前には日の丸が、背面にはハワイ語で東北の地図の形が書いてあるものでした。
それからウクレレショップ(PUAPUA)を覗くと、手ごろな初心者キット(本体(KALA KA-15S)、ケース、チューナー、CD付きの教則本)が100ドルで売られていました。これならお買い得と買って帰ることにしました(「飛鳥U」のショップでもクルーズディレクターのボブさんがセレクトした楽器を売っていたのですが、もっずっと高級品で16,000円でした)。
それから海の方に出てワイキキビーチからのダイヤモンドヘッドを写真に収めました。
この辺りからアラモアナ・ショッピングセンターまでは、ワイキキ・トロリーバスのピンクラインで行くことが出来ます。しかもJCBのクレジットカードを見せれば乗車料金2ドルがかかりません。最寄のバス停は工事中で休止中だったため、一旦DFSに引き返しました。
10分も待たずにバスがやって来ました。ここからカラカウア通り(Kalakaua Av.、一方通行)を一旦ダイヤモンドヘッドの方に行くルートです。朝は小雨まじりだったのが、いつの間にか綺麗に晴れていました。
それから左折して、カラカウア通りから一本中に入ったクヒオ通り(Kuhio Av.)を通るのですが、丸亀製麺所が出店していました。トロリーバスは無料だし、手軽で良いのですが、色々なホテルに立ち寄るので目的地まで30分以上かかってしまいました。
アラモアナ・ショッピングセンターでは、ニューヨークであまり時間が取れず消化不良を起こしていたアバクロ(Abercrombie & Fitch)に一目散に向かいました。いくつかのセール品をゲットすることが出来て満足でした。
それから夫のダンス兼タキシード時のエナメル靴がないか、デパートに見に行ったのですが、先の尖ったカルバンクラインのものしかなく断念し、9月からの通勤用にオーソドックスな黒靴を購入しました。
途中アイスコーヒーを飲んだりして、夫が「帰る」と言い出さないよう気は遣いましたが、2時間強滞在出来たのでそろそろ戻ることにします。

「MAKE SENSE ?(2011年8月24日)」
今いるアラモアナはワイキキと港の中間点ぐらいなので、シャトルバルのいるワイキキのDFSには戻らず、タクシーで帰ることにしました。
タクシーはさすがにムダがなく、10分位で本船の待つピア10に戻って来ました。
15時40分にエアコンの効いている「飛鳥U」に戻りました。とりあえず戦利品を部屋に置き、17時半の最終帰船までに近場でジャンクフードを食べるべく再び下船しました。
まだ時間があるので、とりあえずアロハタワー(Aloha Tower)に上ってみることにしました。エレベーターで上まで上がることが出来ます。ワイキキから離れているせいか、ほとんど人がいませんでした。そしてすぐそばの本船「飛鳥U」を見下ろしました。

ハワイ諸島周遊クルーズの「プライド・オブ・アメリカ」も毎週土曜日はここに見える筈ですが、こうして自分の乗っているフネを見るのはまた格別でした。

1926年に完成したアロハ タワーは10階建てで、高さは56mだそうです。日本から到着した多くの移民も、まずこのアロハタワーを見上げたに違いありません。ホノルル湾の向こうには現在の玄関口、ホノルル国際空港のリーフ・ランウェイ(08R/26L)が見えました。
ダイヤモンドヘッドの方向が順光で綺麗に見えていました。緑の屋根の向こうが観光船などのターミナルで、奥の白っぽい岸壁(Pier2)には客船が着くこともあります。
真正面の海の方向では沿岸警備隊のフネが出港するようです。昨日独立記念日で満艦飾をしていた艦番号750はバーソルフ(USCGC-Bertholf)で、海上保安庁の巡視船が商船ライクなのに対し、こちらは軍艦のような威圧感がありました。
「JEAN ANNE」はサンフランシスコ船籍で、アメリカ西海岸とハワイ諸島を定期的に結んでいます。2005年出来で、自動車運搬専用船としては珍しく米国で建造されました。
どの方向に何が見えるのかの四方に看板があったのですが、英語と日本語の二ヶ国語表記でした。

「飛鳥U」のファンネルの後ろにIMO番号が書いてあるのをみつけました。「8806204」は最初に入った会社の社員番号に似た感じで笑えました。
次に「飛鳥U」をこうやって外から見るのは日本に着いた時だ等と感傷にひたりつつ、15分程で見学を終えてました。そして探すまでもなくすぐ近くにあったテキサス・メキシカン(Tex-Mex)料理の「Bikini Cantinia」に突入しました。最終帰船の17時半まであとちょうど一時間です。
朝からランチも食べずに歩き回っていたので、喉がカラカラです。ということで一も二もなく冷たく冷えたビールを注文しました。沁みます。
夫は好物のナチョス(色々な色のトルティーヤチップスの上にサルサやらオリーブやらハラペーニョやらサワークリームがかかっている凄いもの)を注文しました。これで8.95ドルです。
私はそれよりも1ドル高い、エビフライとポテトフライを注文しました。両方ともビールに合うことこの上ありません。
40分位で食べ終え、最終帰船まであと20分なのでそろそろフネに…、と思いきや、夫が名残惜しそうに「飛鳥U」がいるのとは反対側の岸壁に向かいました。間もなくサンセットクルーズに出る「スター・オブ・ホノルル(Star of Honolulu)」で乗船手続き中でした。

男性の力強いフラダンスに見送られて、多くの日本人観光客が乗船しています。調べるとディナークルーズは150ドルぐらいしますが、ディナーには贅沢にロブスターとステーキが出ます。

夫にしては珍しく、船に戻らず粘りたいようです。ここは飛鳥U2011年世界一周クルーズの最終寄港地、ホノルルなので気持ちがわからないではありません。通常最終帰船の30分前には必ず戻る夫にしてはとても珍しいと思いました。
最後にアロハタワーを見上げます。次にまた客船で来ることが出来たらこんなに素晴らしいことはありません。
ほぼ最終帰船時刻の17時半になったので、これ以上は粘らずフネに戻ることにします。ほとんどの乗船客は既に乗船しているとみられ、客船ターミナルは閑散としていました。
本船の舷門にも船側の人しかおらず、ギリギリになってすみません、とか何とか言いながらギャングウェイを上りました。

ギャングウェイの途中でトモとオモテの姿を目に焼き付けます。次は横浜なので、もうこうして本船に乗り込むことはありません。

寄港地散策が終わってこうして部屋に戻るのもこれが最後だと思うと、2011年の世界一周クルーズがもう終わってしまったような気分になります。
出港予定時刻は18時半だったのですが、準備が整ったので予定を早めて18時過ぎに出港します、と船長の放送があったので慌ててワッチに出かけました。

今回は趣向を変えて、いつもの11F「ビスタラウンジ」外ではなく、12Fの高い所に言ってみました。

本船の大きな影が、隣の倉庫のような建物の屋根をゆっくりとすべっていきました。
本船が十分に後進すると、先ほど食事をしたTex-Mex料理屋が見えました。岸から離れたところで右回頭を始めました。

先ほどまでいた岸壁が少しずつ遠ざかっていきます。

そして左舷にコンテナヤードを見ながら、ホノルル湾を出て行きました。積んであるコンテナは日本郵船と川崎汽船のものが割と沢山ありました。
ダイヤモンドヘッドが綺麗に見えました。本船はすぐに横浜を目指すのではなく、ワイキキ沖を遊覧航行するようです。なにも最後の寄港地をそんなに急いで出港しないでもいいのに、と思ったら船長からの粋なサンセット・クルーズのプレゼントだったのでした。

本来の出港時刻である18時半になりました。
中村康夫氏の乗る空撮のヘリコプターが飛来しました。綺麗な写真が撮れそうですが、雲が多いので夕陽そのものは難しそうです。
ダイヤモンドヘッドが夕日で輝いています。先ほど隣の岸壁から出港した「スター・オブ・ホノルル」号が、もう引き返して来て港を目指しているのが見えました。2時間のディナークルーズはおそらくあっと言う間に終わってしまいます。
ワイキキの高層建築といえば、以前は二棟そびえるハイアット・リージェンシーホテルか、アストン・ワイキキ・ビーチ・タワーだったのですが、他にも高い建物が増えたため現在ではそれ程目立たなくなりました。
日没時刻が近付いてきました。が、相変わらず太陽は遠くの雲に隠れたままです。

夕暮れとしてはとても綺麗なのですが、ついに太陽は見えませんでした。

今日のボン・ヴォヤージは18時半から1時間、贅沢にも猪俣猛ジャズカルテットの演奏でした。
バラ色の雲の中を進みます。今日は夕食は行かないので、このまましばらくワッチを継続することにしました。
ワイキキ沖クルーズを終え、本船は西に針路を取りました。日没後はどんどん暗くなっていきます。
ワイキキが後方に見えています。ワイキキからは夕日を受ける本船が良く見えただろうと思います。
19時50分にワッチを開きました。皆2回目の食事時間になだれ込んだのか、プールデッキはすっかり人がいなくなっていました。
部屋では最後の寄港地ホノルルに乾杯ということで、缶ビールを開けました。
夕食時間がまるまるフリーになったので、20時半頃ライブラリーに行ってみると、予想通りホノルルで最新の週刊誌が積み込まれていました。これらをしばし読みふけりました。
GPS地図によると、本船は20.2ノットを出して走っているようです。
そして船内時計チャンネルの次の寄港地が、ついに横浜になってしまいました。でもまだ世界一周クルーズ自体が終わった訳ではないので、到着まで7日間の終日航海日を楽しむことにします。
今晩は時刻改正があるため、珍しく忘れずにカメラの時計をホノルルの-19時間から、この海域の-20時間に修正して就寝しました。

これを忘れたまま撮影すると、あとでExif(と呼ばれる撮影画像の各種情報)の撮影時刻を修正しなければならずとても面倒です。