12日目 12月21日(月) ヌーメア 入港6:40 出港17:00 日出5:07 日没18:38
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
-フランス語あまりセントラルパシフィックフラン客船ターミナル7:50 ~サービスなし
航海情報天候気温正午位置風向風速ジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
曇り27.0℃22-16S 166-36E東10m/s--6km6km153周81km
船内情報講演等イベント他船の揺れプール
-ボン・ヴォヤージ出港後は小刻みにノーマル
ダイニングランチ(6F)ランチ(11F) リド夕食ドレスコードディナーギャラクシーラウンジ(20:30 / 22:00)
冷やし豚しゃぶ卸しうどん洋食ステーキセットカジュアル和食-
二日酔いがひどく、朝4時頃トイレで目を覚ましたらまだ顔が赤い感じでかなり重症です。とりあえず外の様子はどうかとバルコニーに出たら真っ暗でした。
時刻はまだ4時過ぎ、飛鳥Uは長さ400kmもあるグランテール島を西岸沿いに南下し、ヌーメアに向かって針路が60度に変わっていました。
再びベッドに入り、夫が超早起きしてカメラも持たずにオモテにワッチに行ってしまったのを感じつつ、まだまだ起きられません。写真撮影が…、ヤキモキしていたら6時頃に「外は寒い」と一旦帰って来たのでカメラを渡すことが出来ました。
小型ボートのエンジン音がしたので一瞬起きたりしましたが、まだまだウトウトしています。本船が右回頭して左舷付けする様子が写っていました。
6時半の目覚ましで漸く我に返って飛び起きたら、既に着岸していました。7時に入港予定だったので油断しました。
ノロノロと身支度を整えている間に夫が素晴らしい写真を撮影していました。ロイヤルカリビアン(RCI)の「EXPLORER OF THE SEAS」(エクスプローラーオブザシーズ)はシドニー発着9日間の南太平洋クルーズの途中でした。

【画像はクリックで拡大】
7時過ぎに夫が戻って来たので、ドコモに電話をしてスマホの通信料の現状を聞いた上で、上限値がデフォルトで5万円になっているのを、倍に引き上げてもらいました。これ以上パケット代金を払うつもりはありませんが、上限を超すと「すべての機能が止まってしまう」そうなので、それは困ると念のための措置でした。

まだ食欲が出ないため、朝食はパームコートで軽めに済ませました。

寄港地フラッグを撮影しに12Fに上がると、トモの方向にRCIのフネがいました。本船飛鳥Uのいる場所の方が中心部に近くて断然便利です。
ヌーメアには2010年の2月にP&Oオーストラリアのフネで一度来たことがあるため、二回目の今日は夫の意向に従ってまずはジョギングすることになりました。

9時40分頃下船すると、ターミナルビルはRCIのフネから流れて来た外人達で溢れていて、飛び交う英語に「やはり外国船は面倒くさそう」と思ってしまいました。最初はフネの右のヨットハーバー方面に向かいました。

陸を走るのは12月10日に横浜を出て以来初めてです。左ハンドル国なので道のどちらからクルマが来るのかパっとわからないため、横断する時はかなり慎重にチェックしました。
引き返して一旦港に戻り、それから今度はRCIのフネのいる方向に走って行くことにりました。夫は陸が嬉しいのかグングン先に行ってしまいます。走力が違う上に撮影時間もかかるためその差は開くばかりです。
飛鳥Uを通り越して更に先に行くとRCIの「EXPLORER OF THE SEAS」が間近になりました。そのトモを眺めつつ、その奥のニッケル港を目指します。
この奥にドニアンボ精錬所があって、ニッケルが野積みされているのがわかりました。ニューカレドニアは世界第6位のニッケル産出国で、日本にも多く輸出されています。夫はいつも色々な場所で「港とフネを撮影するよう」指示して来ますが、日の目を見ないことが多いです。

<日の目を見なかった画像>

左:ニッケルの船積み
(2010年2月ヌーメア港)

右:同荷揚げ(2006年12月八戸港)

ニッケル港の方にもう少しだけ走って行って引き返すことにりました。テンダーボート訓練中のRCIエクスプローラーも見える角度が大分変わりました。

【画像はクリックで拡大】
海岸をふと見ると岩が黄色っぽいように思い、何だかニッケル鉱石風?などと夫と話しながら帰りました。
色々と撮影しながらのジョギングなので、出発から1時間以上経っても距離は大して走れていません。走り足りない夫は広場でダッシュを繰り返しました。フネには11時頃戻り、シャワーをした後洗濯機をかけて12時前にメインダイニングに行きました。
メインダイニングでのランチは通常メニューのほか、軽食セットを食べることも出来るので、夫は「和風キーマカレーセット」を注文しました。メートルディーに「昨晩(のデッキディナー)盛り上げていただいてありがとうございました」と声をかけられ、満更でもない夫でした。

麺物 冷やし豚しゃぶ卸しうどん
煮物 ロールキャベツ
御飯物 じゃこ山椒御飯 香の物
デザート こんにゃくゼリー

12時半頃再度下船し、船内で配られた地図の範囲を徒歩で散策することにしました。
セントジョゼフ大聖堂(Cathédral Saint-Joseph de Nouméa)を目指す途中で、ル・ビラージュショッピングセンターがありました。前回来た時ここの日本名の店にいたフランス人に日本語で「飛鳥の人も来るんですよ」と言われたのですが、今回は私達がその「飛鳥の人」でした。この店では貴重なニューカレドニア産のコーヒーを売っていますが希少なだけあってちょっと高かったです。

大聖堂も前回訪れましたが、やはり西洋(影響圏)では象徴的な場所なので再訪しました。シャンデリアがニッケル製です。

大聖堂の横にはルルドの洞窟(ルルド)がありました。1858年にフランスのルルドに聖母マリアが表れて奇跡を起こした洞窟を模したもので、日本では1895年に五島列島福江島の井持浦教会に初めて作られました。
次に教会より奥にあるFOLの丘に向かいました。FOLとは文化センター的なものの略称のようです。丘にのぼる階段の入口がわかりにくく、周辺を右往左往してしまいましたが何とかみつかりました。
曇りのせいでコントラストが低く、また思った程飛鳥Uが見えず、折角頂上まで来たのにもかかわらずテンションが上がりませんでした。ヌーメアと海を一望出来るという点では行く価値があり、天気が良ければ言うことなしだと思います。
元来た道を辿って市街地に戻りました。そろそろ寄港地マグネットを手に入れなければ、とそれらしい店を探し始めましたがどこにでも売っている感はありません。
市民の憩い場、ココティエ広場の道を挟んだ反対側にヌーメア私立博物館があり、珍しく夫が入ろうと言います。
現地通貨は船上で4,000フラン(5,200円)買ってあったので、入ることにしました。大人は200フラン、60歳以上はシニア割引で半額の100フランでした。旧市庁舎だった建物らしく、コロニアルでとても良い感じです。

英語の説明がなかったのは残念でしたが、ニッケル鉱山で多くの日本人が働いていたことがわかりました。

【右の画像はクリックで拡大】

第一次大戦中には日本の軍艦がヌーメアに寄港したとも書いてありました。リボンが記念に配られたそうで「第十六駆逐艦隊」と書いてありました。
マグネットは動物的勘が働いて「"DUTY FREE"と看板のあるあの店にはありそう」だと入って行くと数種類だけ売られており、600フランでゲットすることが出来ました。
最後に港のすぐそばにあるスーパー「Casino」で物資を調達することにしました。前回P&O「パシフィック・ドーン」は陸で買ったアルコールを持ち込むことは出来ませんでしたが、今回は自由、気合が入ります。
まずはどんな物を売っているかチェックします。とは言え夫をスーパーマーケット内に留めておける時間は30分ぐらいと心得ているので、じっくり見ることは出来ません。日本製のソースやマヨネーズが1,000フラン弱(1,200円強)で売られていました。
私のチョコレート理論だとここはミルカ文化圏なのですが、大洋州が近いせいかキャドバリーも存在感があり、またネスレも頑張っていました。「Bisochoc」という見たことのないメーカーは地元ニューカレドニアのものでした。流石にハーシーズはなく、それにしても種類が豊富でした。
日本のものは他にもインスタント味噌汁や、乾うどん、カップラーメン、変わったところでは餡の入ったお餅(Japanese Style Red Bean Mochiと記載されていた)を売っていました。

そして毎度感心する牛肉と子牛のコーナーです。ちょっと良い目のサーロインは100gが約800円と、結構高かったのはどこからか輸入しているからでしょうか。

流石のワインコーナーがあったので、折角だからワインも買うことにします。
と、言うことで予定の30分は少々オーバーして15時20分頃スーパーを出て来ました。最終帰船時刻は16時なので、ちょうど良い感じです。
ターミナルの2Fに上がるとみやげ物屋が出ていて、寄港地マグネットも売っていました。知っていたら街で焦る必要はなかったのです、買った物と同じのはなかったのでヨシとします。
フリーWi-Fiで一言呟いてから、15時50分頃船に戻りました。私達(と言うより夫)にしては粘った方でした。ただしこのはうまく出来ておらず、後日オークランドで再送しました。
部屋に戻る前に夕食のメニューをチェックすると果たして力の入らないメニューでした。今晩もリドに行こうと思います。

茸のみぞれ和え、甘海老のお造り、信州蒸し、牛タン陶板焼き、筍御飯、甘海老の味噌汁、紅芋アイス

2011年ボルドー赤、2014年ロワール白地元のビールとコーラツマミ類とニッケル鉱石(左手前)

陸で買った物を収納し、すぐにバルコニーでビアタイムにしました。出港まではあと1時間です。
ほどなく現地の人の歓送ダンスが始まりました。勇壮な男性の踊り(0:00〜)、どことなく盆踊りに似た動きもある女性の踊り(4:36〜)のあと見事なコーラス(5:30〜)を披露してくれました。
終わった後バーイと言って彼らは帰って行きましたが出港まではまだ40分もあります。ビールも飲み終わってしまったので、トモにロイヤルカリビアンの客船を見に行きました。
客船の奥のニッケル港も良く見えています。前回外国船でここに来た時には、2度目に飛鳥Uで来ることになるとは夢にも思いませんでした。
出港15分前になったのでプールサイドに行きました。前回ラバウルではなかったのでこのクルーズ初のボン・ヴォヤージです。
おとなしくしていようかとも思ったのですが、ついダンスに参加して盛り上がってしまいました。
ボン・ヴォヤージが終わるのは大体15分頃で、踊っているうちにフネはだいぶ岸壁から離れていました。
エクスプローラーオブザシーズも同時刻の出港だったようです。普段は本船の着いた岸壁に来ているのかもしれません。
向こうの方にFOLと書いてある建物のあるのがFOLの丘で、その右前方に大聖堂が見えています。
最後はオモテで出港の儀(港を出るぐらいまでワッチをすること)を執り行い、17時50分ころ部屋に戻りました。

部屋飲み第2弾は先ほど調達した白ワインとオイルサーディンです。なかなか良いアイデアでした。

18時半頃夕食を食べに11Fのリドグリルに行きました。流石にもうアルコール類は飲まないことにします。
ビュッフェ形式の台からまずはサラダを取って来ました。
そしてそれを食べ終わる前に、ステーキセットが到着しました。ここでセットディナーを食べられるのは本当に嬉しいです。
夫がどうしてもピザを食べたい(が1枚全部は食べられない)と注文しました。
ピザを余分に食べてもデザートは別腹です。抹茶とチョコレートをセレクトして夫と半分ずつ食べました。
夕飯が早いと夜が長くなります。夫がブリッジの自主練をするというので3ボード程付き合いました。そして「疲れた」とさっさと寝てしまったのでちょっとヒドイなと思いました。
外は風が強くなり、フネがギシギシと音を立てて揺られ始めました。GPS地図を見ると、本船の遠く10kmぐらい前を横切る形で86,000トンの客船「カーニバル・スピリット」が北東に針路を取って進んでいました。
今晩は時刻改正があるので早く寝なくては、と片付け物をしてから23時過ぎに就寝しました。