70日目 6月11日(土) ニューヨーク 出港21時 日出5:24 日没20:27
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
下船・対面英語-米ドルピア88/ハドソン川&48th St8:20〜ヒルトンNY/6th Ave&53rd St
航海情報天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
晴れ21℃40-46N 074-00W東1m/s- --7km7km559周388km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ-カジュアル牛丼洋食和食
朝起きると昨日とはうって変わって肌寒い16°Cでした。ブリッジ教室で知り合いになった名古屋からのご夫妻から、イントレピッド航空博物館に行くなら一緒にとお誘いがあって待ち合わせを10時にしてあります。逆算して気合を入れて6時半に起床し、一番にジョギングを済ませることにしました。
ワールド・トレードセンターのあったグラウンドゼロまでは5km以上ありそうでしたが、6時50分に下船してハドソン川沿いにそちら方面に向かうことにしました。この川沿いの道もずっと自転車用のレーンが並走している恵まれたジョギング環境です。
と、走りはじめてすぐにNCL(ノーウェジアン・クルーズライン)の客船が入港してくるのが見えました。本船にいたら全景を見られたのにと少々残念です。
船名は「NORWEGIAN JEWEL」で、私達のキャビンの目の前に見える桟橋の駐車場に車が沢山留まっていた理由は多分これでしょう。と、いうことはここを基点にして定点クルーズしているのかもしれません。走り終わったら後で調べてみることにします。
「飛鳥U」のいるピア88の隣、ピア86に係留してある退役空母イントレピッドの堂々たる艦首部分を通り過ぎて下流方面に走っていきます。
ピア83はサークルラインという観光船が発着します。マンハッタン島をぐるりとまわる2時間半のクルーズなどがあるそうです。
ピア76と書いてある建物にはかつて大西洋横断サービスをしていた「UNITED STATES LINES」の文字がありました。かつて貨物ターミナルとして使われていたそうですが、現在はニューヨーク市警が使っています。
対岸の下流には隣州のジャージー・シティが見えています。2001年の同時多発テロ以降、金融機関の多くがここにバックアップサイトを構築したり、本体ごと移転したりしたこともあり急激に高層ビルが増えました。

かなり何度も立ち止まって撮影しつつ、30分程経ったところ、ピア54(10番街が消滅するあたり)で引き返すことになりました。さっと走って早く戻りたい夫は度重なるジョギング中断に(相変わらず)イライラしていますが、こちらにもこちらの都合があります。

ふと傍らの地図(右図)を見ると、今走っているのはハドソン川公園(Hudson River Park)だったようで、川には沢山の桟橋があるのがわかります。「飛鳥U」のいるピア88から上流に向かってピア90、92、94がニューヨーク客船ターミナルと表示されていました。
往路でも通りましたが、ピア59から61の3本はチェルシー・ピア(Chelsea Piers)でスポーツと商業の複合施設です。一番下流のピア59はゴルフ練習場ですが、かつては大西洋横断航路の名門、あのタイタニックを擁したホワイト・スター・ラインの専用桟橋でした。ちなみに先ほど折り返したピア54はキュナード・ラインの桟橋だったそうです。
30丁目にあるヘリポートではこんな早朝からツアーが出るようでした。
1kmぐらい向こうにようやく本船が見えて来ました。
39丁目にはNYウォーターウェイの主に対岸のニュージャージー向けフェリーが発着する、ミッドタウン・フェリーターミナルがあります。この真下にはリンカーン・トンネルが通っていてニュージャージーに行くことが出来ます。
他のジョガーも走っているので気にしませんでしたが、本来この道は自転車とスケーター用で、走る人は遊歩道を行くのが正しいみたいでした。
7時45分頃本船のいるピア88に戻って来ましたが、ちょっと足を伸ばしてNCLのフネ「NORWEGIAN JEWEL」を見にいくことにします。
オモテはドイツのアイーダクルーズのフネを彷彿とさせる強烈なデザインです。2005年に出来た93,000トンのジュエルクラスの一番船で、シリーズ船はすべて宝石の名前(ジェイド、パール、ジェム)が付いています。

距離が近い上、バス乗り場の屋根が邪魔になって撮影はいまいちでした。夏の間ニューヨークから7泊8日でケープカナベラル(フロリダ)やバハマのナッソーに行く定点クルーズをやっているのでした。

8時頃部屋に戻るとバルコニーからジュエルが良く見えました。子供達も沢山乗っていて、本船とは全然違う賑やかな雰囲気にちょっと羨ましくなりました。
シャワーをして朝食は8時40分過ぎにいつもの「リド・カフェ」に行きました。本日の牛乳はドイツ製の紙パックでした。
10時の待ち合わせまでまだ1時間近くあったので、それまで「パーム・コート」で新聞を読むことにしました。寄港日は新聞の順番を待っている人もいないので、じっくりと読むことが出来ます。
10時10分前になったので5Fの「アスカプラザ」に行くと、一緒に行くご夫妻はもういらしていたのでそのまま下船して博物館に向かいました。隣のピアなのでアクセスがこの上なく便利です。
折角開館と同時の10時に来たので、まだ列がそれほど出来ていない潜水艦グロウラー(USS GROWLER)をまず見学することにしました。中に入る前に「この穴を通りぬけられない人は見学出来ない」チェックがあります。
列に加わって約20分で乗艦するところまで来ました。ごつい艦対地巡航ミサイル(レギュラス)の後ろに「飛鳥U」が見えています。

潜水艦内の展示はとても良く出来ていて、作戦行動中の生活を垣間見ることが出来ました。左は士官用の居室、右はクルーのベッドです。
潜水艦と言えばソナー、そして潜望鏡が多くの海戦映画で登場しました。1957年の映画「眼下の敵」が印象的でした。

潜水艦を見終わったので、今度は空母イントレピッド本体に移動します。「飛鳥U」ではいつも大浴場からの帰りに通るテニスコートのあたりに「がんばろう!日本」のペイントを施しているのが見えました。
ミートボール(肉ダンゴ?)と呼ばれる光学式着艦誘導装置が展示してありました。
戦闘機のシミュレーター(別料金)もあります。かなり本格的な操縦を楽しめそうですが英語なのが面倒なのでパスしました。
翼の揚力の仕組みについて科学的な展示がありました。ただの平たい板状の翼では正面から風を当てても浮かびませんが、ちゃんとした翼をつけた右側の模型はふわりと浮かび上がるのを見る事が出来ます。
子供向けのコーナーでしたが医療用のヘリコプターの操縦席に乗ってみることも出来ました。閉所恐怖症の発作が出そうな狭さでした。アポロ宇宙船の地球に戻る円錐型の部分もありましたが、こちらは大人気だったので諦めました。一通り展示物を見終わったところで、一緒にいたご夫妻とは解散しました。
この空母イントレピッドは1944年に神風特攻隊の攻撃を受けたそうですが、ちょうど「Kamikaze」というビデオ展示が始まりそうだったので見て行くことにしました。戦艦大和が空爆を受ける映像があって胸が痛みました。
そろそろ飛行甲板に上がってみることにします。
こんなに凄い対空砲が備え付けられているあたりから向こう側を眺めてみます。

と、BAのコンコルドと「飛鳥U」と「NORWEGIAN JEWEL」が並ぶ絶景がありました。先ほどの「がんばろう!日本」も完成したようです。

戦闘機の展示はそこそこ充実しているのかもしれませんが、フネや旅客機ほどには興味がありません。
それでも真っ黒い姿の偵察機A-12(1968年退役)は目を引きました。
ブリッジを見学することが出来ます。マンハッタンに向かって入船着岸しているので、目の前は高層ビルというのが少々興ざめでした。
それにしてもふと写真を撮影する度に「飛鳥U」の姿が写り込むのは贅沢な話です。
ブリッジの脇の窓がせり出していて、飛行甲板を眺められるようになっていました。
艦長のキャビンはブリッジのすぐ後ろにあり、流石に広々としています。
イントレピッドから降りて最後にコンコルドを見に行きました。残念ながらガイドツアーに乗っからないと見学出来ないようになっていました。
この辺りからはかろうじて「飛鳥U」の斜め後ろの全景を撮影することが出来ました。空がどんよりなのが残念です。たっぷり3時間も見学しましたが、時間が許せば一日中じっくりと過ごせそうでした。
13時過ぎに桟橋に戻ると、隣のクルーズ船「NORWEGIAN JEWEL」の乗船受付が始まったようでした。カリブ海に行くクルーズなので皆が軽装でイイ感じです。
そのまま13時半までやっている11F「リド・カフェ」に直行しました。寄港日でツアーに出たり、マンハッタンに出かけている乗船客が多いか、ほとんど人がいませんでした。

今晩はマンハッタンで「庶民派フード」を食べると決めているので、昼食は軽めにしました。

中心部行きの午後のシャトルバスは13時半のが出てしまったので、次の14時半で行く事にしました。ゆっくりとウィンドウ・ショッピングをしたかったので、夫とは別行動をしたいとも思ったのですが、それもカドが立つかとやはり一緒に行動することになりました。が「まずどこに行くのか」いきなり詰問されて凹みました。とりあえず5番街に行きたいと告げ、バスの着いた53丁目を進みました。
すると丁度MoMA(ニューヨーク近代美術館、The Museum of Modern Art, New York)の売店があり、ここは有名な美術館のショップなので一見の価値がある、と中に入って行きました。色々と日本人の作品があって誇らしかったです。
5番街の目指すは昨日消化不良を起こした56丁目のアバクロです。が小雨の降る中、店の近くに来ると、入店待ちの客が店の周りでとぐろを巻いているのが見えました。土曜日なので大混雑していると思われます。これは諦めるしかありません。
5番街を挟んでアバクロの斜め対岸にはトランプ・タワー(Trump Tower)があります。1983年に建てられた(バブル期の象徴のようなイメージがある)ビルです。
時間はまだ15時半ぐらいだったので、ひとすじ上流の57丁目にあるナイキタウンに行くことにしました。ランニング用の何かカッコいいものを、と思ったのですが混雑するレジを見たら戦意喪失してしまいました。

ナイキタウンから5番街に戻った角に宝飾店ティファニーの旗艦店があります。あまりにも有名な場所なので記念に1Fをひとまわりしました。

ティファニーの向かいにはわが日本のミキモトが堂々と店を構えています。クルーズで鳥羽に行くまでここの創業者の御木本幸吉が、世界で初めて真珠の養殖に成功したことは知りませんでした。
16時を過ぎたら夫が腹が減ったとうるさくなり始めたので、図書室のガイドブックで調べてあった、55丁目のブロードウェイと8番街の間にある焼き鳥屋を目指すことになりました。ということでペニンシュラホテルの所で55丁目に曲がります。
すると、曲がって割とすぐにとんかつ屋があり、焼き鳥屋まではかなり遠いこともあって大きく心を動かされたのですが、とりあえず初志貫徹することにしました。
5番街から6番街まで1ブロック歩くのに5分ぐらいかかるイメージです。マンハッタンは碁盤の目のように道が整列しているのですが、ブロードウェイだけは(ミッドタウンでは7番街と8番街の間に)斜めに走っています。7番街を渡ると目的地はもうすぐです。
16時半頃に到着すると、残念ながら焼き鳥屋は1時間後の17時半からの営業でした。こういうこともあり得ると思っていたので、アッサリと諦めてもと来た道を引き返しました。
そしてマンハッタンでは数少ない(らしい)とんかつ屋、「かつ濱」に突入しました。「飛鳥U」の上品な味付けや盛り付けに物足りなさを感じていたので、久々にガツンと行けそうです。

アサヒの生ビールを注文すると、枝豆が半額というプロモーションをやっていたので一杯目にアサヒ、二杯目は地元バドワイザーを。そしてまずつくねです。
揚げ物も食べたかった、ということで串揚げの盛り合わせは冷酒と共に楽しみます。
そして〆はカツ丼にしました。玉子がウェルダン過ぎたものの、久々の濃い味を堪能しました。16時半過ぎから18時頃まで意外と長居してしまいました。どう考えても食べ過ぎです。気になる会計は81.65ドル、チップを足して95ドルを支払いました。
本船に戻る最終バスは17時だったので、歩いて帰るしかありません。7番街を下りて行くことにすると、左手に靴屋がありました。以前から夫が靴を欲しいと言っていたので、寄ってみるとBassのいい感じのローファーがありました。日本ではあまり売っていないバーガンディー(ワイン色)が気に入ったものの購入をためらう夫に、「フネなら重量制限がないのだから」とプッシュして96ドルでゲットしました。
それから大西洋横断中に日本から持って行ったマウスが壊れてしまったので、51丁目で目についたPCショップに入りました。29ドルの値札に「やめた」と言うと即座に25ドルになり、更に値切って23ドルで購入しました。日本よりかなり高いのですが、マウスがないとやはり不便です。
このあと引き続き7番街を48丁目まで下って、そこで右折しピア88のクルーズターミナルまで戻ることにします。マンハッタンのシンボル、タイムズスクエアともお別れです。
歩いている48丁目と8番街の角にブラジル料理屋があります。もし次にまた来ることがあればシュラスコ(ブラジル風バーベキュー、食べ放題は26ドル)を食べるのも一興です。
10番街とのカドに食料品店があったので、最後にビールとm&mとハーシーズのチョコを購入しました。

ビールは外国船でのクルーズ中、比較的飲むことの多いミラーのMGD(Miller Genuine Draft)6本が11ドルでした。

5番街散策、庶民派フード堪能、大西洋横断中に壊れたマウスの補充とほぼすべての目的を果たし、19時半に帰船しました。20時までに戻れば良かったのですが、乗船客の中では我々が最後の帰船だったようでした。
20時45分からのボン・ヴォヤージは小雨のためプールサイドではなく「パーム・コート」になりました。夫が日本から持参した星条旗トランクスを履いて行くと言うので、テンションをそれなりに合わせることにします。
期待通りこのトランクスは知り合いの人達から大絶賛で、あちこちに出張って記念撮影の写真に収まる夫でしたが、私は暮れ行くマンハッタンの出港風景も捨て難く、テンションを普通に戻して一人ビスタ・ラウンジ前方でワッチに入りました。
本船は21時に静かにピア88を離れました。小雨のせいか、出港ワッチをする人はあまりいませんでした。

十分後進したあと、右回頭し、タグボートに先導されてハドソン川を下り始めました。


右舷には朝のジョギングの時に見た対岸のジャージー・シティーが見えています。低い雲に摩天楼の照明が反射して幻想的でした。
出港から30分、左舷は既にロウワー・マンハッタンの辺りでしょうか。土曜日のなのでオフィスビルの窓の明かりが少なめです。
マンハッタン島を後にしました。
自由の女神が近付き、そして遠ざかっていきました。ニューヨークには家族が住んでいたというだけで、特段の思い入れはなかったのですが、それでも学生時代に何度か訪れた記憶が蘇ってとても懐かしかったです。
自由の女神を過ぎると他にワッチする人がほとんどいなくなりました。星条旗トランクスで適度に笑いを取り、満足してオモテにやって来た夫とベラザノ・ナローズ・ブリッジまで見守ることにしました。
22時ちょうどぐらいに橋をくぐりました。支柱の上の方は雲を突き抜けていて見えません。
ここでワッチを開くのも勿体無く、10F「アスカ・デッキ」の廊下を船尾まで歩き今度はトモで橋を見ることにしました。移動する3分ぐらいの間にかなり遠くなっていました。
今度こそ部屋に戻ることにします。トモから9Fのこの廊下を通り、前方に位置する私達の客室に戻ることは普段あまりありません。
フネは外洋に出て、あたりは真っ暗になりました。次港ナッソーまで丸2日間の終日航海日になります。
ニューヨークから区間乗船の人達が多く乗船して来たのか、いつもは放送されていない本船の案内ビデオが流れていました。