53日目 5月25日(水) ベルゲン 入港7時30分 出港19時30分 日出4:41 日没22:44
寄港地情報入国審査言語英語通貨港の位置ツアー発時シャトルバス
船側で一括ノルウェー語通じるノルウェー・クローネほぼ中心部8:50〜運行なし
航海
情報
天候気温正午位置風向風速船の揺れジョギングデッキマシン陸上合計デッキ累計距離累計
曇り9.5℃60-24N 005-19E南南西4m/sかなり --12km12km457周281km
船内情報講演等イベントメインショードレスコード食事情報ランチ(6F)ランチ(11F)ディナー
-ボン・ヴォヤージ-カジュアル焼き魚洋食和食
7時過ぎに間もなく入港であるとの船長の案内放送で目覚めましたが、眠くて目が開きません。夫はこういう時寝起きが良くさくっと起床し、カメラを持って入港ワッチに出かけていきました。
岸壁にはシップ・チャンドラーのトラックがスタンバイしていました。本船で消費される食料のほか備品類が供給されます。ノルウェー名産のスモークサーモンなどを積み込むのでしょうか。
雨の中、本船は入船のまま右舷着岸した模様です。起きてモニターをつけると目の前に可愛らしい建物が並んでいました。でもなんだか寒々しくて寂しい感じでいまひとつ観光意欲が湧き上がりません。
が8時なったのでそろそろ起きなくては、と起床しました。バルコニーに出てチェックするとまるでアラスカクルーズのような雰囲気の風景です。

夫が戻って来て本船のトモのラインの取り方がものすごく長くてヘンだった、と言っています。後日発行された写真集の船長のログによると「4、5日前に他の客船が岸壁のボラードを破壊したとの情報」とあり、係船作業中の画像を見ると確かに岸壁が壊れていました(右の写真の左の方)。よって右の方から取らざるを得なかったのでしょう。

部屋でダラダラした後8時半頃朝食に行きました。夫から午前中に陸に走りに行くと言われていたので、本船「飛鳥U」上での自主ルールである「プール、ジョギング、風呂上がりとランドリールーム往復以外は化粧すること」を破りつい化粧を省いて11F「リドカフェ」に行くと、そう言う日に限って何故か沢山の顔見知りに会ってしまいました。
パームコートではつい先ほど着岸を終えたばかりの船長がパイロットと思しき人と朝食中でした。朝から横メシは面倒くさそうです。
「パーム・コート」に場所を移してコーヒーを飲んでいると、窓ガラスの掃除が始まりました。昨晩はうねりで揺れまくり、ガラスというガラスは潮をかぶって白くなったのでした。水を窓の狙った位置に当てるためにホースが先端でごちゃっと結んでありました。「にっぽん丸」だったか「ぱしび」だったかはベットボトルを活用していました。
9時40分過ぎに走りに出かけました。予想最高気温は11℃とのことだったので、しっかりとジャージを着込み、雨が降るかもしれないのでキャップを被りました。夫は珍しくも下調べをしてあってフロイエン山(Fløyen / Fløyfjellet)を駆け上がると張り切っています。
私はその山がどの程度のレベルなのかわからなかったので、異議を唱えることが出来ずとりあえず夫の後をつけることにしました。がフネをいきなり降りて左方に走り出し、違うのではと思ったものの5分ほど走り、やはり方向が違うのではないかと指摘しました。結局引き返して一旦また「飛鳥U」に戻ったのですが、おかげて思わぬ角度の「飛鳥U」が撮影出来ました。
本船のいる岸壁から約10分強で世界遺産のブリッゲン地区(Bryggen)に差し掛かりましたが、とりあえず先を急ぐので通り過ぎました。

建物群が切れたところで左折して、ゆるい坂を上るとケーブルカー(Fløibanen Funicular)乗り場があります。これだと80クローネを払えば5〜6分で頂上に着くそうですが、夫の目的は「頂上」ではなく「走って頂上に行くこと」なので頑張るしかありません。

この駅まではあまり坂がなかったので余裕がありましたが、10時5分を過ぎたあたりから住宅地の中のジグザグな坂になり、段々辛くなって来ました。夫は構わず少し先をぐんぐん進んでいます。
ジグザグの坂を抜けるとちょっと開けた感じになり、教会のような建物がありました。教会かと思ったらブーエコルプス(buekorps、ノルウェーの少年ドラム隊)のスカンセン部隊(Skansens Bataljon)本部でした。
これを背にして更に進みます。大分上まで上がって来た感じの景色になってきました。
MSCの客船がベルゲンに到着していました。本船「MSC POESIA」は2008年出来で90,000トン以上の大物ですが「飛鳥U」が着岸している港では小さ過ぎるのか貨物ターミナルに着いていました。
その「MSC POESIA」は24日にドイツのキールを出港し、12日間の北大西洋クルーズに出たばかりだったのですが、ネットでそのことを調べていて偶然にそのフネから撮影された「飛鳥U」の画像を発見しました。終日航海日2日目の24日はかなり時化て揺れ続けていたのですが、その中を頑張る本船の様子です。フィンランド人の撮影者の許可を得て転載しました。【画像はクリックで拡大】

Photo ©2011 Kalle Id ブログのリンク --> kships
撮影のために一旦止まると、再び坂を上り始めるのにエネルギーがかかります。が、ベルゲンを走ることはもうないかもしれない、と撮影も走りも頑張りました。黒い縁取りと白い壁が印象的な、ベルゲン市街を見下ろしている家です。

10時15分過ぎにケーブルカーの中間駅に差し掛かりました。結構な急勾配で上っています。

ダイナミックに道路工事をしている箇所がありました。崖崩れのような雰囲気もあります。
10時25分頃、学校を越したあたりから本格的な山道になり傾斜がきつくなってきて、足が前に出ていきません。
スタスタ先に行ってしまう夫が時々立ち止まって励ましてくれますが、何故こんな辛いことをしなくちゃいけないのだろうと自問自答しながら進みました。途中サングラスが自分の熱気で曇ってしまい、ますます悲しくなりました。
それでも、諦めずに足を前に運んで行けば320mの山頂は近づいて来ます。学校の所から必死に20分、10時45分頃ようやくケーブルカーの終点まで到達しました。
途中撮影するために立ち止まったりしたのを含め、麓のケーブルカーの駅からは35分かかりました。
と急に雨が降り出してしまい、折角の山頂からの景色も白く霞んで見えなくなってしまいました。このタイミングでのまさかの降雨です。が呆然と待つこと5分で少し小降りになりました。左に「MSC POESIA」が、右に「飛鳥U」が小さく見えています。

雨が少し降っているので、カメラを必死に守りながらの撮影でした。晴れていたらと思うと残念ですが、悪天候も旅の一環です。

雨が降って急に寒くなり、あまり長居する雰囲気でもなくなったので撮影が終わってすぐ下りることにしました。下りはスピードがついてラクですが足にきました。

スカンセン部隊の所を下りたあたりで本船の気功の先生と会いました。先生もケーブルカーを使わずに山頂まで行くようです。
麓に下りてからはブリッゲン地区の陸側に一本入った道を通ってフネに帰ることにしました。「mama」という怪しい寿司&ヌードル屋があったので思わずメニューをチェックしたところ、麺はタイ風や焼きそばと思わずのけぞりましたが、寿司の方は割とちゃんと書いてありました。
最後は砦(Bergenhus festning)の中を突っ切るルートになりました。ほとんど建物をチェックしませんでしたが、中世のものも残っているそうです。
砦の端に来ると「飛鳥U」のファンネルが見えました。いい塩梅にノルウェーの国旗が翻っていたので、ごみ箱にデジカメ置いて自分達をタイマー撮影したりしました。
そして出発してからちょうど2時間、正味は75分ほど走って戻りました。走り始めからルーアンで痛めた右ふくらはぎが痛く、山下りで腿が痛くなり疲れ果て、午後の観光はもうどうでもいいから寄港地マグネットだけ買って来てくれ、という気分になりました。
そしてふと気付くとドアの近くに貼ってある寄港地マグネットの「ルーアン」の尖塔にいつの間にかマトリョーシカがぶら下がっていました。誰がかけたのか謎ですが、ちょっと前までバラライカを演奏するロシア人達が近くの部屋に滞在していたので彼らでしょうか??

昼食は夫が外で食べようと張り切っていたのですが、空腹感が募ってしまったので11F「リドカフェ」で軽く食べることにました。がイメージよりも沢山食べてしまいました。

午後の部は本船を13時に出発しました。最終帰船時間が18時半と遅い上、先程走って地理を把握したので余裕の夫です。
まずは集めている寄港地マグネットを買ってしまおうとみやげ物屋に入りましたが「高!」。40クローネ(600円ぐらい)と今までの最高値でした。買うには買いましたが北欧でもスウェーデンからノルウェーに来たら物価が違うかも、と密かに期待していたのが一気に購買欲は萎みました。
ブリッゲン地区に着き、海沿いの道から中に入り木造建物の通路のようなところをしばし散策しました。ショーウィンドウになっておらず中に入らないと店の様子がわからない上、購買欲ゲージがピクリとも動いていないためほとんど素通りでした。
奥深く入っていくと中庭のような場所もあり、古い井戸もありました。このブリッゲン地区は1979年にユネスコの世界遺産に登録された旨ノルウェー語、英語、フランス語、ドイツ語で書かれたプレートがつけてありました。一方この地区の修復に関する案内板はノルウェー語、英語、ドイツ語とわが日本語で書いてあり、久々にプレゼンスを感じることが出来ました。
フネを出て45分程でひととおりブラブラし終わり、夫が珍しく「ハンザ博物館(Det Hanseatiske Museum)」なら行っても良いというので入ってみることにしました。普段はいわゆる観光に興味がなく、城も教会も美術館もスルーしがちです。
一人55クローネを払うと当時の文書や箱などが展示してあり、例によってまた説明は現地語のみでどうしよう、と思っていたら展示はこれだけでなく、1702年の大火後に再建され保存されている建物の中を見ることが出来る仕組みでした。
展示室からドアを開けて隣に行くと作業部屋でした。ここで水揚げされたタラの重さを量り仕分けをして頭と尾を落としたそうです。
と、この部屋の雰囲気はどこかに似ていると思ったら、2007年に「にっぽん丸」の「初秋のサハリンクルーズ」と「小樽/横浜クルーズ」に連続乗船した時に小樽からツアーで行った「旧ヨイチ運上家」(写真)でした。
この部屋を出ると玄関部屋で、2Fに続く階段があります。が、昼間というのに光があまり入らず下の方は真っ暗で、入場券を買った時に懐中電灯を渡された意味がわかりました。ギシギシと音を立てる暗い階段はあまりいい気分ではありません。
2Fの外の間では見習いと小番頭が食事をした部屋です。このあたりの木造建物では火事を恐れて暖房はなく、灯りも最低限だったそうです。
その隣の応接間には番頭の執務室もあり、当時のものらしい帳簿も置いてありました。この応接間が建物の中で最上かつ最大の空間だそうです。

3Fに上がると小番頭部屋、見習い部屋、番頭部屋の順に並んでいて見習いは常に監視されていたことが伺えます。見習いのカプセルベッドは4つあり、外から閉めやすく中からは開けにくい構造の上、1つのカプセルに何と二人ずつ入れられたそうです。

小番頭のベッド見習いのカプセルベッド番頭のラグジュアリーなベッド

当時の商人の生活を垣間見ることが出来てとても興味深かったのですが、今にも何かが出てきそうな雰囲気はちょっと嫌でした。

「ベルゲンのハンザ博物館(2011年5月28日)」
30分程の見学後はこの博物館の別館である、集会所(Schøtstuene)へ足を延ばしました。地図がわかり辛く迷ってしまいましたが、10分も離れていない場所でした。
見学者があまりおらず、こちらもタイムスリップしたような感覚に陥る場所でした。炊事場が再現されていましたが、当時のメニューはわからないそうです。
集会場は2つあり、今にもハンザ商人達の笑い声が聞こえてきそうな雰囲気でした。
最後にトイレを借りることにし「ほんとにトイレ?」と疑いたくなるようなドアを開けたら中は普通の近代的なものでした。
まだ15時になっていなかったのでもう一歩き出来そうだったのと、折角なので地元の神様に挨拶(西洋にそういう概念はありませんが)を、とベルゲン大聖堂に行ってみるため世界遺産の後姿を見ながらもう一度中心部の方に行ってみることにしました。
ハンザ博物館のすぐそばにショッピングモール(Kjøttbasaren)がありました。1800年代後半に肉市場として建てられた建物だそうです。

そしてそのすぐ先がベルゲン魚市場でした。

手前の方はセーターやジャケット、民芸品などの土産物屋のブースでした。魚市場の方では軽食コーナーもあり併設されている屋台で何か食べられそうです。

ノルウェー産のキャビア類フィヨルドで獲れるエビ、カニ類おろし方が日本と微妙に違う感じの鮮魚

クジラのサンドイッチがあったので食べてみたかったのですが夫に一蹴され、別のちょっと小奇麗な店に入りました。まずは地元のハンザ(Hansa、40クローネ)です。

メニューは英語表記があったので魚スープ(100クローネ)とエビフライ(130クローネをと食べることにしました。しっかりと魚の味がするスープはとても美味しく、エビの方は普通のエビフライでした。それにしてもこのような軽食でも310クローネ、4,500円を超えてしまう驚きの北欧価格です。
16時になる前に魚市場を後にして、更に進んで行くと中心部のようなところに入りました。購買欲ゲージは下がったままのため、ウィンドウショッピングすらせず今度は公園の方に歩いて行きました。正面はヨハネス教会(Johanneskirken)した。
公園の端の方で偶然にもベルゲン出身の作曲家グリーグ(Edvard Grieg)の銅像をみつけました。本船のオプショナルツアーでグリーグの家を訪ねミニコンサートを鑑賞するというものがありました。特に好きではないのでパスしましたが、組曲「ペール・ギュント」の「朝」はいかにも朝という雰囲気の名曲だと思います。
夫に命じられるままとても長いバスの写真を撮影しました。ブログのネタにするのかと思ったのですが、企画倒れだったようです。同じ道には路面電車も走っていました。
山肌に張り付くように建っているかわいらしい家や青々とした緑もそろそろ見納めです。
かなり沢山歩きましたが、やっとベルゲン大聖堂(Bergen domkirke)に到着すると、思ったより小さくて質素で、しかも入口がわかりませんでした。12世紀からある由緒ある教会で、今の形になったのは1600年前半の大火災の後だそうです。
この後再びブリッゲン地区の方に出る途中で十字架教会(Korskirken)の尖塔が見えました。
最後に観光的に最もベルゲンらしいブリッゲン地区で記念撮影をし、砦を抜ける近道を通って17時過ぎに帰船しました。

ベルゲンにいる本船からのベルゲンの景色をチェックすべく、「プロムナード・デッキ」を1周しました。

魚市場でビールを飲んでいたので、フネではビールという気分にならず部屋で缶酎ハイを飲んでから19時15分のボン・ヴォヤージに出向きました。通常はプールサイドなのですが、天候が思わしくなかったため「パーム・コート」になりました。本船出港時の定番、「ダイアナ」や「ダンシング・クイーン」を踊った後は「マイム・マイム」を皆で踊りました。
出港時間が1回目の食事の時間より後だったため、2回目の食事の時に1回目の人達が流れて来ており、普段より賑やかなディナータイムとなりました。
先附 アスパラガスの諸味噌掛け

向附 鰹の叩き サラダ仕立て レタス 赤玉葱 大根ドレッシング
蒸し物 峰岡蒸し 蟹餡掛け 百合根 海老
焼物 帆立バター醤油焼き 三色パプリカ 松の実 粉チーズ
煮物 鰊昆布煮 南瓜 姫竹 蕗
汁物 のっぺい汁 枝豆 里芋 滑子

白御飯

香の物
デザート ローカルオレンジ二種盛り
ちょっと物足りず力が出ない食事の後、ダンス教室初心者仲間と会い、何故か夫が22時に12F「パーム・コート」集合という話をまとめていました。
と、言うことで時間に「パーム・コート」に出向きました。6F「クラブ2100」は敷居が高いのですが、人が少ない分ここは分気楽に踊れます。
また、淹れたての美味しいコーヒーが飲めるのもポイントです。魚市場でビール、部屋で酎ハイ、食事中はワインの残りと日本酒とかなりチャンポンしたので流石にアルコールはいらなくなりました。
23時頃部屋に戻ったのですが、北緯60度を超して夜がとても明るくなってきました。GPSロガーのDG-100は頑張ってログを取り続けています。
明日は朝からガイランゲル・フィヨルドクルーズなので、そろそろ就寝することにしました。フネはちょっと揺れています。