3日目 5月19日(木) ワルネミュンデ 入港8時
昨晩寝たのが2時過ぎだったので猛烈に眠かったのですが、6時40分頃夫に起こされました。外はちょっと霧がかかったような曇り空です。
今日は下船後にそのままベルリン観光に出かけるため、出来るだけ身軽になる必要があります。昨晩ざっくりとはパッキングしてありましたが残りのITコーナーを撤収し、洗面具もトランクに入れるため化粧もし、締め切り時刻の7時ちょうどに荷物をドアの外に出しておくことが出来ました。外国船では当たり前とは言え朝の7時に身一つになってしまい、下船の10時まで何もないというのは手持ち無沙汰ではあります。
とりあえず食事に行く事にしましたが、フネはどんどんワルネミュンデに近づいている模様で既に陸地が見え始めました。

昨日と同じくアマデア・レストランに行くと、ビュッフェのメニューは昨日と同じ内容でした。絶品の本場のハムと野菜を少々食べることにしました。

食べ終わって7時半頃船尾に出ると、既に港に入り込んでフネが回っているところでした。
「アマデア」はタグボートの力も借りず、狭い所を自分で回っています。この24番と書いてあるブイとはぶつかるのじゃないかと思うくらい近づきました。
回し終わって岸壁に寄っている最中に、港の奥からスカンジライン(Scandlines)の「PRINS JOACHIM」が出て行きました。ドイツとデンマーク間のフェリーで、船籍港KORSØR(コスーア)はデンマークの軍港でもあります。本船のすぐ脇をこするように出ていくディーゼル・エンジン音がイイ感じです。
そのフェリーを気にする様子もなく、本船は7時40分にさっくりと着岸しました。後に出来た「飛鳥U」より操作性は悪いと思われるのですが、外国船はあまりタグを付けない印象があります。これに比べるとタグの力を借りる日本船は「着岸の儀」とも言えるほど慎重に岸壁に着きます。

本船の岸壁の少し先にいる軍艦を見に行きました。双眼鏡で見るとギャングウェイの所に「F215 FREGATTE BRANDENBURG」(フリゲート艦ブランデンブルク)と書いてあります。ドイツ国旗に国章であるワイーマール鷲をあしらった海軍旗は、先の割れた燕尾旗なのがお洒落です。バルト沿岸国が採用しているデザインだそうです。

港の奥にはワルネミュンデ駅が見えました。鉄道でベルリンまで行ってみようかとも考えたのですが、距離があって遅延のリスクが大きそうなのでおとなしく船のオプショナルツアーを予約したのでした。
そう言えば入港して停船したのに、GPSデータロガーの電源を落としていませんでした。キール運河の航程がうまく記録出来ていたら嬉しいのですが、PCに繋いでデータを吸い出すまで何とも言えません。
部屋にいてもしょうがないので、ジョギングがわりに7Fのプロムナード・デッキを歩くことにしました。「飛鳥U」が着くであろう横には立派なターミナルがあって、アイーダ・クルーズの基地のようでした。アイーダは所有船のペイントが独特で、元々は地元ロストックのクルーズ会社でしたが、現在はカーニバル帝国の傘下でドイツ語圏向けのクルーズを運航しています。
8時35分頃、先程と同じスカンジラインの「KRONPRINS FREDELIK」が入って来ました。先程の船名もそうですが、デンマーク王室の現王子達の名前を冠しています。またもディーゼル音が耳に心地よく響いていきました。
とこのフェリーを見ている間に、船首方向の「ブランデンブルク」が出港していきました。民間人も沢山乗っているので、報道用か体験航海か何かのようでした。
ほどなく「ブランデンブルク」の引き出しと先導を終えたタグボート(Y-819:LANGENESS)が戻って行きました。
今度はTT-LINEの「TOM SAWYER」が出て行きました。150m超のフェリーがこれだけ次々と行き交うのは圧巻です。このフネはロストックとスウェーデンのトレレボリ(Trelleborg)を6〜7時間で結んでいで、同型船の名前は「HUCKLEBERRY FINN」とお洒落なネーミングです。
この大きなフェリーが通り過ぎると、待ってましたとばかりに地元の川渡しフェリーが行き交っていきました。

と、今度は奥からまた海軍の小さい船が単縦陣で出て来ました。先頭はM1092とありますが、後日調べたところによると掃海艇「ハーメルン(HAMELN)」でした。

コールサインDRFO

「ハーメルン」の後ろにはSEEHUND(アザラシ)型の小型掃海艇が続いています。

「SEEHUND 2」「SEEHUND 3」「SEEHUND 11」の3隻でした。「AMADEA」が到着して下船するまでの時間にちょうどこのような出港風景が見られてラッキーです。
最後にミサイル艦「P6128OZELOT(DRCL)」「P6129WIESEL(DRCM)」が出て行きました。自艦のコールサインの他、部隊のモットーである「DWBH(Don't Worry Be Happy)」の旗が掲げられていたのがお洒落でした。

DWBH
その1分後にはオランダ籍のコンテナ船「JAN VAN GENT」が入って来ます。地元ドイツの「LIEBHERR」製クレーンを搭載しているので、港を選ぶことなくコンテナを運んで行けます。
ツアーの集合時刻の9時25分が迫って来たのでそろそろ6Fのアトランティック・ラウンジに降りて行かなくてはなりません。名残惜しいですがほんの1時間の間に10隻以上の艦船を見ることが出来て興奮しました。
今日は4つのツアーが出ることになっています。本船「アマデア」はキール運河を近道して10時に最終下船ですが「飛鳥U」はユトランド半島を大回りするため到着は14時です。この間の待ち時間を埋めるため、無料の「ロストック市内観光」が用意されていました。
しかし我々は珍しくベルリンに遠征するツアーを申し込んであります。ベルリンまでは250km、片道3時間かかるため、帰船は22時予定とかなりハードなツアーになりますが、この機会を逃すと次はいつ行けるかわかりません。ベルリン観光+買物とベルリン観光+博物館という選択肢のうち、買物の方を選択しました。
ツアー参加客が集合し、9時半過ぎに下船すると買物バスは1台、博物館バスの方は2台仕立てでした。
3日間を過ごした「アマデア」に別れを告げ、バスはベルリンに向かいました。現地の観光ガイドさんは日本人の女性だったので説明がすべて理解出来ます。
出発して約1時間後にトイレ休憩がありました。日本人が日本人向けにオペレートするツアーはこのトイレ休憩がしっかりあるのがポイントになります。トイレを済ませた後、売店を覗いたらドイツの定番グミ菓子の「haribo」が置いてあったので懐かしさから購入しました。
ドイツはアウトバーン(高速道路)が発達しているので、1時間に100kmは移動出来るイメージがあるのですが、先程休憩したサービスエリアではナンバープレートに「M(München)」を付けたクルマがいました。この辺りからだと700km以上離れたバイエルンの州都です。
キール運河からも時々見えた、菜の花畑がとても綺麗です。日本よりちょっと時期が遅く5月〜6月中旬がシーズンです。
休憩から2時間はたっぷり走り、12時45分頃からベルリン市街地に入ったようで、路面電車が見られるようになりました。
バスはその後もしばらく走り、昼食会場である「大明酒家」には13時10分に到着しました。ガイドさんによると、中国大使館のすぐそばにあるので味は保証付きとのことで期待が出来ます。

大明酒家 Ming Dynasty
Brueckenstr.6
10179 Berlin
ビールは一杯頼めるとのことで、ヴァイツェンを注文したいところですが1ショットが500mlなのでトイレ事情を考えて自粛し、少ない量のあったピルスナー(Veltins)にしました。ドイツは無条件ビールなのがビール好きにはたまりません。
中華と聞いて簡単なランチ用コースを想像していましたが、清蒸鮮魚(鮮魚の姿蒸し煮)まで出る本格的なものでびっくりしました。流石2食つき€148の高級ツアーです。

久々の本格中華はとても美味しかったのですが、食べ終えるのにたっぷり1時間半もかかったのはちょっと時間が勿体無い気がしました。「アマデア」船上で復活した「Geschmeckt gut.(美味しかったです)」を店の人に連発し、満足してバスに戻りました。

チェック・ポイント・チャーリー(Checkpoin Charlie)付近には15時前に到着し、少しだけ下車することが出来ました。東西ドイツを隔てたベルリンの壁があった場所がわかるようになっています。

壁があった当時のベルリンには残念ながら行く機会がなかったので、チェック・ポイント・チャーリーと言うと名前ぐらいしか聞いたことがりあませんが、東西冷戦の象徴として往時の姿が再現されていました。

次の観光ポイントに行く道中、ガイドさんが東ドイツ時代の国民車「トラバント」が展示してあると教えてくれました。2ドアセダンの4人乗りですが、エンジンは直列2気筒の600ccと今となってはオモチャのようなクルマです。

市内には壁が残っている場所もあります。また、壁が撤去された箇所は基本的に四角い石が埋めてあってわかるようになっているようです。


バスはポツダム広場(Potsdamer Platz)に来ました。戦前は市内交通の要所でもありカフェ等が立ち並ぶ華やかな場所だったそうですが、空爆で徹底的に破壊され、その後ベルリンの壁が建てられたため廃墟のまま放置されていました。東西ドイツ統一後に再開発がなされ、現在の姿になっています。中央に写るドイツ鉄道の本社ビルを含む「ソニーセンター」はベルリンにおける近代建築の最高峰とも言われているそうです。
またこの広場は1924年にドイツで初めての有人式の交通信号機が建てられたそうで、そのレプリカが置いてありました。
信号機と言えば、ベルリンには有名なキャラクターがいます。アンペルマン(Ampelmännchen)と呼ばれる、信号機の中の男の子(画像の上)です。旧東ドイツの信号機で使われていたのですが、東西統一後に西ドイツのスタイル(画像の下)に置き換えられる予定だったのを、可愛らしいデザインがなくなるのを惜しんだ市民の「アンペルマンを救え」運動によって現在に至っています。アンペルマン・グッズも人気のベルリン土産だそうです。

【画像はクリックで拡大】
15時半頃バスは「ホロコースト記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)」付近に停車し、ブランデンブルク門にはここから徒歩で向かいます。
道中「UMA」レストランなる怪しい日本料理屋がありました。怪しいかどうかは本当はわかりませんが、日本人にはこの馬の絵がチャイニーズっぽく感じるのであやしい感じがするのだと思います。
有名なウンター・デン・リンデン(通り、Unter den Linden)に入るとブランデンブルク門(Brandenburger Tor)が見えました。絵葉書やクラシック音楽レコードのジャケットで見慣れた美しい門です。もとは1791年に完成したベルリンの正門とも言うべき堂々たる姿です。ただ名称は単純に「ブランデンブルク(州に向かう)門」ということらしいです。午後だと逆光なので少々残念でした。
門を背にして右側には歴史のあるホテル・アドロン(Hotel Adlon)があります。元々は1907年に開業しましたが、現在の建物は1997年に往時の姿で再建されたものです。ガイドさんに「あのマイケル・ジャクソンが宿泊して子供を窓から逆さ吊りにしたホテルですよ」と言われ数人が「あ〜〜」と何とも言えない反応をしました。
ブランデンブルク門をくぐるとその先は旧西ベルリンです。一度は訪れてみたかった場所に来ることが出来て感激し、頭の中でバッハのブランデンブルク協奏曲の5番あたりを流してみました。バスに戻るまで約20分強の下車観光でした。
次はKaDeWeという高級デパート前で降りて16時25分頃から1時間程の買物タイムとなりました。ドイツというと色々な町で「カウフホフ(KAUFHOF)」や「カールシュタット(KARSTADT)」を見かけましたが、このKaDeWeはベルリンにしかありません。でもこのTシャツはクールなジャパンをイメージしつつ、日本語が書かれていないのでマイナスです。
デパートで売っているような物品の購入予定はなかったので、すぐに店を出て道の反対側に渡りみやげ物屋に入りました。寄港地シリーズとして集め続けているマグネットを無事購入し、更に信号機キャラのアンペルマングッズを数点手に入れました。

まだ時間が20分程があったので、またデパート側に戻るとレゴショップがありました。ちょっと覗くとマースク(Maersk Line)のコンテナ船があって物欲に火が付きました。

日本では見たことがないから今買わなくては絶対後悔する、と呆れる夫を尻目に即断購入し、一気に免税手続きまで済ませることが出来ました。レシートには「マースクのコンテナ船 109.99ユーロ」と書いてあって笑えました。ある意味破格です。

17時半頃バスは最終観光地の「カイザー・ヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)」前に到着しました。一向に教会らしき建物が見えないので不思議に思ったら、教会は連合軍の空爆で破壊された状態で保存されており、それが保存修復作業中でパネルで完全に覆われていたためでした。教会の機能は敷地内に新しい教会が建てられていてそこに移っています。
旧教会の方は1895年に建造された当時のモザイク画が残っていて、見学できるようになっています。新教の教会で、中央部はいわゆるキリスト教の登場人物が描かれています。

左右はドイツの歴史上の人物が配されています。ここにも国章であるワイマール鷲を見る事が出来ました。

イギリスの地方都市コヴェントリー(Coventry)から寄贈された、十字架(Cross of Nails)が展示されていました。第二次大戦時ドイツの大空襲によって焼け落ちたコヴェントリー大聖堂の溶けた釘から作られた平和の象徴です。
15分程で見学を終わり、一行はすぐそばの夕食会場に向かいました。振り返ると教会の全容がわかります。左が新しい方の教会、右が修復作業用の覆いをかけられた旧教会でした。

オイローパ・センター(Europa-Center)の中にあるその名も「バーバリウム(Bavarium)」は北ドイツで南のバイエルン料理、東京で薩摩揚げを食べるような感じでしょうか…。

ここはドイツ最後となるので当然にヴァイツェン(小麦のビール)、料金内のフランツィスカーナー(Franziskaner)を注文しました。同じテーブルの人にも「美味しいですヨ」と勧めましたが口に合ったかどうかはわかりません。料理はスープとソーセージとデザートというシンプルなコースですが、とても美味しかったので昼の中華が残っていたのを頑張って食べました。料理がゆっくり出てくるのでここでも2時間近くかかりました。

19時40分頃バスに戻りました。ここからは約250kmの道程をひたすら走って「飛鳥U」の待つワルネミュンデに戻るだけです。

20時20分頃、トイレ休憩がありました。売店でヨーロッパではメジャーなコルネット(Cornetto)アイスのヘーゼルナッツ味(Haselnuss) を売っていたので、懐かしく26年ぶりに購入しました。「まだ食べるの」と夫は呆れ顔でした。

21時過ぎに日が沈んだように見えました。1ヶ月以上水平線の夕陽を眺めていると、地平線の太陽もいいものだと思うから贅沢なものです。
ベルリン郊外からアウトバーンBAB-24、その後BAB-19と北を目指しています。
GPSの画面はじわじわと移動していますが、それにしても遠いです。そのうち気絶してしまいました。
22時20分頃、漸く「飛鳥U」の待つワルネミュンデ港に戻りました。移動距離が長い分疲れましたがとても有意義な観光でした。
この続きは ==> 2011飛鳥U世界一周クルーズ乗船記>ヨーロッパ>ワルネミュンデ 5/19