レジェンド・オブ・ザ・シーズ 上海・韓国クルーズ乗船記 (2010年5月6日)

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5日目 上海 出港14時
午前中に一度下船して外灘(Waitan)(又はバンド(Bund))を歩いて散策しようとしていたため、7時半に起床しました。カーテンを開けると天気は良いものの、春の霞の中高層ビル群が目の前に広がっていました。
船を予約する時は基本的に左舷にしていますが、今回の停泊が右舷付けだったため贅沢な景色が目の前に広がっていたのはラッキーでした。
食事は9Fの「ウィンジャマー・カフェ」にしました。料理の前には説明書きがあり、英語、中国語、日本語、ハングル文字で書いてあります。「Plain Congee」が「簡単的鞠躬」が正しいのかはわかりませんが「明白な粥」は自動翻訳の限界が見えて残念な感じです。

今日は卵コーナーで目玉焼き(サニーサイドアップ)を作ってもらいました。

ここのビュッフェは野菜はあまりありませんが、味噌汁があるのは有難いです。豆腐と輪切ネギとゴマを入れてもうちょっと熱々だと尚良いのですが、味自体は全く問題ありません。普段は昼の社員食堂ぐらいでしか食べませんが、何故か本船のビュッフェに来ると毎回飲んでいます。
朝食をさくっと済ませて9時前に下船しました。下船して通路を通ると東大名道(Dongdaming Rd)に出るので、その道を左方向に進むと外灘(Bund)です。
昨日はツアーバスに乗っていただけで実質これが初中国なので、車が右側通行なのを再確認して歩き出しました。目の前の道路の建物からは洗濯物が突き出ていていますがこれは想定の範囲内です。
ターミナルのすぐそばに、野菜やフルーツカービングのような巨大な孔雀のディスプレイがありました。

ドアマンがキルトを履いている由緒正しそうなホテルがありました。「Astor House Hotel(浦江飯店)」は後日調べたらチャップリンやアインシュタインが宿泊した歴史あるホテルでした。建物は1846年に建てられたようです。

横断歩道が青(と言うことは車は赤)なのに、構わず突っ込んで右折する車がいるのには驚愕しました。

呉淞江を渡った(外白渡橋)先には黄浦公園があります。この呉淞江が注ぎ込む所で黄浦江がU字に回っています。
川岸は広い遊歩道になっていて、地元かどうかはわかりませんが中国人観光客が沢山歩いていました。船から20分ぐらいかかりました。
ここからは停泊している本船の堂々たる姿を眺めることが出来ましたが、残念ながら霞の中だったので鮮明には見えませんでした。この霞は一向に晴れないので、もしかしたら公害のスモッグなのかもと思い始めました。
浦東の高層ビル群も別の角度から見ることが出来ました。観光客としてはトンネルで川を渡ってテレビ塔の展望台に上る選択肢もあると思いますが、これだけ霞んでいるとあまり何も見えなさそうです。
遊歩道は7元の記念写真撮影など地元民向けのサービスのパラソルが20mおきぐらいに出ていました。
遊歩道の反対側には、主にイギリスによって建築された19世紀後半から20世紀前半の建物が1kmにわたって並んでいます。写真で一番高く見えるビルが外灘20号・サッスーンハウス(和平飯店北楼)1929年、奥の三角屋根は外灘23号・中國銀行総行(中國銀行上海分行)1936年竣工です。

その手前の白いビル外灘24号・濱正金銀行大楼(中國工商銀行上海分行)は1924年竣工で、今はなき東京銀行の前身でした。
手前は外灘13号・旧江海税関大楼(上海海楼)、税関のビルで1927年、奥が外灘12号・旧匯豊銀行(HSBC)上海分行(浦東発展銀行)1923年竣工だそうです。
旧匯豊銀行の隣の外灘9号・ラッセル商会ビル(招商局上海分公司)まで歩いて来たら、暑いのと疲れたのでそろそろ戻ろうかと言う事になりました。が夫がちょっと小道に入ってみようと言っています。
私はあまり気が進まなかったのですが、怖いもの見たさがなくもなく、付いて行きました。遊歩道の前の東中山路を右折すると、日本とは異なる臭いの、空が洗濯で覆われた空間になりました。
この道は奥に向かっての信号が青であるにもかかわらず、車が通り過ぎるやいなやスクーターが信号無視して横切っています。これを見て、表通りに「交通指導員」がいる理由がわかりました。

走っている車は日本と雰囲気が変わらないのですが、雑然とした街の汚さはやはり独特です。気が付いたのはくわえタバコが多いこと、痰を吐くこと、変にカッコつけるおやじ(この格好では疲れるのではないか)がいること、自転車修理がいることでした。

でもやはり衝撃をだったのは信号無視のオートバイ、自転車、クルマです。歩行者信号が青で歩行者がいたとしてもクラクションを派手に鳴らしてかまわず突っ込んで来ます。交差点でしばし観察しましたが、命が惜しくないのか、自分に優先権があると思っているのか、赤信号でもスピードを緩めず突進していました。

夫のブログ「プチ・カルシャーショック 」(2010年5月6日)
これは歩行者も同じで、「交通指導員」がいないとルールを守らない国民性なのだろうと思いました。外国人観光客の目に触れるであろう大通りで指導員の目があり車は止まるようですが、一本中に入った場所では赤信号で交差点に突っ込んで来る車にはかなりカルチャーショックを受けました。

ターミナル戻る途中で日本資本の「ファミリー・マート」に入ってみたところ、日本と同じ様なラインアップで驚きました。見慣れたお茶や紅茶飲料があり、パンはパスコ製でした。現地仕様にアレンジしたオデンも売っていました。
結局11時頃にフネに戻ったのでわずか2時間の上海探索でしたが、脳ミソが緊張しまくってとても疲れました。
とは言え、出港まであまり時間がないので、戻ってちょっとだけ休憩してからすぐにジョギングすることにしました。船が止まっているので風が吹き抜けることもなく、15周ほど走りました。
そうこうするうちに13時近くなり、夫が乗船した時から興味のあったロッククライミングに挑戦することになりました。ちょうど13時から、インストラクターが待機していつでも登れるようになるからです。終日航海日にやっている人もいましたが、衆人監視の中初挑戦する度胸もありません。始まってすぐに行けば待たないで済むし誰も見ていないだろう…、と考えたのでした。果たして船尾のウォールに行くとインストラクターが来たばかりで誰もいませんでした。「Do you wanna try?」と聞かれたので躊躇せずに二人でやってみることにしました。なにやら同意書にサインをし、サインをした印に「シーパス・カード」スター型のパンチ穴をあけてもらいました。
壁には大きく3つのコースがあり、右が初級、左が中級、真ん中が上級のようでした。専用のシューズを借り、ハーネスを付けるとまず夫が有無を言わさず左の壁にセットされ、するすると登り始めました。簡単に登ったように見えました。次は私の番となり、韓国人のインストラクターに「足で身体を運ぶこと」「手は常に肩より上にしておくように」というコツを教えてもらいました。
簡単だろうとは思ってもいませんが、こんなに難しいとも思っていませんでした。真ん中辺はオーバーハング気味になっていて、先に進めず恐怖を感じました。が、インストラクターが必ずロープで支えているので落ちることはありません。極力自分の力で登り、上の鐘を鳴らした時はちょっとした達成感でした。全身のワークアウトに良い、と言われた通り足、腕、背中、握力とすべて使ったのがよくわかりました。これは間違いなく筋肉痛になります。

夫のブログ「ロッククライミング」(2010年5月7日)
出港は14時で、私達は左舷の船首付近に陣取りましたが、帰船が遅れた人を待っていたのか20分ぐらい遅くなりました。どうやって出て行くのか興味がありましたが、後進離岸して少し下流に進みました。
本船の後ろに停泊していた「新鑑真」号に別れを告げます。大阪、神戸とここ上海を定期的に結んでいる国際フェリーです。
フネはじわじわと慎重に後進し、真正面の外灘、左側のテレビ塔から遠ざかって行きます。離岸から20分かけて1海里ぐらい後進した後、タグの力を借りて時計回りに回頭を始めました。

左は船首から左舷後方を見たところです。大勢の乗船客が私達と同じように10Fのデッキに出てこのシーンを見物していました。

10分ぐらいかかって180度向きを変え、下流に向かって進み始めました。楊浦大橋は1993年に開通した中央径間が600mの斜張橋で、塔の高さは220mあるそうです。横浜ベイブリッジよりは長いですが、多々羅大橋(愛媛−広島)よりは短いことになります。
15時頃橋をくぐりました。停泊中ずっと目の前にあった高層ビル群が遠ざかっていきます。
それからは11Fファンネル部分の「バイキング・クラウン・ラウンジ 」から黄浦江の両岸の景色をしばし楽しみましたが、風光明媚ということではなく、両側に際限なく連なる造船所と船達です。
建造中のケープサイズ(パナマ運河を通航出来ないため南アフリカの希望岬を回る大きさの船。パナマ運河を通れるフネはパナマックスと呼ばれ幅32m以下)を間近で見られることはなかなかありません。
リバークルーズ船もいるようです。「Princess Jeannie」は通常は揚子江の三峡クルーズに使われている高級船のようです。
川には潜水艦の他に軍艦もいました。フリゲート鑑「511南通」、その前には「512無錫」や「540淮南」が。
出港して2時間後の16時20分頃、黄浦江が揚子江(長江)に流れ込みました。手前の黄浦江はグレーですが、奥の揚子江は茶色がかっているのが印象的でした。河口近辺なので対岸が見えず、川というより海のようでした。
突然空腹を感じ、「ウィンジャマー・カフェ」にクッキーとコーヒーを取りに行きました。キャビンは中央エレベーター付近ですが、本船のカフェはオモテにあるのでやや不便です。

コンテナ船と煩雑に行き交うのは、2005年のマラッカ海峡以来です。

「EVER UNIFIC」5,652個積みの1999年三菱重工神戸生まれ
「EVER URBAN」4,948個積みの2000年三菱重工長崎生まれ
揚子江もコンテナ港や造船所が連なっていて凄い迫力でした。もの凄い勢いでフネを造っています。右は二引きのファンネル、日本郵船のフネを作っているようです。
今日は寒くてあまりビールという雰囲気にならなかったため、何も飲まず18時頃4Fのメインダイニングに行くことにしました。昨日はビュッフェで済ませたので、今日はこちらと決めていました。
私達は乗船前に「ゴールド・ワインパッケージ5本」(USD155.25)というのを購入してあり、銘柄は何種類もある中から選べるのですが、今日既に4本目に突入してしまいました。外国船は飲み残してもボトルをキープしてくれるので、まとめて買うほうが得だったので事前に買ってみたのですが、沢山あると思ってつい飲むペースが早くなってしまうようです。
オーダーを終えても外はまだ明るく、コンテナ船が真横を通過する絶景です。食事をしながら大型船が間近に見えるのは贅沢この上ありません。コンテナ萌え…。

Starters

  • CAESAR SALAD(v)
    Simple and classic, crisp romaine lettuce with shaved Parmesad and herbed croutons


  • JALAPEÑO POATO SOUP
    This creamy potato soup has a twist of heat and a hint of sour cream for richness
Main Courses

  • SLOW-ROASTED BEEF SHOULDER FILET
    Served with decadent mascalpone mashed potatoes and a Shiraz reduction


  • FRIED GINGER PORK
    Tossed with corn and finished with grated ginger ( from Chef's Signature Menu )
Desserts

  • CHOCOLATE CAKE


  • BBB
    Baileys Irish cream and banana crème brûlée baked under a caramel crust

部屋に戻ると今日のタオル作品はザリガニ(?)でした。ロイヤル・カリビアンは毎晩こうしてタオル動物を置いておいてくれるのでしょうか。なかなか楽しいです。
バルコニーに出ると、まだ航路筋なのか反航船と行き交います。左舷灯(赤)が見えていることから、こちらに向かっている船だとわかります。
ショーは20時15分からザイヴェークのピアノのショーでした。ピアノがどんどん壊れていく中、ピアノ自体の演奏も素晴らしかったです。ショーの後で、夫はいたずらっぽく「あれはあなたのピアノ?」と聞いたら「いや、フネのですよ」とウィンクしていました。
夜はまだまだ続きます。21時からは4Fフネ中央の「セントラム」で「ロックン・ロールパーティ」がありました。50's、60'sと聞くと夫はじっとしていられないので、フネに乗るたびに付き合っているうち、私の方も負けずに楽しむようになりました。
クルーズディレクターのアランの司会(通訳入り)のもと、踊りあり、ゲームありとどんどん盛り上がります。
音楽と共に皆で練り歩き、夫はついには中央階段部分のアランと肩を並べて盛り上がってしまいました。
練り歩きは第二波、第三波と続きます。たっぷり2時間以上のお楽しみでこのフネのエンターテインメントはなかなかでした。午前中の上海散策からロッククライミングにロックン・ロールと、とても濃い一日でした。